修復術師のパーティメイク――『詐欺術師』と呼ばれて追放された先で出会ったのは、王都で俺にしか治せない天才魔術師でした――

紅葉 紅羽

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第五章『遠い日の約定』

第三百三十五話『空の旅は平穏とともに』

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「さて、それじゃあ目的地に向かうとしようか。リリス、場所は頭に入ってるよね?」

「ええ、ある程度はね。見た目からして特徴がある場所だし、見つけてから制御に移っても多分無事に降りられると思うわ」

 ツバキの問いかけに軽い調子で答えながら、リリスは後ろに立つ俺とツバキに手を差しだす。門を抜けてからしばらく歩いた俺たちの視界にはまっさらな平原が広がっていて、見渡す限り魔物の気配はなさそうだった。

 空では太陽がさんさんと輝き、いっそ少し鬱陶しいぐらいの熱気が落ちている。基本的に温暖な気候なのはいいが、これを温暖という言葉の範疇に収めるには少し無理がありそうだった。

 少し前までは平原で温度の事なんて考えてる暇はなかったし、それを思えば平和なもんなんだけどな。どれだけ暑かろうと寒かろうと、結局のところ魔物がいないに越した状況なんてないのだ。

 青々とした平原を見てそんなことを考えながら、俺はリリスが差しだした手を取る。ツバキも同じように手を握ったのを確認すると、リリスは軽やかに地面を蹴り飛ばした。

「風よ」

 唄うように呟きながらリリスが地面を蹴るたびに、俺たちの身体は爆発的に加速していく。到底俺一人ではたどり着けないぐらいの速度域にあっさりと達した後もなお加速は続き、視界の端をかっ飛んでいく景色がだんだんとただの線のように見え始めた。

「凄いな、前よりももっと加速力が上がってる……‼」

「ええ、私だってただこの半年を過ごしたわけじゃないもの。……舌、噛まないようにね!」

 感服するツバキに強気に返しつつ、リリスはひときわ深く膝を曲げて地面を蹴り上げる。加速のためとはまた違った意図を持つその踏み込みをきっかけとして、俺たちの身体は大きく宙に浮きあがった。

 その跳躍はあっという間に頂点に達して、空を舞う鳥の視界を俺は体験する。本来なら人が立つことが出来ないような視座に、リリスは風魔術一つで俺たちを到達させていた。

「――包み込んで!」

 続いてリリスが詠唱すると、俺たちの身体は下から見えない何かに支えられているかのようにまっすぐ横移動を開始する。それによって俺たちが落下することを防げば、誰にも邪魔することのできない空の旅の完成だ。

 この技術自体は半年前から確立されたものだが、高さも安定感も、そしてスピードもその時とは比べ物にならないぐらいに向上している。俺たちの名前が売れてきたこともあって、わざわざ影魔術で離陸の瞬間を隠さなくてよくなったのも嬉しいところだ。

『落ちるかも』なんて不安は微塵もないまま、俺は眼下に広がる景色を見下ろす。北方に向かう数台の馬車が、視界の右側に小さく映っていた。

「こうやって景色を見ていると、『あの時』が本当に異常だったのがよく分かるね。普段はこんなに穏やかな平原だったのにさ」

「自然って奴は理解しようとしてもしきれない面倒なものだってノアも言ってたしね……。あの騒動を察せなかったのは私達にも原因があるし、分かった顔して語るのはやめといたほうがよさそうだけど」

「気にすんなって、クラウスたちがクリアしてたとしてもあの兆候に気づけてたはずもねえよ。むしろあの時の最多討伐はお前なんだし、胸を張って振り返ってもいいと思うぞ?」

 数えるほどしか魔物の気配がない平原を見つめながら、俺たちは三か月ぐらいに起きたとある事件を思い返す。激動の半年を過ごしてきた中でこうやって思い出されるぐらいには、その事件は俺たち三人の印象に強く残る出来事だった。

 基本的に人間関係と利害の不一致に苦しんだ半年間の中で、『あの事件』に関してはほぼ唯一と言っていいぐらいに魔物の猛威に危機感を覚えたからな……。共通の問題を前にしたら普段いがみ合うような関係であろうと協力はできるってことが分かったし、悪いことばかりではなかったんだけどさ。

 あの時の平原はどこを見ても魔物があふれかえっていて、下手なダンジョンの中よりも危険度は高かった。絵に描いたような『惨状』をそのまま平原に持ってきたような光景が目に焼き付いているからこそ、平和そのものな平原の現状はより感慨深いものに思えた。

「あの時のリリスは本当に大暴れしてたもんね、ボクもよく覚えてるよ。ねえ、『歩く魔術砲台』さん?」

「その二つ名は止めて、一番センスないやつだから。それで呼ばれるぐらいだったらまだ『単語ホワイトアウト』みたいな呼び方をされる方が百歩――いや千歩譲ってマシだわ」

 ツバキが口にした二つ名に顔をしかめながら、リリスはうんざりしたような調子で右手をひらひらと振る。周囲から与えられる二つ名と言うのはある種評判の具現化とも言えるものだが、どうやらリリスはそういうものにとんと興味がないらしかった。

