ことばの繋ぎ手

武内れい

文字の大きさ
25 / 80
第二章:壊れた日常

25、カフェのざわめき(前半)

しおりを挟む
 昼下がりの柔らかな陽光が、カフェの大きな窓ガラスを透かして店内を温かく包み込んでいた。淡いベージュとブラウンを基調にした木製のテーブルが整然と並び、壁には季節の花の写真や詩の一節が黒板に手書きで描かれている。
 店内に漂うコーヒー豆の香ばしい香りと、静かに流れるジャズのメロディが心地よく調和し、日常の喧騒けんそうから少し離れた別世界を演出していた。

 安藤みなみは、レジカウンターの端に立ち、ふと黒板に書かれた詩に目をやった。そこには手書きで〈一日の終わりに、静けさと共に訪れる安らやすぎ〉と記されている。
 カウンター横の小さな花瓶には、季節の花がひっそりと活けられ、風に揺れることもなく静かに時を刻んでいた。

 いつもなら、この空間は柔らかく満ちる安らぎに包まれているはずだった。しかし、その日は違った。
 みなみの鼻先をくすぐるのは、コーヒーの香りのはずが、どこか錆びた金属のような、甘くて不快な異臭いしゅうが微かに混じっていたのだ。

(……何だろう、この匂い。)

 眉を寄せながら、みなみは店内を見渡した。カウンターの後ろで黙々と動くコーヒーマシンの蒸気も、いつもより白く濁って見える。空気の揺らぎの中で、微かにざわざわめきが聞こえた気がした。

 カフェには数人の常連客がいて、窓際の席や壁際のテーブルにゆったりと腰を下ろしていた。彼らはそれぞれにお気に入りのカップを手に、店員との会話を楽しんだり、本をめくったりしていた。
 だが、みなみの耳に届く言葉の輪郭は、いつもとどこか違っていた。重なり合い、かすかにゆがんでいるように感じられたのだ。

「……おはようございます。今日もいい天気ですね。」

 みなみが小さな声で挨拶を返すと、カウンター席の隣に座る男性の声が、どこか重なりあって二重に響いた。

「あ、あれ……?」

 思わず振り返ると、男性はにこやかに話し続けていたが、その声は確かに重なり、波打つように揺れて聞こえた。まるで鏡に映った声がもう一人の誰かの口から発せられているかのようで、違和感が胸の奥を締めつけた。

 みなみはわずかに身体を震わせ、カウンターに手をついて自分を支えた。いつも通りの日常が崩れかけている、そんな漠然ばくぜんとした恐怖が押し寄せてくる。

「大丈夫ですか?」

 後ろから店長の穏やかな声がかかった。みなみはすっと顔をあげ、微笑みを返そうとしたが、口元が引きつり、言葉がうまく出てこなかった。

「……うん、大丈夫。」

 そう答えたものの、内心はざわついていた。誰にも言えないこの感覚、まるで自分だけが異変に気づいてしまったかのような孤独感こどくかんが胸を覆っていた。

 カウンターの上に置かれた黒板に目を戻すと、そこに書かれたポエムの文字がわずかににじんでいるように見えた。インクが水分を含んでいるのか、光の加減で文字が揺らいでいるのか、その境界は曖昧だった。
 ぽたり、と小さな音がして、棚の片隅に置かれていた小さな陶器の花瓶が、静かに倒れた。

「……!」

 みなみは思わず息を飲み、駆け寄った。花瓶は割れなかったが、中に活けられていた小さな花がテーブルに散らばり、鮮やかな赤と緑のコントラストが目に飛び込んできた。
 まるで静かなざわめきの象徴のように、店内の静寂を切り裂いていた。

 常連客の一人が、慌てて花を拾い上げながら、「今日は何だか変だね」と小声で呟いた。その声もまた、二重に反響してみなみの耳を過ぎった。

「気のせいじゃない。私も、なんだか変な感じがする。」

 別の客が続ける。みなみの心はますますざわめき、胸が締め付けられるようだった。誰もが確かな違和感を抱きながら、それを口にできずにいる。
 まるで見えない壁が、日常と非日常の間にひっそりと立ちはだかっているかのようだった。

