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一章 八歳で抱いた夢

(2)近所のお兄ちゃんの帰省

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 ついに、ナイローグが帰省した。

 村に戻ってくるのは三ヶ月ぶりで、戻ってきたその日にすぐに我が家にも挨拶に来てくれたようだ。丘の上にいた私は、やってくる背が高い黒髪の人……ナイローグを見つけると、すぐに駆け下りた。そして、そのままの勢いで居間に入った。
 ナイローグはそんな私を見て、大袈裟に眉を動かして笑った。

「なんだ、シヴィル。少しは大人しくなったかと思ったら、相変わらずの姿だな!」

 旅装を解いてこざっぱりした姿のナイローグは、笑い混じりに話しかけてくる。
 これはいつも通りの再会の言葉だ。年の離れた幼馴染のお兄ちゃんは、いつもこんな風にからかってくる。
 そのくせ、私の頭を撫でる手は優しい。手の心地よさに緩みそうになる顔を引き締め、私は頬を膨らませて何か言い返そうとした。

 ……でもその時、私は強い視線を感じて振り返った。
 つられてナイローグもそちらに目をやり、そこに立っていた母さんの表情に、はっとしたようだった。

 どうやら、これは……いわゆる薮蛇だったらしい。
 ナイローグもそう悟ったのだろう。年齢より落ち着いた大人の表情を、昔見慣れていた悪ガキの表情に変えて、ゆっくりと目をそらした。

「……なあ、これは……失敗した、かな」
「あー……ちょっとそうかも……」
「すまない、シヴィル」
「…………うん…………」

 私も母さんから目をそらして、こっそりとナイローグの後ろに隠れようとした。
 でもその前に、母さんの細くて白くてきれいな手が私の肩を押さえていた。
 ……い、いつの間に……?!

「シヴィル。私が何を言いたいか、おわかりかしら?」

 ……あ、はい。もちろんおわかりです。
 母さんの言いたいこと、考えていることがわからないはずがない。
 正直に言えばわかりたくないけれど、私と同じ色の黄緑色の目が金色に見えるほど冷ややかなのを見ればわかってしまう。
 静かに深く怒っている。何についてかと言えば、間違いなく私の格好についてだろう。


 こっそりとため息をついた私は、素直に母さんの長い長い説教を受けた。
 母さんが言いたかったのは、外遊びのままの服装についてだ。
 外遊びのための服、それはもちろんヘイン兄さんからのお下がりで、いわゆる男装と言うことになる。

 私はスカートも嫌いではないよ?
 でも周囲の反応がなんか気になってきたから、外では男装に徹している。……もちろん動きやすいから、という理由が大きいんだけど、残念ながら母さんは服装にとてもうるさい人だった。
 それは以前から知っているし、そう言う身なりに厳しいところが母さんらしいと思う。
 八歳といえば、早い子では将来を見据えた修行を始める年齢なのもわかっている。あのに、ただ動きやすいから、周囲の視線が面倒でないからと言う理由で兄さんのお下がりを着ている私は、ちょっと目に余るのだろうなとは思う。
 説教したくなる気持ちも、一応はわからないでもないのだ。

 でも、説教が長い。
 しつこい。
 それに何と言っても長すぎる。
 ……いつものこととはいえ、母さんのお言葉を聞きながら、私は思わず目が遠くなっていた。

 ナイローグが帰ってきたのを見て、大急ぎで戻ってきて、着替えをする前に居間に飛び込んできてしまっただけなのに。
 いつも口うるさく言われているのに後回しにしてしまったのは、かなりうっかりしていたと一応は反省している。
 でも、子供らしく浮かれていただけじゃないか。
 ひどいよ、母さん……。


 そんな私に同情してくれたのだろう。
 優しいナイローグは、母さんの説教にさりげなく割って入ってくれた。

「エイヴィーおばさん。ヘインからの手紙によると、家の中ではいつもスカート姿でいるようになったそうですね」
「そうなのよ。最近はようやく、女の子らしい格好もしてくれるようになってくれたわ。でもね、この子ったら服だけは女の子なのに、あとは男の子そのものなのよ」
「……えっと、まあ、シヴィルは元気な子ですね」
「元気すぎます。今も、見てごらんなさい。あの姿。もう八歳になったのに、とても女の子には見えないわ。お肌もあんなに日焼けしてしまって。毎日あれだけ走り回って、傷跡が残っていないことだけが救いです。この間も、牧場を手伝ってくれたのはいいのだけど、崖から落ちそうになって……」

 ナイローグは、母さんの説教から私を救ってくれた。
 ……彼自身が犠牲となって。

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