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雛乃の恋
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「おおー、ホントに広告が載ってる!」
祐樹さんが、感嘆の声を上げる。十月初旬の土曜日の朝。私、祐樹さん、雛乃、高瀬さん、店長の小山内さんは、イタリアンレストラン『riposo』に集まっていた。
客席の隅にある木製のテーブル。そこに置かれたノートパソコンには、家族が笑顔で食事をするイラストが映し出されている。その下の部分には『家族みんなで美味しい時間!』というキャッチコピー。とうとう、『riposo』の広告がWebに掲載される日がやってきたのだ。
「広告の隅に一部のメニューの写真もありますし、日本人の口に合う事も分かってもらえそうですね」
私も笑顔で言った。残業が続いて大変だったけど、マーケティング担当がやる仕事じゃないような事もしたけれど、無事納期を迎えられて良かった。
画面をジッと見ていた小山内さんが、ボソリと呟く。
「家族か……俺も今度、久しぶりにカミさんと子供をここに連れてこようかな」
私は、一瞬きょとんとしてしまった。小山内さんは現在四十五歳と聞いている。奥さんや子供がいてもおかしくない。
でも、普段あまり愛想の無い小山内さんが、奥さんや子供と楽しそうに話をする姿が想像出来なかったのだ。
「店長、結婚して二十年くらい経つのに、未だにラブラブですもんねー」
高瀬さんが、ひやかすように言う。小山内さんは、「茶化すんじゃねえ」と照れ臭そうに答えた。
私は、ふと雛乃の方に視線を向ける。雛乃は何故か、少し寂しそうな目をしていた。
◆ ◆ ◆
その夜、私は自宅のリビングでノートパソコンに向かっていた。新作の官能小説に取り掛かっているのだ。
今書いているのは、ちょうど男女がむつみ合うシーン。そのシーンを書きながら、私は祐樹さんと身体を重ねた時の事を思い出していた。このヒロインも、好きな男の人に触れられてドキドキしたんだろうな。そんな事を考えながら書いていると、不思議と筆が進む気がした。
執筆が一段落し、私が両手を上げて伸びをしていると、玄関のインターフォンが鳴った。立ち上がり連動するカメラを見た私は、目を見開いた。そこには、今にも泣きそうな顔の雛乃がいた。
雛乃をリビングに通した私は、雛乃の前にコトリとホットミルクの入ったカップを置く。無言で座っていた雛乃は、一口ホットミルクを飲むと、小さな声で言った。
「……ありがとう、お姉ちゃん。少し落ち着いた」
「……雛乃、何があったの?」
私が雛乃の向かいにある椅子に座って聞くと、雛乃はまた泣きそうな声になって言った。
「……高瀬と、喧嘩しちゃった……」
◆ ◆ ◆
『riposo』の広告を皆で見て、紗季がレストランを後にした少し後。レストランの開店時間になり、四人はいつも通り仕事を始めた。
ところが、雛乃はミスばかり。オーダーを間違えたり、肉を焦がし過ぎたりと散々だった。
夕方仕事が終わった後、雛乃は偶々バックヤードで高瀬剛志と二人きりになった。高瀬は、眉根を寄せて雛乃に言う。
「お前、今日どうしたんだよ。ミスばっかりして。……もしかして、店長が今朝家族の話をしたからか?」
既に更衣室で着替えを終えていた雛乃は、裏口に向かう足をピタリと止めた。図星だった。
雛乃は、『riposo』で働き始めた当初から、店長である小山内の事が好きだった。慣れない仕事で失敗の多い雛乃に、不愛想ながらも優しく接してくれる小山内に惹かれていた。
しかし、小山内には妻子がいる。雛乃は、自身の気持ちに蓋をして過ごしてきた。
何となく、高瀬には自分の気持ちがバレているような気がしていたけれど、ここにきてハッキリ言われるなんて。
「……だとしたら何よ」
雛乃が聞くと、高瀬はギュッと握り拳を作って言った。
「もう諦めろよ! 店長がお前の事を異性として好きになる事なんて無いんだよ!……男は店長だけじゃないだろ。早く、吹っ切ってくれよ。他の男にも、目を向けてくれよ……!」
雛乃の頭に血が上る感覚がした。そんなの分かってる。店長が自分を好きになってくれない事なんて分かってる! それでも、自分の気持ちをコントロール出来なくて苦しんでいるのに、そんな事言わなくても……!
