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第三章:チーズの町、ミルクの風
48、食卓に広がるやさしさの輪(後半)
しおりを挟む「ねえ、ちょっと空の色……変じゃない?」
奏汰が空を見上げて言ったとき、私も思わず首をすくめた。午後の牧場はまだ明るかったけど、向こうの山の上には灰色の雲がもくもくと広がっていた。
「まさか……降るかな?」
「うん。あれ、雨雲だ。きっと来るよ」
私たちは慌てて、牧場の裏の飼料小屋にいた土屋さんに声をかけた。
「雨が降りそうです!」
「お、わかった。じゃあ今やってる作業、早めに切り上げよう。干し草は屋根のある場所に移しちゃおうか」
今日の午後は、牧場にある牛の餌のストックを移動させる作業をしていた。干し草や野菜くずを重ねて保管する「サイレージ」という発酵飼料は、雨に濡れると傷みやすくなるらしい。だから、にわか雨は作業中断の大敵だった。
私は手袋をつけ直し、干し草の束に腕を回した。でも――
「うっ……思ったより重い……!」
午前中の作業と違い、午後は疲れがじわじわと足腰に来ていた。干し草は空気をたくさん含んでいて軽そうに見えるけど、ぎゅっと詰まっていて意外にずっしりしていた。
「ことり、こっち持つよ」
奏汰が脇から手を添えてくれた。
「ありがとう……」
なんとか軒下まで干し草を運んだ瞬間、ポツッ、ポツッ……と冷たい水滴が肩を打った。
「来た……!」
次の瞬間、ざーーーーっ、と勢いよく雨が降り出した。空はすっかり鉛色になり、風がびゅうと吹き抜ける。
「一気に来たな。みんな、中に入って!」と土屋さんの声が響く。
私たちは小走りでサイレージの小屋へ駆け込んだが、地面はすでに泥がぬかるみ始めていた。
「わっ……!」
足がズルッとすべった。体が前のめりになって、転びそうになる――その瞬間、ガシッと誰かの手が腕をつかんだ。
「だいじょうぶ!? ことり!」
奏汰が必死に支えてくれたおかげで、なんとか転倒はまぬがれた。
「……うん。ありがとう、奏汰」
息を整えながら顔を上げる。私たちの服は泥だらけで、髪もぐっしょり濡れていた。
「雨、ほんとに急だったね……」
「でもさ、こういうのって、農家の人たちは毎日のことなんだよね」
ふと思い出した。昨日聞いた、酪農家・田島さんの話。
「昔は天気予報なんて信用ならんかったよ。外の空気と、雲の形と、牛の様子を見て、今日は来るなって勘で動いてたもんだ」
「ええっ、天気予報ないのに?」
「そう。家族で田んぼに出てても、突然空が暗くなって、バケツをひっくり返したみたいに雨が降る。そんなときは、みんなで声かけあって道具を運んで、ずぶ濡れになって……。でも、それも今思えば、大切な時間だったな」
田島さんの目は少し懐かしそうだった。
(昔の人は、もっと大変だったんだよね……今はこうやって、声をかけあえる仲間がいるから、まだマシかもしれない)
奏汰は黙ってうなずいた。
そのとき、私の心にふと湧き上がったのは、悔しさでも不安でもなく、あたたかい気持ちだった。
(転びそうになったとき、助けてくれる人がいる。雨の中でも、一緒にがんばってくれる人がいる。)
泥まみれの長靴を履いたまま、小さな笑いをこぼした。
「なんかさ、こんなに汚れたの、初めてかも」
「だね。ぼくも。泥って、冷たいんだね」
しばらくして雨が少し弱まると、他の作業スタッフたちも集まりはじめた。みんな服が濡れていたけれど、不思議と誰も不機嫌ではなかった。むしろ、笑い合っている。
「雨の日も、牧場は止まらないんだね」と私はつぶやいた。
「そう。仕事って、どんな日でも続いてるんだ」
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