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第三の事件(中編)
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降りしきる雨の中、レジナルドは一人、ノースフォード伯爵邸を尋ねた。突然の来訪に、伯爵は多少驚いたようだったが、快く彼を応接間に案内した。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
伯爵は穏やかな口調でそう尋ねた。
「その前に役者が揃うのを待ちましょう。あぁ、丁度到着したようです」
レジナルドは目を合わせることなく、雨に濡れる窓の外を見つめたまま静かに答えた。程なくして応接間の扉が開き、舞踏会の出席者であり、この地区の治安判事を務めるノックス男爵が数人の警吏を伴って現れた。
「フォスター子爵、突然呼びつけるとは、一体何の用です。奥方のことでしたら弁護士と相談なさってください」
男爵は明らかに不機嫌な様子で、不躾に言い放った。
「マリアンヌを殺し、我が妻に罪を着せた真犯人について、です」
レジナルドの低い声が応接間の空気を一変させた。
「まず、前提が間違っているんですよ」
赤いベルベット張りのソファに腰を下ろしたレジナルドが、ゆっくりと語り始めた。
「私たちは表向きこそ夫婦ですが、実際には形だけの関係です。私との結婚を泣くほど嫌がっていたソフィアが今更マリアンヌに嫉妬するなんてありえない。動機が成立しない以上、ソフィアは犯人ではない」
そのきっぱりとした口調に、ノックス男爵は眉をひそめた。
「では一体、誰が伯爵夫人に毒を飲ませたというのです?」
「あの時のことをよく思い出してください。マリアンヌが倒れる前、彼女のドレスの紐が切れてはだけてしまうトラブルがあった。着替えるために彼女は一度席を外しました。その際、化粧直しもしていたのでしょう」
応接間の空気は静まり返り、誰もがレジナルドの次の言葉を待っていた。
「毒物は化粧品――具体的には、口紅に仕込まれていた。唇に塗られた毒が、ワインを飲んだことで体内に入り、彼女は死に至った。つまりダンス中に破損するようドレスに細工し、メイク直しを手伝うふりして唇に毒を塗った側付きの侍女こそが犯人です。マリアンヌが生前に使用していた口紅を調べれば、おそらく毒が検出されるでしょう」
「……伯爵夫人の侍女を拘束しろ」
男爵は険しい表情で警吏にそう命じたが、レジナルドが制した。
「待ってください。この推理にはまだ欠けているところがある――動機です。一体なぜ、一介の侍女がマリアンヌを手にかける必要があったのか」
その問いに、今まで沈黙を守っていた伯爵が初めて口を開いた。
「……妻は、普段から侍女に厳しく接していた。それが理由では……」
だが、レジナルドは静かに首を振った。
「本当にそうでしょうか。私はマリアンヌのことを昔からよく知っていますが、彼女はそんな理不尽な人間では無かった」
「ではなんだと言うんでしょう」
伯爵の声色には明らかに苛立ちが滲んでいた。レジナルドはそれに怯むことなく、懐から一通の手紙を取り出した。
「実は先ほど屋敷に手紙が届きましてね。どうやらマリアンヌが生前に手配していたものらしい」
---
親愛なるフォスター子爵閣下
突然このような私信を差し上げます非礼を、どうかご容赦くださいませ。
先日のウェストブルック伯爵家における一件において貴下とご令室の見事なご洞察をもって真相が明らかになったとの報を耳にしました。私のような者が貴下のご見識に頼るのは畏れ多いこととは存じながら、どうしてもお伝えせずにはいられないことがあり、筆を取っております。
単刀直入に申し上げますと、私の夫、ノースフォード伯爵オスカーが私の側付きの侍女と不義を重ねているようなのです。そればかりか、どうやら二人は私の存在そのものを疎ましく思い、私に危害を加えようとしている気配がございます。私が亡き父から受け継いだ財産の件も関係しているのかもしれません。
この手紙が貴方のもとに届くということは、私の身に何かが起きているのでしょう。
このようなことに貴下を巻き込むのはとても心苦しいのですが、どうか、真実を見極める手助けをお願い申し上げます。
貴下のご寛容な心に、一度だけ甘えさせてくださいませ。
深い感謝と敬意を込めて
マリアンヌ
---
レジナルドが手紙を読み上げると、伯爵は観念したように項垂れ、全てを認めた。
数年前より伯爵はマリアンヌの侍女と愛人関係にあった。その関係は程なくしてマリアンヌの知るところとなり、彼女は侍女の解雇を求めて伯爵と対立した。しかし伯爵は愛人を手放すことができず、ついには共謀して彼女の殺害を決意した。自分達に疑いが向かぬよう、あえてマリアンヌの元婚約者であるレジナルドとその妻ソフィアを舞踏会に招いたうえで、計画を実行に移したのだった。
その後の始末をノックス男爵らに託し、レジナルドはノースフォード伯爵邸を後にした。いつの間にか雨は止んでおり、雲の切れ間から淡い青空が顔をのぞかせている。待機させていた馬車に乗り込みながら、レジナルドは御者に行き先を告げた。
