修復術師のパーティメイク――『詐欺術師』と呼ばれて追放された先で出会ったのは、王都で俺にしか治せない天才魔術師でした――

紅葉 紅羽

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第四章『因縁、交錯して』

第三百十一話『約束』

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――空っぽなのに、夢を見ていた。

 いつかツバキと肩を並べて、一緒に笑いあう夢を。いつか自分が弱いせいで取り落として、一生訪れなくなった現実を。もう叶わないであろう光景を、見ていた。

 自分が弱いことなんて散々突き付けられたのに、どうしてまだそんなことを望めるのだろう。それがかなわなかったのは自分の生なのに、どうしてまだ願う権利があるだなんて思えるのだろう。……つくづく、傲慢で身の程知らずな自分が嫌になる。

 今までだって、自分を罰するチャンスはいくらでもあったのだ。成すすべなく姉をさらわれたとき、初めて人を手にかけた時、十年の時を経てもなお敗北した時。自らの弱さを呪う機会なんていっぱいあって、その度にメリアはそれを無視して突き進んできた。何を今さら、幸せを夢見ようとしているのだろう。

 メリア・グローザは負けてきた。何度も何度も、勝ったことがないと言っていいぐらいに負けてきた。その度に死に損なって立ち上がって、また負けてを繰り返してきた。

 その敗北の連鎖に、一体何の意味があったというのだろう。たくさんの人だけを無為に巻き込んで、ただ不幸になった人数を増やしただけじゃないのか。――あの時誰かが言っていたことが、やっぱり正しかったんじゃないのか。

 叶うなら、メリアだって見てみたかった。母親の才能を全部受け継いで、完全な『影の巫女』として覚醒するツバキの姿を見たかった。きっと里のほとんどが望んでいたそれを、メリアだって同じように望んでいた。……その可能性を永遠に潰したのは、ほかならぬメリアだというのに。

 メリア・グローザがツバキの双子の弟である限り、ツバキに課せられる運命は変わらない。負けて負けて負け続けて、その上人の運命を歪め続ける。そんな人間が、どうしてまだ――

『――あれだけ言ったのに、まだ分かってないみたいね』

「……う、え?」

 そうしてまた自己否定に沈んでいこうとしたメリアの心を、鋭い声が引きとめる。……それは、さっきまで殺し合っていたはずの敵――リリスのものだ。

『聞かなかったの? あなたに死んでほしくないって願った人が、この世界には確かにいる。その人が願うのをやめない限り、あなたがどれだけ死にたくても死ぬことなんてできないわよ。というか、私が意地でも許さないわ』

「え……え?」

 確かに、リリスと一言二言言葉を交わしたような記憶はある。だが、ここまで言われてはいなかったはずだ。……なら、これはいったい誰の声なのか。

 そう思うのと同時、メリアの中であやふやだった記憶がだんだん明瞭なものに復元されていく。――自己否定が生み出した影の球体からメリアはどうしてだか救い出されて、それで。

『……影よ、メリアを――ボクの弟を救ってくれ‼』

「……ねえ、さん」

 その必死な声を、はっきりと思い出す。メリアは死に損なったのではない、生かされたのだ。他の誰でもない最愛の姉の願いによって。どれだけ自分を否定しようとしても、ツバキはそれを許してくれなかった。

 そのことに気づいた瞬間、ただただ暗闇だけがあった空っぽな空間にひびが入っていく。空っぽだと思い込んでいた世界がニセモノだと、その崩壊が少しずつ証明していく。――その刹那、メリアの脳内に蘇る一つの記憶があった。

『――あー、おばさんメリアの悪口を言ってる!』

 まるで世界一の巨悪を見つけたかのような声とともに幼いツバキが茶室に乗り込み、さっきまで流れていた重苦しい空気を一掃する。……それは、メリアが自分の存在を否定するきっかけになった記憶の続きだった。

『メリアの悪口はダメだよ、ボクが許さない! たとえお母さんが何も言わなくても、ボクはちゃんと怒るんだからね!』

 堂々と正面に立ち、メリアの存在を否定した女性の言葉をツバキは声高に糾弾する。誰よりも格好いい姉の姿が、そこにはあった。

『メリアはいなくなっていい子なんかじゃない、ボクの大切な弟だ! 次にひどい事言ったら、ボクもおばさんにひどいことをするんだからね!』

「……あ」

――どうして、こんな大事なことを忘れていたのだろう。ツバキは一度だって、メリアの事を『要らない』だなんて言ったことはなかったのに。一番必要としてほしい人に、メリアはいつだって必要とされてきたのに。

