無自覚少女は夢をあきらめない 〜鏡を見ろ? 何を言われても魔王を目指して頑張ります!〜

ナナカ

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幕間 頭を抱える男

(48)えっと、ナイローグ?

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 パズラスが扉を開けて入った時、部屋の主である人物は珍しい格好をしていた。
 外出をした時の私服のまま、執務用の机で頭を抱えていたのだ。
 この部屋の主であるナイローグは、私的時間と勤務中の時間を明確に分けることで有名だ。職業上、私的な時間に制服を着ていると目立ちすぎるためでもある。
 だから、いつものナイローグなら、外出からこの部屋に戻れば速やかに制服に改めている。そしてこの部屋の執務机の前に座ったら、その瞬間から彼の地位にふさわしい表情に切り替えて仕事を始めるはずだった。

 なのにナイローグは服を改めないまま、机に両肘をついた姿で頭を抱えている。
 弱みを見せていると言えばその通り。
 これが他の男ならば、あるいはもう少し隙が無ければ、寝首をかいてその地位に成り代わってやろう!と狙う同僚たちが歓喜していたかもしれない。
 しかしこの有り様を見てしまったパズラスとしては、異常事態過ぎて動揺してしまった。これでは同僚たちが気味悪がって執務室に近付かないはずだ。仕事仲間となって十年以上経っているパズラスですら、ナイローグのこんな姿を目にするなんて想像もしていなかった。
 パズラスは戸口で深呼吸をして、何度か咳払いをしてから声をかけた。

「あー、えっと、ナイローグ?」
「……何か用か?」
「ああ、よかった。聞こえていた。例の件の準備が進んでいるという報告に来たんだけど」
「……そうか。問題は起こっていないな?」
「一部の野郎どもが無駄に張り切っているくらいかなぁ。もちろん、命令が下ればすぐに行動できるっすよ」
「そうか、わかった」

 声だけは冷静なナイローグは、ふうっと大きく息をつく。
 のろのろと頭から手を離し、ようやく顔を上げた。それから戸口に立ってままのパズラスに一瞬だけ視線を向け、机の上に広げっぱなしだった書類をざっと集めて片付け始めた。
 その途中で、ふと手が止まる。一枚の紙を取り分け、無言でそれに目を落とした。
 離れて立つパズラスにはその紙ははっきり見えない。しかし、分厚い紙質と表面の金の飾り文字はわかった。彼自身もつい最近同じ紙を眺めていた。だからナイローグが何を見ているのかはわかる。
 ただし、その心情はわからない。思いつめたような目をしている気がして、再び動揺しそうになる。
 しかし廊下を気にしながら口を開いたのは、その仰々しい紙の内容についてではなく、全く別のことだった。

「えっと、それから、実はもう一件、用があるんだけど。どちらかと言えば、こっちが本命というか……」
「何だ? また誰かが女の取り合いでもしそうなのか?」
「幸いまだそういう話は聞いていないかなぁ。実は、その……お客様っす」
「予定のない来客は、事務官を通すという規則が……」
「いやいや、何というか、たぶん事務官なんかは通さない方がいい人じゃないかなぁ。身分証はしっかりしているんだけど、しっかりしすぎているというか、はっきり言ってあの顔はかなりマズイというか。……どうぞ入ってください」

 パズラスは一人でぶつぶつつぶやき、ナイローグの返事を待たずに廊下に顔を出して小声で招いた。
 ナイローグは、珍しい行動に不審を覚えて目を細める。
 パズラスの招きに応じて入ってきたのは、頭からすっぽりと外套を被った人物だった。
 どちらかと言えば大男の部類に入るパズラスと同じくらい背が高いが、外套越しに見える体型はほっそりしている。明らかに人目を避けている姿は怪しげで、警戒心の強いパズラスという男が手順をすっ飛ばして連れてきた行為が一層不審に思えた。

 ナイローグはさりげなく剣に手をかけながら、手元の紙を横に避ける。そしてゆっくりと近づいてくる不審な客の動きを目で追う。しかし身体の動かし方に見覚えがあると気づいた時、予定外の客は頭からかぶっていた外套のフードを外した。
 途端に、素っ気のない部屋が明るくなるような華やかな金髪があらわになった。さらりと揺れる髪を手櫛で軽く整え、ナイローグににっこりと笑いかけた顔はびっくりするほど整っていた。

「突然押しかけてごめん」
「……ヘイン……! どうしてここに?」

 慌てて立ち上がりながら、ナイローグは呆然とつぶやいた。
 ヘインとは同郷の幼馴染みという以上に親友だ。彼が村からほとんど出ないことも、その理由もよく知っている。
 そんな親友が、村から遠く離れた都に来るなんて考えたこともなかった。
 しかし混乱の中でも、ナイローグの頭の一部は冷静さを保っていた。素早く廊下に出て、周辺に誰もいないことを確認する。それから扉を注意深く閉めて、やっと息を吐いて親友を振り返った。

「お前がここに来るなんて、いったい何があったんだ?」
「うん、それなんだけれど……」
「あ、はい、すぐに退室しますよ。ついでに俺は何も見ていません。とんでもない人にそっくりな気がするなんて、絶対に思いませんから!」
「悪いな、パズラス。あとで説明する」

 察しのいいパズラスは、見事な素早さを発揮して退室した。それを見送り、ナイローグは自分の執務机の上を見ている親友を観察した。
 ヘイン自身に特別な変化はない。
 いつも通りに落ち着いていて、顔色も気配も健康そのものだ。ただ表情はどうだろうか。簡単には心情を探らせないヘインではあるが、長年の付き合いのあるナイローグには若干の違和感があるように感じた。

「……村で何かあったのか?」
「いつも通り、村は平和そのものだよ。ああ、そう言えば君の末の妹さんが二人目を身ごもったらしいよ。子守は任せておけっておばさんが張り切っていた」
「そうか。……ヘイン、そろそろ話してくれ。訳が分からないと落ち着かないぞ」

 窓辺に行って、窓の外の気配も探りながらそう言ったが、ヘインは机の上にあった厚手の紙を手にして振り返った。

「ナイローグ。これは遺言状だよね? 日付が今日になっているということは、書き直したところかな?」
「……そうだ。近いうちに私も実戦に出ることになっているんだ」
「君の地位で出るのは珍しいな。しかも、わざわざ遺書を書き直すなんて、よほどの相手なんだね」
「ああ、正規兵や傭兵では全く歯が立たなくて、領主がなりふり構わず泣きついてきた案件だ。魔法使い連中には全面協力させるつもりだが、我々でもどうなるかわからない」
「それでこの遺書? でも内容は……相変わらずだな」

 指先でピンと紙を弾き、ヘインは苦笑した。
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