「グロヴナー・スクエアの留置所へ。……あの人を迎えに行かねば」
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
伯爵は穏やかな口調でそう尋ねた。
「その前に役者が揃うのを待ちましょう。あぁ、丁度到着したようです」
レジナルドは目を合わせることなく、雨に濡れる窓の外を見つめたまま静かに答えた。程なくして応接間の扉が開き、舞踏会の出席者であり、この地区の治安判事を務めるノックス男爵が数人の警吏を伴って現れた。
「フォスター子爵、突然呼びつけるとは、一体何の用です。奥方のことでしたら弁護士と相談なさってください」
男爵は明らかに不機嫌な様子で、不躾に言い放った。
「マリアンヌを殺し、我が妻に罪を着せた真犯人について、です」
レジナルドの低い声が応接間の空気を一変させた。
「まず、前提が間違っているんですよ」
赤いベルベット張りのソファに腰を下ろしたレジナルドが、ゆっくりと語り始めた。
「私たちは表向きこそ夫婦ですが、実際には形だけの関係です。私との結婚を泣くほど嫌がっていたソフィアが今更マリアンヌに嫉妬するなんてありえない。動機が成立しない以上、ソフィアは犯人ではない」
そのきっぱりとした口調に、ノックス男爵は眉をひそめた。
「では一体、誰が伯爵夫人に毒を飲ませたというのです?」
「あの時のことをよく思い出してください。マリアンヌが倒れる前、彼女のドレスの紐が切れてはだけてしまうトラブルがあった。着替えるために彼女は一度席を外しました。その際、化粧直しもしていたのでしょう」
応接間の空気は静まり返り、誰もがレジナルドの次の言葉を待っていた。
「毒物は化粧品――具体的には、口紅に仕込まれていた。唇に塗られた毒が、ワインを飲んだことで体内に入り、彼女は死に至った。つまりダンス中に破損するようドレスに細工し、メイク直しを手伝うふりして唇に毒を塗った側付きの侍女こそが犯人です。マリアンヌが生前に使用していた口紅を調べれば、おそらく毒が検出されるでしょう」
「……伯爵夫人の侍女を拘束しろ」
男爵は険しい表情で警吏にそう命じたが、レジナルドが制した。
「待ってください。この推理にはまだ欠けているところがある――動機です。一体なぜ、一介の侍女がマリアンヌを手にかける必要があったのか」
その問いに、今まで沈黙を守っていた伯爵が初めて口を開いた。
「……妻は、普段から侍女に厳しく接していた。それが理由では……」
だが、レジナルドは静かに首を振った。
「本当にそうでしょうか。私はマリアンヌのことを昔からよく知っていますが、彼女はそんな理不尽な人間では無かった」
「ではなんだと言うんでしょう」
伯爵の声色には明らかに苛立ちが滲んでいた。レジナルドはそれに怯むことなく、懐から一通の手紙を取り出した。
「実は先ほど屋敷に手紙が届きましてね。どうやらマリアンヌが生前に手配していたものらしい」
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親愛なるフォスター子爵閣下
突然このような私信を差し上げます非礼を、どうかご容赦くださいませ。
先日のウェストブルック伯爵家における一件において貴下とご令室の見事なご洞察をもって真相が明らかになったとの報を耳にしました。私のような者が貴下のご見識に頼るのは畏れ多いこととは存じながら、どうしてもお伝えせずにはいられないことがあり、筆を取っております。
単刀直入に申し上げますと、私の夫、ノースフォード伯爵オスカーが私の側付きの侍女と不義を重ねているようなのです。そればかりか、どうやら二人は私の存在そのものを疎ましく思い、私に危害を加えようとしている気配がございます。私が亡き父から受け継いだ財産の件も関係しているのかもしれません。
この手紙が貴方のもとに届くということは、私の身に何かが起きているのでしょう。
このようなことに貴下を巻き込むのはとても心苦しいのですが、どうか、真実を見極める手助けをお願い申し上げます。
貴下のご寛容な心に、一度だけ甘えさせてくださいませ。
深い感謝と敬意を込めて
マリアンヌ
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レジナルドが手紙を読み上げると、伯爵は観念したように項垂れ、全てを認めた。
数年前より伯爵はマリアンヌの侍女と愛人関係にあった。その関係は程なくしてマリアンヌの知るところとなり、彼女は侍女の解雇を求めて伯爵と対立した。しかし伯爵は愛人を手放すことができず、ついには共謀して彼女の殺害を決意した。自分達に疑いが向かぬよう、あえてマリアンヌの元婚約者であるレジナルドとその妻ソフィアを舞踏会に招いたうえで、計画を実行に移したのだった。
その後の始末をノックス男爵らに託し、レジナルドはノースフォード伯爵邸を後にした。いつの間にか雨は止んでおり、雲の切れ間から淡い青空が顔をのぞかせている。待機させていた馬車に乗り込みながら、レジナルドは御者に行き先を告げた。
「グロヴナー・スクエアの留置所へ。……あの人を迎えに行かねば」
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