「……高瀬にそんな事言われたくない。高瀬には、私の気持ちなんて分かんないよ。高瀬なんて、吾妻と同じくらいモテてるじゃん! お店の常連の女の人達にデレデレしちゃって! 吾妻は見かけだけチャラくて中身は真面目だけど、あんたは逆で中身がチャラいんじゃないの!?」
言った直後、雛乃はハッとなった。高瀬がいい加減に女性と付き合う男じゃない事なんて、分かってるのに。ついカッとなって……。
高瀬は、「……お前は俺の事をそう思ってたんだな」とだけ言って、バックヤードを出て行った。その声は、とても寂しそうだった。
◆ ◆ ◆
「……そんな事があったの……」
リビングで私が呟くと、雛乃は俯いたまま言った。
「どうしよう……高瀬は、私の大事な友達なの。それなのに、私は高瀬を傷付けちゃった……」
私は、真っ直ぐと雛乃を見て声を掛けた。
「雛乃、あなたもう、どうするべきか分かってるんじゃない? 高瀬さんとまた笑い合いたいなら、する事は一つでしょ?」
雛乃は、ハッとなった後、私を見て力強く言った。
「ありがとう、お姉ちゃん。私、明日高瀬に謝って来る!」
その後、少し話をしてから雛乃は帰って行った。私は、リビングで一人になると、ホットミルクを一口飲み、溜息を吐いた。
雛乃は、基本的に真面目で素直な性格だ。高瀬さんに悪い事をしたと思ったのなら、本来はすぐに謝ろうとするはずだ。
それなのに、今回は謝るという選択肢を思いつく余裕も無く悩んでいた。それだけ、高瀬さんと今までのような関係でいられなくなる事が嫌だったのだろう。
雛乃は小山内さんの事を好きだと言うけれど、もしかしたらもう、雛乃は新しい恋へと一歩足を踏み出しているのかもしれない。
祐樹さんが、感嘆の声を上げる。十月初旬の土曜日の朝。私、祐樹さん、雛乃、高瀬さん、店長の小山内さんは、イタリアンレストラン『riposo』に集まっていた。
客席の隅にある木製のテーブル。そこに置かれたノートパソコンには、家族が笑顔で食事をするイラストが映し出されている。その下の部分には『家族みんなで美味しい時間!』というキャッチコピー。とうとう、『riposo』の広告がWebに掲載される日がやってきたのだ。
「広告の隅に一部のメニューの写真もありますし、日本人の口に合う事も分かってもらえそうですね」
私も笑顔で言った。残業が続いて大変だったけど、マーケティング担当がやる仕事じゃないような事もしたけれど、無事納期を迎えられて良かった。
画面をジッと見ていた小山内さんが、ボソリと呟く。
「家族か……俺も今度、久しぶりにカミさんと子供をここに連れてこようかな」
私は、一瞬きょとんとしてしまった。小山内さんは現在四十五歳と聞いている。奥さんや子供がいてもおかしくない。
でも、普段あまり愛想の無い小山内さんが、奥さんや子供と楽しそうに話をする姿が想像出来なかったのだ。
「店長、結婚して二十年くらい経つのに、未だにラブラブですもんねー」
高瀬さんが、ひやかすように言う。小山内さんは、「茶化すんじゃねえ」と照れ臭そうに答えた。
私は、ふと雛乃の方に視線を向ける。雛乃は何故か、少し寂しそうな目をしていた。
◆ ◆ ◆
その夜、私は自宅のリビングでノートパソコンに向かっていた。新作の官能小説に取り掛かっているのだ。
今書いているのは、ちょうど男女がむつみ合うシーン。そのシーンを書きながら、私は祐樹さんと身体を重ねた時の事を思い出していた。このヒロインも、好きな男の人に触れられてドキドキしたんだろうな。そんな事を考えながら書いていると、不思議と筆が進む気がした。
執筆が一段落し、私が両手を上げて伸びをしていると、玄関のインターフォンが鳴った。立ち上がり連動するカメラを見た私は、目を見開いた。そこには、今にも泣きそうな顔の雛乃がいた。
