ことばの繋ぎ手

武内れい

文字の大きさ
62 / 80
第四章:さけめの中へ

62、言葉の影を踏みしめて(後半)

しおりを挟む
 ビルの清掃員の姿が、ぼんやりと半透明になっていくさなか、こころの胸の中には焦燥と責任感が渦巻いていた。彼女は短く息を吸い込み、震える指でポケットから取り出した小さな鈴を握りしめた。

 鈴の澄んだ音色が、静かな空気の中で小さく響き渡る。細く繊細な音はまるで、忘れ去られた結界の声のように聞こえた。

 鈴の音に呼応するかのように、男の輪郭はかすかに揺らぎ始める。こころはそっと呪詞の一節を口ずさみながら、手を差し伸べた。ひんやりとした早朝の冷気が肌を刺し、吐息が白く舞う。
 澄み切った空は薄い藍色に染まり、夜と朝の狭間を告げていた。

 その背後で、みなみが深呼吸を繰り返し、手にした小さなノートを見つめている。彼女の瞳には、未知への探求心とわずかな恐怖が入り混じっていた。

 まるで言葉の奥深くに潜む秘密を紐解こうとするかのように、ページをめくる手は震えている。カフェの穏やかな昼下がりとは打って変わり、ここには緊張感が満ちていた。

 春は店先でいつも手にしている花束を抱え、そっとその花びらに触れた。花は朝露に濡れ、甘く芳しい香りを放つ。だが彼の手の中の花々はどこか儚げで、不自然に色褪せているようにも見えた。
 彼の眉間には深い皺が寄り、何かを悟ったような厳しい表情が浮かんでいた。

 蒼は路線図を握りしめ、静かながらも激しい決意を胸に秘めていた。薄暗い駅の待合室の空気はひんやりとして、鉄の冷たさが手に伝わる。

 路線図の隅にひそやかに刻まれた模様が、今まさに彼の胸の鼓動と重なるようだった。彼は窓の外を見つめ、遠くの街灯が瞬くのを見届けると、ふと目を閉じた。

 叶多は、テーマパークの人気が去った閑散とした一角で、そっとパンフレットを広げていた。鮮やかな色彩で飾られたその紙面には、夢と笑顔が詰まっていたが、今は遠い記憶のように感じられた。
 彼の息は白く、口元には微かな震えが走る。周囲の遊具の金属は冷え切り、夕暮れの影が静かに伸びていた。

 そんな五人が、それぞれの場所からこの危機に立ち向かうために、かすかな糸を手繰り寄せていた。彼らの間にはまだ言葉は交わされていなかったが、目に見えぬ絆が結ばれているのを誰もが感じていた。

 清掃員の男の姿はゆっくりと消えゆく寸前、ふいに彼の体が小さな光を放ち始めた。その光はまるで、遠い星のように淡く、そして儚げに輝いていた。

 こころは息を飲み、ゆっくりと呪詞の言葉を重ねていく。鈴の音とともに、彼女の声は静かな祈りとなり、破れた結界の断片を繋ぎ合わせていくようだった。

 辺りの空気がわずかに震え、落ち葉がひらりと舞い落ちる。街の片隅からは、遠くで鳴る電車の音がかすかに響き、日常の営みがまだ続いていることを知らせていた。
 だがその日常の裏側では、確かに世界の境界が揺らぎ、壊れかけていた。

 こころの声に呼応するように、みなみもまた口を開いた。彼女の声は控えめながらも芯が強く、言葉の一つ一つが結界の力を呼び戻す呪文のように響いた。春は花束をそっと床に置き、手を合わせる。

 花の香りがほのかに広がり、冷え切った空気に温もりを与える。蒼は静かに目を開け、路線図を膝の上に置いたまま、心の中で次の行動を考えていた。

 叶多はパンフレットをたたみ、ゆっくりと立ち上がる。その目には迷いがなく、覚悟が宿っていた。周囲の闇が深まる中、彼の身体からはわずかな熱気が漂い、寒さを遮るように感じられた。

 街の灯りが徐々に明るさを増し、薄曇りの空が淡い桃色に染まり始める頃、五人はまだ互いに言葉を交わすことなく、しかし確かな決意で立ち上がっていた。
 彼らの心の中には、守るべき日常と失われつつある世界への恐怖と希望が混ざり合い、静かに燃えていた。

 目の前で消えかけた男の体は、こころの祈りに応え、かすかな光の残滓を残したまま、ゆっくりと溶けていった。その光は彼らにとっての警鐘であり、また新たな始まりの合図だった。
 世界の裂け目は小さくとも確実に広がり、その中から得体の知れないものがじわりと迫っている。

 五人はその事実に重く沈みながらも、やがて静かに顔を上げ、互いの存在を確認した。言葉少なに、しかし胸の奥で確かな連帯感が芽生えていた。
 彼らは今、自分たちがただの子どもではなく、この世界を守る一端を担う者たちだと悟ったのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

きたいの悪女は処刑されました

トネリコ
児童書・童話
 悪女は処刑されました。  国は益々栄えました。  おめでとう。おめでとう。  おしまい。

『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?