「……僕は、どうしてそれを」

 リリスに言われた『視野が狭い』という言葉が、今になってメリアの胸に突き刺さる。自分を否定するような言葉ばかりを覚えて被害者を気取っていたなんて、それこそお笑い種でしかなかった。

 生まれてから今に至るまで、メリアが『要らない子』だったことなんてなかったのだ。ずっとずっとツバキに必要とされて、ツバキに想われて生きてきた。その視線に気づかないでいたのは、他でもないメリア自身だ。

 そのせいで勘違いして、ツバキにとって大切な人のことまで憎んで、殺そうとして。……それなのにまだ、ツバキはメリアの事を想ってくれるのか。必要だと、そう言い切ってくれるのか。

『ボク一人じゃ困っちゃうことってのが、いつか必ず出てくると思う。……だからその時は、メリアがボクのことを助けてくれるかい?』

――小さい頃にそんな風に聞かれたのを、メリアは今更ながらに思い出す。その時、メリアはなんて答えたんだっけ。…………『僕より才能のあるツバキが困ってることを僕が解決できるわけないでしょ』なんて思いながら、でも小さく頷いたような気がする。

「……姉さんは今、困ってることとかあるのかな……?」

『メリアが居てくれたら』と思ってくれたことが、今までにあったのだろうか。――少しでも多かったら嬉しいなと、今は素直にそう思う。

 しかし、その問いは今さらツバキに投げかけるものではない。その権利を自分から手放したメリアが、答えを得られるわけもない。――そう自嘲気味に笑った、その時の事だった。

『――ああ、とてもとても困ってる。もしかしたら、ボクの力だけじゃどうにもならないかもしれないね』

 ひび割れた世界の隙間から光が差して、ツバキの声が聞こえてくる。その声は今までにないぐらいに弱々しくて、自分の無力を嘆いているかのようだった。

 それを聞いて、メリアの心の奥底から何かが湧き上がってくる。もう何も残っていないと思っていたところから、あまりに強くふつふつと。

――この十八年間、メリアはずっとたくさんのことを間違え続けてきた。その挙句にいろんな失敗をして、行きついた先がこの場所だ。……ここから何をしたって、全部今更なのかもしれない。何もかもを取り返すには、積み重ねたやらかしの数が多すぎた。

 だけど、だからこそメリアは今問いかけたいのだ。……ずっとメリアの事を必要だと言ってくれた、この世界で最も尊敬できる姉に。

「……姉さん、僕の力は必要?」

『ああ、もちろんだよ。君は最初から必要ない子なんかじゃない』

 願望交じりの質問に、ツバキの声は間髪入れず期待通りの答えを返してくれる。願わくばそれがメリアが作り出した都合のいい幻聴でなければいいと、そう願わずにはいられなかった。

 メリアを取り囲んでいた空っぽの世界はもうほぼ崩壊して、光が強く差し込んでいる。そこに手が届くまで、あともう少しだ。あともう少しで、メリアもその世界にたどり着ける。

『メリア。もしボクが……お姉ちゃんが困っていたら、君は助けてくれるかい?』

 その時、今度はツバキから一つの質問が投げかけられてくる。……それはまるで、あの日に交わした約束の焼き直しのようだった。

 あの時は素直に頷くことが出来なかったけれど、今はもうその答えに迷う必要なんてない。姉の問いかけになんて答えるべきか、その答えは胸の中にちゃんとあった。

 それをはっきりと自覚して、メリアは首を縦に振る。その小さな行動が、最後の一押しだった。

 空っぽの世界がとうとう完全に崩壊して、その外にあった光が一斉にメリアへと流れ込んでくる。眩しいそれを浴びながら、メリアの意識は急速に浮上していく。それが現実へと――ツバキが助けを求めているところに駆けつける過程なのだと、メリアはすぐさま直感的に理解して――

「……うん、当たり前だよ。――だって僕は、世界に一人しかいないお姉ちゃんの弟だから」

 姉の――ツバキの黒い瞳をまっすぐに見据えながら、メリアはにっこりと笑みを浮かべる。十年余りの時を超えて、姉弟の約束は正しい形で結ばれていた。
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