 突如として冒険者業界に現れてここまでの活躍をされてるんだし、何かしらの異名を与えたいっていう周囲の気持ちはまあ分からないでもないんだけどな。……それにしたって『氷魔漂白』は流石に命名者の願望が強く前に出すぎてるし、『歩く魔術砲台』に関してはデリカシーがなさすぎるとは思うが。

「情報屋の奴、最近お前たちの二つ名を収集するのにハマってる節があるからな……。そろそろどっかで歯止めかけないとマズいか?」

『なに、楽しませてくれるお礼だよ』なんて情報屋は言っているが、絶対アイツはその反応を楽しんでるだけだろうしな。この半年でいろんなものが変わったが、そんな中でも情報屋のスタンスは一切ブレないままだ。クラウスが居なくなって混沌としている現状の王都を、多分アイツは誰よりも楽しんでいた。

「ボクは別に気にしてないよ、蔑称じゃないなら二つ名も嫌いじゃないし。そういう名前を付けたいって思ってくれるぐらいには目立ってるんだって証明にもなるしね」

「ええ、私もそこは同感ね。……広範囲に自分のセンスを喧伝することになるから、あんまり大っぴらにその呼び方を外で使わない方がいいとは思うけど」

 本人に向けて言うなんてもってのほかよ、とリリスは不満げに鼻を鳴らす。そんな二人の反応を、俺は曖昧な笑みを浮かべながら見つめていた。

――と言うのも、俺にこれと言った二つ名はないのだ。あったとして『元詐欺術師』みたいな何とも言えない奴しかないし、名付けたがるような奴らの興味は大体リリスとツバキの二人に向いている。その苦労を思えばそうそう口に出すものでもないが、二つ名ってものが少しだけ羨ましいのもまた事実だった。

 俺自身がド派手な活躍をするってわけでもないし、それに関してはまあ仕方ない話なんだけどな。実際のところ、あの魔獣事件における俺の活躍は微々たるものだし。

「……まあ、二人がそういうならそのまま放っておいてもいいか。金を払ってまで集めたい情報ではねえけど、アイツがおまけとして渡してくる分には拒む理由もねえしな」

「騎士団から結構な大金が入ったでしょうに、アレも全然変わらないわよね……。自分で言ってる通り誰の味方でも敵でもないから、これからものらりくらりとやっていくんでしょうけど」 

 感服とも呆れとも言わないため息を吐き、リリスは『情報屋』への印象をそんな風にまとめる。『オレはいつだってオレの味方でしかねえよ』――と、そんなことを言って笑うアイツの姿が脳裏をふとよぎっては消えた。

「ま、アレに関しては真面目に考えるだけ無駄ってのが一番相応しいからね。それよりもほら、目的地が見えてきたみたいだよ?」

 苦笑してリリスの評価に続きながら、ツバキは眼下の一点を指さす。周囲よりも深い緑色に染まっているその地点こそが、俺たちが向かっていたクエストの目的地だった。

 空を飛ぶという唯一無二の移動方法があることもあって、王都から離れたところを目的地とするクエストの大半は俺たちが自然に受け持っている。この長距離移動でここまでくつろげるのも、結局のところは経験の積み重ねが一番大きな要因だった。

「ええ、そろそろみたいね。……風よ、お願い」

 ツバキからの言葉を受けて、リリスは静かに詠唱する。その瞬間周囲を包んでいた風の勢いがゆっくりと弱まり始めて、俺たちの高度がゆっくりと下がり始めた。

「ツバキ、一応保険だけは準備しておいてね。慣れてきたとはいえまだまだ練習してるところだから」

「ああ、準備は怠ってないから安心してくれ。……まあ、そろそろこれも必要なくなる頃のような気はするけどね?」

 リリスからの頼みに影を揺らめかせて答えながら、ツバキは少し嬉しそうな表情を浮かべる。その間にも穏やかに俺たちは降下していって、あれほど遠くに感じた地面がだんだんと近づいてきていた。

 慣れが空の旅への緊張感を和らげたのは間違いない事実だが、理由は決してそれだけじゃない。空の旅を一人で制御するリリスの進化があるからこそ、俺たちは少しのリスクも感じることなく風に身を預けることが出来ていた。

 急激な加速とは全く対照的なふんわりとした着地は、リリスが少し苦手としていた繊細な魔力の制御を必要とするものだ。だがそれを苦にすることもなく、俺たちの足はだんだんと地面に近づいていく。まるで見えない手が俺たちを運んでくれているかのように、足の裏が久しぶりに地面へと触れて――

「……ふう、到着ね。こうして見ると思ったより大きな森だけど、何とか着地できる場所を見つけられてよかったわ」

「ああ、リリスの努力の賜物だよ。……それじゃあ、クエスト開始と行こうか」

 空の旅を終えて安堵の息を吐くリリスの頭を撫でながら、ツバキはノリノリでそう口にする。俺たちの眼前には、青々とした葉が生い茂った木の立ち並ぶ深い森が雄大に佇んでいた。
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