釈 余白(しやく)
児童書・童話
 毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。  その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。  最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。 連載時、HOT 1位ありがとうございました! その他、多数投稿しています。 こちらもよろしくお願いします! https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394

星降る夜に落ちた子

千東風子
児童書・童話
 あたしは、いらなかった?  ねえ、お父さん、お母さん。  ずっと心で泣いている女の子がいました。  名前は世羅。  いつもいつも弟ばかり。  何か買うのも出かけるのも、弟の言うことを聞いて。  ハイキングなんて、来たくなかった!  世羅が怒りながら歩いていると、急に体が浮きました。足を滑らせたのです。その先は、とても急な坂。  世羅は滑るように落ち、気を失いました。  そして、目が覚めたらそこは。  住んでいた所とはまるで違う、見知らぬ世界だったのです。  気が強いけれど寂しがり屋の女の子と、ワケ有りでいつも諦めることに慣れてしまった綺麗な男の子。  二人がお互いの心に寄り添い、成長するお話です。  全年齢ですが、けがをしたり、命を狙われたりする描写と「死」の表現があります。  苦手な方は回れ右をお願いいたします。  よろしくお願いいたします。  私が子どもの頃から温めてきたお話のひとつで、小説家になろうの冬の童話際2022に参加した作品です。  石河 翠さまが開催されている個人アワード『石河翠プレゼンツ勝手に冬童話大賞2022』で大賞をいただきまして、イラストはその副賞に相内 充希さまよりいただいたファンアートです。ありがとうございます(^-^)!  こちらは他サイトにも掲載しています。

極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。

猫菜こん
児童書・童話
 私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。  だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。 「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」  優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。  ……これは一体どういう状況なんですか!?  静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん  できるだけ目立たないように過ごしたい  湖宮結衣(こみやゆい)  ×  文武両道な学園の王子様  実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?  氷堂秦斗(ひょうどうかなと)  最初は【仮】のはずだった。 「結衣さん……って呼んでもいい?  だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」 「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」 「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、  今もどうしようもないくらい好きなんだ。」  ……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。

鬼狩りトウヤ ―最後の鬼になる少年―

かさい さとし
児童書・童話
少年トウヤ。 鬼に最愛の姉を殺された夜、彼は復讐を誓う。 だが彼自身もまた、鬼だった。 鬼王の血を引きながら、角を持たず生まれた“異端”。 鬼の里を捨て、人間界へと逃れた少年は、鬼を狩る者となる。 鬼でありながら鬼を斬る。 その正体が知られれば、討伐されるのは彼のほうだ。 それでも彼は刀を振るう。 姉を奪った鬼を、この手で滅ぼすために。 鬼を狩る者たちの中に、鬼がひとり。 これは復讐から始まる少年の物語。 そして――やがて“最後の鬼”になる少年の物語。 ※毎日12時頃投稿

【奨励賞】おとぎの店の白雪姫

ゆちば
児童書・童話
【第15回絵本・児童書大賞 奨励賞】 母親を亡くした小学生、白雪ましろは、おとぎ商店街でレストランを経営する叔父、白雪凛悟(りんごおじさん)に引き取られる。 ぎこちない二人の生活が始まるが、ひょんなことからりんごおじさんのお店――ファミリーレストラン《りんごの木》のお手伝いをすることになったましろ。パティシエ高校生、最速のパート主婦、そしてイケメンだけど料理脳のりんごおじさんと共に、一癖も二癖もあるお客さんをおもてなし! そしてめくるめく日常の中で、ましろはりんごおじさんとの『家族』の形を見出していく――。 小さな白雪姫が『家族』のために奔走する、おいしいほっこり物語。はじまりはじまり! 他のサイトにも掲載しています。 表紙イラストは今市阿寒様です。 絵本児童書大賞で奨励賞をいただきました。

おっとりドンの童歌

花田 一劫
児童書・童話
いつもおっとりしているドン(道明寺僚) が、通学途中で暴走車に引かれてしまった。 意識を失い気が付くと、この世では見たことのない奇妙な部屋の中。 「どこ。どこ。ここはどこ?」と自問していたら、こっちに雀が近づいて来た。 なんと、その雀は歌をうたい狂ったように踊って(跳ねて)いた。 「チュン。チュン。はあ~。らっせーら。らっせいら。らせらせ、らせーら。」と。 その雀が言うことには、ドンが死んだことを(津軽弁や古いギャグを交えて)伝えに来た者だという。 道明寺が下の世界を覗くと、テレビのドラマで観た昔話の風景のようだった。 その中には、自分と瓜二つのドン助や同級生の瓜二つのハナちゃん、ヤーミ、イート、ヨウカイ、カトッぺがいた。 みんながいる村では、ヌエという妖怪がいた。 ヌエとは、顔は鬼、身体は熊、虎の手や足をもち、何とシッポの先に大蛇の頭がついてあり、人を食べる恐ろしい妖怪のことだった。 ある時、ハナちゃんがヌエに攫われて、ドン助とヤーミがヌエを退治に行くことになるが、天界からドラマを観るように楽しんで鑑賞していた道明寺だったが、道明寺の体は消え、意識はドン助の体と同化していった。 ドン助とヤーミは、ハナちゃんを救出できたのか?恐ろしいヌエは退治できたのか?

笑いの授業

ひろみ透夏
児童書・童話
大好きだった先先が別人のように変わってしまった。 文化祭前夜に突如始まった『笑いの授業』――。 それは身の毛もよだつほどに怖ろしく凄惨な課外授業だった。 伏線となる【神楽坂の章】から急展開する【高城の章】。 追い詰められた《神楽坂先生》が起こした教師としてありえない行動と、その真意とは……。

処理中です...