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第三章:チーズの町、ミルクの風
52、はじめてのリコッタチーズケーキ(後半)
しおりを挟む家庭科室の一番奥、窓際の明るい調理台の前。私は両手で包むように、ラップに包んだ小さなチーズケーキを差し出した。放課後、勇気を振りしぼって声をかけた。
「先生、あの、これ……よかったら、見てほしくて……」
家庭科の佐藤先生は白衣姿のまま振り向くと、にっこり笑った。
「まあ、これはまた、立派にできたわね。ことりさんが作ったの?」
私はこくこくとうなずく。
「でも……ちょっと失敗してて。味が濃すぎるし、ふくらまなくて……。レシピ通りにやったつもりなんですけど……」
「そうね、じゃあ、ちょっと切って見てみましょうか」
佐藤先生は包丁を温め、ケーキをすっと切った。断面が見える。中心が少し詰まっていて、周りとの密度が違うのがわかる。
「ほら、ここ。中心だけ少し沈んでるでしょ? これはタンパク質の凝固のタイミングが合わなかったのね」
「たんぱくしつ……?」
「チーズや卵にはタンパク質が多いの。加熱すると固まるでしょ? でも、加熱しすぎると今度は縮むの。だから温度と時間のバランスがとても大切なのよ」
私はノートを広げて、一生懸命メモを取る。
「あと、甘さを白あんにしたのもおもしろい工夫ね。でも、白あんは糖分だけじゃなくてでんぷんも含んでいるから、水分のバランスが少し変わるの。そこも計算に入れないと」
「ええっ、白あんって、そんなに複雑なんだ……!」
「うふふ。お菓子って、ちょっとした科学実験なのよ。温度、時間、材料、すべてのバランス。たとえば、乳脂肪の働きもあるわね。チーズの油分が多いと、焼いてる途中に分離しやすくなるのよ」
「なるほど……!」
私の頭の中が、カチカチと音を立てて回りはじめる。
そこへ、同じクラスのいぶきがのぞき込んできた。
「なになに? ことり、またお菓子作ったの?」
「うん……まだうまくいってないけど、先生に見てもらってて」
「すごいじゃん! ねえ先生、これ食べていい?」
「もちろん。ことりさんがよければ、ぜひ意見を聞かせてあげて」
私がうなずくと、いぶきはぱくっとひとくち。
「うーん……最初はちょっとしょっぱく感じたけど、あとから白あんの甘さが来る。チーズの味はすごいしっかりしてる!」
「しょっぱ……かったか……」
「でも、なんかクセになる味だよ? レモンもうちょっと入れてみたらどう?」
私はノートに〈塩味強い→レモンでさっぱり感?〉と書き加える。
すると、家庭科室の奥で別の班の作業をしていた子たちもやってきて、
「なになに?」「ことりってお菓子得意なんだー」と囲まれるように。
「これ、何回ぐらい作ったの?」
「……三回。でも、まだ成功って言えないかも」
「うちもこの前失敗したよ! クッキーがまっくろ焦げになってさ。お父さんが石かと思ったって言ってた」
みんなが笑った。私も思わず笑ってしまう。
「なんか、失敗って、私だけじゃないんだね」
「うん、みんなしてるよー。うちなんかホットケーキが中ドロドロだったし」
「それ、あるある!」
佐藤先生も笑いながら、
「そうやって試してみることが大切なのよ」と言った。
「ことりさん、次の試作では段階的焼きを試してみたら? 最初は140℃でじっくり火を通して、そのあと160℃にして表面に焼き色をつける。焼き始めはあまりふくらませない方が、中央の沈みも防げるかも」
「なるほど……最初から高温じゃなくて、低温から始めるんですね」
「そう。お店でもそうしてる職人さん、多いのよ。家庭用オーブンだと、なおさらね」
「……家庭用とお店の違い、けっこうあるんですね」
「うん。でも、その分、家庭には柔らかさがある。ことりさんの白あんのアイディアみたいに、おうちだからこそって味も大事よ」
私は自分のノートの隅に小さな文字で書いた。
〈家庭の味は、失敗と試行錯誤の宝箱〉
「よーし、今度はがんばるぞ!」と立ち上がると、いぶきがにっと笑って言った。
「今度、私も味見係するからね!」
「えー、じゃあアドバイザーもお願いしようかな?」
「まかせといて!」
笑い合う声が、夕方の家庭科室に広がっていった。私の胸の中では、さっきまでの落ち込みがすうっと消えて、新しいアイディアがぽつぽつと芽を出しはじめていた。
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