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第十九話 ねね様

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加藤清正は肥後に帰った後も悔いていた。

ーーなぜ、三成襲撃など企ててしまったのか?

弁舌に長ける黒田長政に唆されてしまった自身の軽率な行動。
その結果、加藤嘉明という親友や配下の武将たちが討たれてしまい、No.2だった飯田覚兵衛も石田三成の元に行くこととなった。
しかも、三成から謝罪され、彼は隠居となってしまった。
それ故、三成自らが動かなければ永遠に彼に対する恨みを晴らす機会がなくなってしまう。

ーーあの時、皆が口に出さなかった……いや、出せなかったが北政所様は明らかに三成側だった……なぜだ? あの方の目は未来を見据えている。太閤殿下がいなくなってから過去にしか興味がなかったはずだ!

清正は様々な思考を錯誤していた。

そんな中、清正にとって絶望的な出来事が起こる。

彼の元に家康の使者がやってきたのだ。

ーーまさか、家康殿の耳に……

使者の緊張した面持ち……それで全てを察した。

清正は背筋が凍りつき、顔面蒼白となる。

ーー全てが終わった。

彼は島津と伊集院の争い、庄内の乱に関与していたのだ。

それも伊集院側として。

これは解決に向けて動いていた徳川家康への裏切りである。
清正は大坂に入り、家康と謁見する。
しかし、彼は冷たい視線を清正に送り、謝罪にも頷くのみ。
家康の世となれば、冷遇は目に見えている。

ーーだが、三成につくことだけはしたくない。


戦が近いのだろう。

大きな戦があれば、毛利側につくようにと使者が来るが度々来るが全て拒否していた。

しかし、ある日、大名となった方正孝直が毛利の使者として現れた。

ーー面倒だ。北政所様に近い大名からの頼みといえど、三成に与するわけがないであろう。

相変わらず、清正は三成と通じているであろう毛利とは組めないと拒否する。


だが、今日は雰囲気が違う。

ーー此奴の余裕……いったい……

孝直が笑みを浮かべて言う。


「ならば仕方ありませぬな。外を見てください」

清正が城の外を見ると、小西行長、毛利一族の旗を持った数千の兵士たちが取り囲んでいた。


「これはどういうことだ?」

「見て分かりませぬか? もはや、言葉など必要ないでしょう」


清正は怒り、孝直に怒鳴り散らす。

「貴様! 勝手に戦など仕掛けよって、タダで済むと思うておるのか?」

清正は武力に長けており、様々な戦場で活躍してきた……なのに今、名も知らぬ北政所の与力に生命を脅かされている。
もし、飯田覚兵衛や亡くなった武将たちがいれば、清正はこの軍勢に気づき防ぐことができただろう。
自身の力の無さ……それにも清正は苛立ちを感じていた。

「戦を勝手に? これだけの軍を動かすこと、ねね様、淀殿、毛利輝元殿、小西行長殿に許可を得てないとでも?」

徳川家康は加藤清正のことを見放していて、それは周知の事実となっている。
今さら潰されようが何とも思っていない。

ーーもはや、これまでか……いや、まだ大丈夫だ!

しかし、徳川家康側にいる九州の大名・鍋島、黒田は違う。

清正は刀抜きを孝直の首に刃を向ける。

「その首を貰い受け、籠城致す」

孝直は笑みを浮かべたまま答える。


「ほう、では、貴方様の兵士はどこにいらっしゃいますか?」

清正は孝直の態度に苛立ち、刃の先を彼に少し当てる。
孝直の首から一滴の血が流れる。

「フン! 又蔵や忠広もわずかながら兵を率いておる。毛利や小西がにわかで作った兵とは違う!」



「清正様! 見損ないましたぞ!」

襖がバッと開くと、生き残っていた清正配下の猛将の一人・木村又蔵がいた。

清正は驚き叫ぶ。

「こ、これは如何なることぞ!? 又蔵! 早よ、配置につかんか!」

孝直は周囲の険悪な雰囲気を気にせずに淡々と話し出す。

「私は北政所様の直属の配下であることをお忘れかな? これは豊臣家……ねね様へ刃を向けたのも同然では?」

清正はハッと刀を落とし、急いで鞘の中に入れる。

又蔵が涙ながらに話し出す。

「私たちは大恩ある豊臣家のために動いていた清正殿について参りました。ですが、この有様! この又蔵と共にこの場で腹を切りましょう!」

清正は焦る。

「ち、違う! 此奴の口車に乗せられただけよ! これを聞きつけた黒田、鍋島の援軍に来るであろう!」

孝直はわざとらしく頷きながら

「あれ? 黒田殿と鍋島殿も豊臣家に弓引くおつもりですかな? いいことを聞きました。内府殿(徳川家康)に報告せねば。会津上杉よりも黒田鍋島を攻撃せよと」


と話す。
彼は今、気づいた。
大名となった自分に驕りがあったことを。
その驕りに傲慢となり、三成と対立してしまったことを。

ーー確かに三成も悪かった。しかし、俺にも非がないかと言われたらそうではない。
今のように情けない姿を見せていた。

清正は死を覚悟して言う。

「わかった。ここで果てよう。この一件、黒田と鍋島は関係がない。良いな?」

孝直は冷静に鼻で笑いながら清正に言う。

「果てるですと? 何を思い上がったことを……」

孝直の言葉に清正は苛立ちを覚えた。

「思い上がりだと?」

「はい。もはや、あなたに権力などはありません。この畳よりも価値がないのですよ……ここで血を流すのは畳に失礼と言うもの。ですが、三成殿はお優しい。清正殿は今後、対馬にて宗殿の配下となり、有事の際に他の国々からの侵攻を前線で防いでいただきます」

「では、この地はどうなる?」

「ご安心を。小西行長殿が治める手筈が整っております」

又蔵が号泣しながら言う。

「清正様! 共に対馬に向かいましょう。これ以上、豊臣家に刃を向けるのは武士の名に恥じまする!」

孝直が又蔵の心意気に関心しながら言う。

「実に素晴らしい。どうですか? 又蔵殿、私の配下として共に闘いましょう。"不義理な賊軍"と」

又蔵は言う。

「もし、私が命を賭して闘えば、加藤家の再興はございますか?」

「ええ、勿論ですとも。では、宜しいですか?」

「かしこまりました」

孝直は立ち上がる。

「では、早速準備に取り掛かりましょう」

清正は大局を見る目を間違えたことを悔い、号泣し始めた。

「悔しい! 情けない! 一時の情であろうと、育てていただいたねね様、太閤殿下に弓を引くとは……」

孝直は「仕方ない」と言いたげなため息を一度して話し始める。


「あなたのような方に私の考えを話すのはもったいないのですが、一つだけ……」

清正はハッと顔を上げて孝直を見る。

「ねね様はあなたのことを自身の子と同じと考えられていました。母という存在は、いつの時代であっても、どんな醜悪な姿を晒しても息子には生きてほしいと考えるものです。ご自身の軽率な行動で自害を考える前にねね様の顔を思い浮かべてはいかがでしょうか?」

その話を聞くと、清正はまた顔を伏せ号泣するのであった。

加藤清正は情の人である。

池田輝政の母が病気になった際は心配し、手紙を書いている。
何より関ヶ原後の豊臣家を守ろうとした行動も情の深さから本心からの行動だった。
しかし、情が深いために情に流され、史実では家康には利用され、此度は孝直に屈してしまった。


これが肥後加藤家の改易が決定した瞬間である。

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