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ドーバス侯爵家の婚約者 【過去】
(16)華やかな人
しおりを挟むフィオナが新しい婚約の話を聞かされたのは、五度目の婚約が白紙になった二年後。
十七歳になってすぐだった。
突然、父カーバイン公爵の執務室に呼ばれたのはいつも通り。憮然とした顔の弟シリルが先にいることも見慣れてきた。執務室にいるのは、父と弟だけ。来客はない。母もいない。
家族の話ではあるけれど、公爵夫人はこの場にいない方が望ましい用件。つまりは、また自分の婚約関係なのだろう。
……と思ったが、それにしては父の手元に書類がない。
違う用件だったのだろうかとフィオナが密かに首を傾げていると、微妙に目を逸らしているカーバイン公爵が咳払いをした。
「これは、断っても構わない」
「……父上。前置きがそれでは、話の順番が違いませんか?!」
「ん? そうか? いや、これが正しいと思うぞ」
父の唐突な言葉に、少し慌てたようにシリルがそっと囁いた。
でもカーバイン公爵は首を傾げている。
野心とかやる気とか緊張感とか、そういう政略を感じさせるものが欠片もない。やはり別件だったのかもしれない。そう思いつつ、フィオナは念のために確認することにした。
「お父様。お呼びの用件は、私の結婚に関するお話かと思ったのですが」
「うむ。お前の結婚についての話だ」
そう口では重々しい言葉を言っているのに、表情は相変わらずやる気がないままで変わらない。
切れ者として知られるカーバイン公爵らしくもない、気の抜けた顔をしている。
まるで庭を荒らす猫の話を始める時のようだ。
ますますフィオナの不審感が募った。
確認のために、弟にそっと目を向けてみる。シリルは母親似の美しい顔を、酸っぱいものを口にしたときのようにしていた。
……あれはいったいどういう顔なのだろう。
密かに首を傾げたフィオナは、改めて父に向き直って、もう一度確認のために質問した。
「お父様。私の婚約に関する話なのに『断ってもいい』とは、どういう意味があるのでしょうか?」
「うん、とても簡単な話だぞ。相手が好ましくないのだ。いや、条件としてはいいぞ。侯爵家だし、後継ぎだし、領地は王都からそれほど離れていない。条件としては完璧なのだが、相手の人格がよろしくない」
牛の毛色の好みを聞かれたかのように、全く熱意のないカーバイン公爵は深いため息をつく。
それからようやく顔を上げて、執務机の前に立っているフィオナを見上げた。
「ドーバス侯爵の長男オーディルだ。多少は噂は聞いているだろう?」
多少どころか、かなりの噂を聞く人物だ。
フィオナは父と弟の表情の謎が解けた気がした。
しかし口にしたのは、できるだけ穏便で控えめな表現を選んだ。
「……女性関係が華やかな方、とだけは耳にしています」
「そう、華やかなのだ。誠実さとは無縁のどうしようもない遊び人だな。相手を泣かせるような遊び方ではないようだが、なんというか、取り止めがないというか、誠実さがないというか、とにかく気に入らない」
ならば、なぜ婚約という話になっているのだろう。
フィオナは弟を見た。
十五歳になって最近また背が伸びてきたシリルは、はあっとため息をついてから姉を見た。
「姉さんのために、僕も目一杯に調べてみたよ。でも、どれだけ調べても変態じゃないし、乱暴な話もない。実は何度か直接話をしたこともあるけど、かなり頭がいい人だと思ったね。実際にね、まじめに通っていた時期限定だけど、学問院では滅多にないレベルに優秀だったらしいんだよ。教授陣は絶賛していた。ただ女性関係が華やかというだけなんだよね。……うん、最悪な相手かもしれない」
一通り語って、シリルはまたため息をついた。
この弟は若いけれど極めて優秀だ。シリルが最悪というのならそうなのだろうし、優秀な面もあるというのなら間違いないのだろう。
フィオナは弟の判断には絶大な信頼を置いている。
とはいえ、この縁談は不自然だ。条件は悪くないにしろ、父と弟が積極的に拾ってきた縁談とは思えない。どこからか持ち込まれたはずだ。
でも、どこからもちこまれたのかをまだ聞いていない。
フィオナはじっと父親を見つめる。カーバイン公爵は深いため息をついてから、少し姿勢を正した。
「……実はゴーゼル殿が、ぜひこの男を、と言っていてな」
「ゴーゼル大叔父様ですか?」
ゴーゼルは、前代公爵の弟……フィオナの祖父の弟に当たる人だ。しかも、カーバイン公爵が若い頃の学問の師匠でもあったらしい。
フィオナも何度となく歴史を教えてもらった。
厳しいが、潔癖なほど公平な人物だ。
カーバイン公爵は娘から目を逸らして、愚痴のように続けた。
「……ゴーゼル殿は『あの男は碌でなしだが、フィオナのようなしっかり者を娶らせれば落ち着くだろう』と言っていてな……。それくらい素質は良い男なのは私も否定しないのだが。正直に言えば、私としては断りにくいが、若い娘に浮気性の男など不潔でしかないだろう。嫌悪感がある相手はどうしようもない。うん、絶対にありえないから、断ろうっ!」
「お父様。私はまだ何も言っていませんよ」
「いや、よいのだ。心の中の声が聞こえた。もうそういうことにして断ってしまおう。シリル、手紙の準備をしてくれっ!」
「お父様。ゴーゼル大叔父様の推薦なら、断るのは得策ではありません」
フィオナがそう言うと、立ち上がりかけていたカーバイン公爵は黙り込んでしまった。
やはり、本当は断りにくいのだ。
ゴーゼルにはいろいろ世話になった上に、すでに老齢。そんな人物の推薦となると、百戦錬磨の老獪なカーバイン公爵も断りにくいらしい。
しかも「女性関係」以外の条件は最良とも言える。なんと言っても王国有数の大貴族ドーバス侯爵家なのだ。
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