恋や友情が、なくても

武内れい

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第二章:気まずさと距離感

40、わからなくて、あたりまえ(後半)

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 住宅街の細い道を抜けると、見慣れた橋の手前に出た。
 川沿いの道には、まだ誰の足跡もついていなくて、濡れたアスファルトが夕暮れの光を映していた。
 遠くで、子どもたちの笑い声がかすかに聞こえる。きっと、公園で遊んでるのだろう。
 それがなんだか遠くの世界みたいで、私は少しだけ立ち止まった。

 雨は、いつの間にかやんでいた。
 傘がいらないほどの静かな空気。
 見上げた空には、まだ雲がゆっくり流れていて、そのすきまからオレンジ色の夕陽がこぼれていた。

 まるで、世界が呼吸してるみたいだった。
 深く吸って、ゆっくり吐いて――それを繰り返すような、静かな時間。
 その中に、私の気持ちもすうっとなじんでいく感じがした。

(今の気持ちに、名前はまだないけど……)

 私は、そう思った。
 颯太のことを考えると、なんとなく胸があたたかくなる。
 あの、ちょっと不器用で、すぐふざけるところも、たまにまじめになるところも。
 思い出すと、うれしい気持ちと、ちょっと切ない気持ちがまざってくる。

 でも、「好き」って言いきれるほどはっきりしてない。
 それを無理やり言葉にしようとするのが、なんだか違う気がしてた。

 湊のことを思い出すときも、同じような感覚になる。
 あのとき、図書室で隣に座ってくれたこと。
 ただそれだけなのに、私はすごく安心した。
 言葉じゃない何かが、そっと自分の気持ちに触れてくれたみたいだった。

 そして、レナの笑顔。
 あの「よかった」の言葉に、まだひっかかっている私がいる。
 なんであんなふうに言ったんだろう、って。
 でも、もしかしたらレナもまた、自分の気持ちにちゃんと向き合おうとしてたのかもしれない。
 私にはまだわからないけど、全部が誰かのせいじゃない。
 関係って、いろんな気持ちが交ざってるんだ。

(……それでも、大事にしたいんだよね)

 私はポケットに手を入れて、指先をぎゅっと握った。
 プリントは入っていないけど、心の中にはまだあの文字が残っている。
 〈昨日は ごめん〉
 その五文字が、ずっと私の中にあって、私の気持ちをやさしく包んでくれている。

 ――誰かを大切に思う気持ちって、
 ――誰かからもらったやさしさって、
 ――すぐに名前なんてつけなくても、ちゃんとそこにある。

 それで、いいんだと思う。
 今の私にできるのは、そのことを忘れないようにすること。
 そして、少しずつでも、自分の気持ちとちゃんと向き合っていくこと。

 風がすこし吹いて、川の水面がさわさわと波打った。
 そのとき、私はふと空を見上げた。

 雲のあいだから、淡い光が差し込んでいて、
 そのとなりに、うっすらとだけど――虹のような色が見えた。

「……ほんとに、うっすらだけど」

 声に出してみると、なんだか笑ってしまった。
 だって、それがまるで、今の私の気持ちみたいだったから。

 はっきりしないけど、でもたしかにそこにある。
 うまく言えないけど、でもちゃんと心が動いてる。
 それが、今の私なんだと思えた。

「わからなくて、あたりまえなんだよね」

 私は空に向かって、小さくつぶやいた。
 そして、すこし背筋を伸ばして、もう一度歩き出した。

 靴の裏に残る水の感触も、
 濡れた道にうつる夕陽の色も、
 その全部が、なんだか今日の私の記憶として残っていく気がした。

 明日は、どんな日になるのかな。
 また何かに悩んで、また誰かとすれ違って、そしてまた、ちょっとだけ前に進めたら――
 それだけで、きっと十分なんだと思う。

 名前のないこの気持ち。
 だけど、私はこれを、大切にしたい。
 今はそれだけで、十分なんだと思えるようになっていた。

 私の中のわからない気持ちが、
 そっと、やさしい輪郭を持ち始めている気がした。
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