 みなみはレジの前に戻ると、深呼吸をして顔を上げた。ふと、窓の外を見れば、雲がゆっくりと流れ、遠くの街路樹がいろじゅの葉が風に揺れている。外の世界はいつもと変わらず、ただ静かに時間だけが過ぎているのだった。

 それでもみなみの胸には、確かな違和感と警戒心けいかいしんが根を張っていた。

 この場所に潜む何かが、今まさに動き始めているのだと。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

9日間

柏木みのり
児童書・童話
 サマーキャンプから友達の健太と一緒に隣の世界に迷い込んだ竜(リョウ)は文武両道の11歳。魔法との出会い。人々との出会い。初めて経験する様々な気持ち。そして究極の選択——夢か友情か。   (also @ なろう)

四尾がつむぐえにし、そこかしこ

月芝
児童書・童話
その日、小学校に激震が走った。 憧れのキラキラ王子さまが転校する。 女子たちの嘆きはひとしお。 彼に淡い想いを抱いていたユイもまた動揺を隠せない。 だからとてどうこうする勇気もない。 うつむき複雑な気持ちを抱えたままの帰り道。 家の近所に見覚えのない小路を見つけたユイは、少し寄り道してみることにする。 まさかそんな小さな冒険が、あんなに大ごとになるなんて……。 ひょんなことから石の祠に祀られた三尾の稲荷にコンコン見込まれて、 三つのお仕事を手伝うことになったユイ。 達成すれば、なんと一つだけ何でも願い事を叶えてくれるという。 もしかしたら、もしかしちゃうかも? そこかしこにて泡沫のごとくあらわれては消えてゆく、えにしたち。 結んで、切って、ほどいて、繋いで、笑って、泣いて。 いろんな不思議を知り、数多のえにしを目にし、触れた先にて、 はたしてユイは何を求め願うのか。 少女のちょっと不思議な冒険譚。 ここに開幕。

「いっすん坊」てなんなんだ

こいちろう
児童書・童話
 ヨシキは中学一年生。毎年お盆は瀬戸内海の小さな島に帰省する。去年は帰れなかったから二年ぶりだ。石段を上った崖の上にお寺があって、書院の裏は狭い瀬戸を見下ろす絶壁だ。その崖にあった小さなセミ穴にいとこのユキちゃんと一緒に吸い込まれた。長い長い穴の底。そこにいたのがいっすん坊だ。ずっとこの島の歴史と、生きてきた全ての人の過去を記録しているという。ユキちゃんは神様だと信じているが、どうもうさんくさいやつだ。するといっすん坊が、「それなら、おまえの振り返りたい過去を三つだけ、再現してみせてやろう」という。  自分の過去の振り返りから、両親への愛を再認識するヨシキ・・・           

【完結】夫に穢された純愛が兄に止めを刺されるまで

猫都299
児童書・童話
タイムリープしたかもしれない。中学生に戻っている? 夫に愛されなかった惨めな人生をやり直せそうだ。彼を振り向かせたい。しかしタイムリープ前の夫には多くの愛人がいた。純愛信者で奥手で恋愛経験もほぼない喪女にはハードルが高過ぎる。まずは同じ土俵で向き合えるように修行しよう。この際、己の理想もかなぐり捨てる。逆ハーレムを作ってメンバーが集まったら告白する! 兄(血は繋がっていない)にも色々教えてもらおう。…………メンバーが夫しか集まらなかった。 ※小説家になろう、カクヨム、アルファポリス、Nolaノベル、Tales、ツギクルの6サイトに投稿しています。 ※ノベルアップ+にて不定期に進捗状況を報告しています。 ※文字数を調整した【応募版】は2026年1月3日より、Nolaノベル、ツギクル、ベリーズカフェ、野いちごに投稿中です。 ※2026.1.5に完結しました! 修正中です。