雛乃をリビングに通した私は、雛乃の前にコトリとホットミルクの入ったカップを置く。無言で座っていた雛乃は、一口ホットミルクを飲むと、小さな声で言った。
「……ありがとう、お姉ちゃん。少し落ち着いた」
「……雛乃、何があったの?」
私が雛乃の向かいにある椅子に座って聞くと、雛乃はまた泣きそうな声になって言った。
「……高瀬と、喧嘩しちゃった……」
◆ ◆ ◆
『riposo』の広告を皆で見て、紗季がレストランを後にした少し後。レストランの開店時間になり、四人はいつも通り仕事を始めた。
ところが、雛乃はミスばかり。オーダーを間違えたり、肉を焦がし過ぎたりと散々だった。
夕方仕事が終わった後、雛乃は偶々バックヤードで高瀬剛志と二人きりになった。高瀬は、眉根を寄せて雛乃に言う。
「お前、今日どうしたんだよ。ミスばっかりして。……もしかして、店長が今朝家族の話をしたからか?」
既に更衣室で着替えを終えていた雛乃は、裏口に向かう足をピタリと止めた。図星だった。
雛乃は、『riposo』で働き始めた当初から、店長である小山内の事が好きだった。慣れない仕事で失敗の多い雛乃に、不愛想ながらも優しく接してくれる小山内に惹かれていた。
しかし、小山内には妻子がいる。雛乃は、自身の気持ちに蓋をして過ごしてきた。
何となく、高瀬には自分の気持ちがバレているような気がしていたけれど、ここにきてハッキリ言われるなんて。
「……だとしたら何よ」
雛乃が聞くと、高瀬はギュッと握り拳を作って言った。
「もう諦めろよ! 店長がお前の事を異性として好きになる事なんて無いんだよ!……男は店長だけじゃないだろ。早く、吹っ切ってくれよ。他の男にも、目を向けてくれよ……!」
雛乃の頭に血が上る感覚がした。そんなの分かってる。店長が自分を好きになってくれない事なんて分かってる! それでも、自分の気持ちをコントロール出来なくて苦しんでいるのに、そんな事言わなくても……!
「……高瀬にそんな事言われたくない。高瀬には、私の気持ちなんて分かんないよ。高瀬なんて、吾妻と同じくらいモテてるじゃん! お店の常連の女の人達にデレデレしちゃって! 吾妻は見かけだけチャラくて中身は真面目だけど、あんたは逆で中身がチャラいんじゃないの!?」
言った直後、雛乃はハッとなった。高瀬がいい加減に女性と付き合う男じゃない事なんて、分かってるのに。ついカッとなって……。
高瀬は、「……お前は俺の事をそう思ってたんだな」とだけ言って、バックヤードを出て行った。その声は、とても寂しそうだった。
◆ ◆ ◆
「……そんな事があったの……」
リビングで私が呟くと、雛乃は俯いたまま言った。
「どうしよう……高瀬は、私の大事な友達なの。それなのに、私は高瀬を傷付けちゃった……」
私は、真っ直ぐと雛乃を見て声を掛けた。
「雛乃、あなたもう、どうするべきか分かってるんじゃない? 高瀬さんとまた笑い合いたいなら、する事は一つでしょ?」
雛乃は、ハッとなった後、私を見て力強く言った。
「ありがとう、お姉ちゃん。私、明日高瀬に謝って来る!」
その後、少し話をしてから雛乃は帰って行った。私は、リビングで一人になると、ホットミルクを一口飲み、溜息を吐いた。
雛乃は、基本的に真面目で素直な性格だ。高瀬さんに悪い事をしたと思ったのなら、本来はすぐに謝ろうとするはずだ。
それなのに、今回は謝るという選択肢を思いつく余裕も無く悩んでいた。それだけ、高瀬さんと今までのような関係でいられなくなる事が嫌だったのだろう。
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