14歳で定年ってマジ!? 世界を変えた少年漫画家、再起のノート

谷川 雅
児童書・童話
この世界、子どもがエリート。 “スーパーチャイルド制度”によって、能力のピークは12歳。 そして14歳で、まさかの《定年》。 6歳の星野幸弘は、将来の夢「世界を笑顔にする漫画家」を目指して全力疾走する。 だけど、定年まで残された時間はわずか8年……! ――そして14歳。夢は叶わぬまま、制度に押し流されるように“退場”を迎える。 だが、そんな幸弘の前に現れたのは、 「まちがえた人間」のノートが集まる、不思議な図書室だった。 これは、間違えたままじゃ終われなかった少年たちの“再スタート”の物語。 描けなかった物語の“つづき”は、きっと君の手の中にある。

はるのものがたり

柏木みのり
児童書・童話
春樹(はるき)が突然逝ってしまって一ヶ月。いつも自分を守ってくれていた最愛の兄を亡くした中学二年生の春花(はるか)と親友を亡くした中学三年生の俊(しゅん)は、隣の世界から春樹に来た招待状を受け取る。頼り切っていた兄がいなくなり少しずつ変わっていく春花とそれを見守る俊。学校の日常と『お隣』での様々な出来事の中、二人は気持ちを寄せ合い、春樹を失った悲しみを乗り越えようとする。 「9日間」「春の音が聴こえる」「魔法使いたちへ」と関連してくる物語。 (also @ なろう)

アリアさんの幽閉教室

柚月しずく
児童書・童話
この学校には、ある噂が広まっていた。 「黒い手紙が届いたら、それはアリアさんからの招待状」 招かれた人は、夜の学校に閉じ込められて「恐怖の時間」を過ごすことになる……と。 招待状を受け取った人は、アリアさんから絶対に逃れられないらしい。 『恋の以心伝心ゲーム』 私たちならこんなの楽勝! 夜の学校に閉じ込められた杏樹と星七くん。 アリアさんによって開催されたのは以心伝心ゲーム。 心が通じ合っていれば簡単なはずなのに、なぜかうまくいかなくて……?? 『呪いの人形』 この人形、何度捨てても戻ってくる 体調が悪くなった陽菜は、原因が突然現れた人形のせいではないかと疑いはじめる。 人形の存在が恐ろしくなって捨てることにするが、ソレはまた家に現れた。 陽菜にずっと付き纏う理由とは――。 『恐怖の鬼ごっこ』 アリアさんに招待されたのは、美亜、梨々花、優斗。小さい頃から一緒にいる幼馴染の3人。 突如アリアさんに捕まってはいけない鬼ごっこがはじまるが、美亜が置いて行かれてしまう。 仲良し3人組の幼馴染に一体何があったのか。生き残るのは一体誰――? 『招かれざる人』 新聞部の七緒は、アリアさんの記事を書こうと自ら夜の学校に忍び込む。 アリアさんが見つからず意気消沈する中、代わりに現れたのは同じ新聞部の萌香だった。 強がっていたが、夜の学校に一人でいるのが怖かった七緒はホッと安心する。 しかしそこで待ち受けていたのは、予想しない出来事だった――。 ゾクッと怖くて、ハラハラドキドキ。 最後には、ゾッとするどんでん返しがあなたを待っている。

こわモテ男子と激あま婚!? 〜2人を繋ぐ1on1〜

おうぎまちこ(あきたこまち)
児童書・童話
 お母さんを失くし、ひとりぼっちになってしまったワケアリ女子高生の百合(ゆり)。  とある事情で百合が一緒に住むことになったのは、学校で一番人気、百合の推しに似ているんだけど偉そうで怖いイケメン・瀬戸先輩だった。  最初は怖くて仕方がなかったけれど、「好きなものは好きでいて良い」って言って励ましてくれたり、困った時には優しいし、「俺から離れるなよ」って、いつも一緒にいてくれる先輩から段々目が離せなくなっていって……。    先輩、毎日バスケをするくせに「バスケが嫌い」だっていうのは、どうして――?    推しによく似た こわモテ不良イケメン御曹司×真面目なワケアリ貧乏女子高生との、大豪邸で繰り広げられる溺愛同居生活開幕! ※じれじれ? ※ヒーローは第2話から登場。 ※5万字前後で完結予定。 ※1日1話更新。 ※noichigoさんに転載。 ※ブザービートからはじまる恋

処理中です...