【完結】既読は“25:61”——最期の一日を延ばすメッセージ

東野あさひ

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第12話「同期(シンク)という約束」

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 朝、窓に息を落とす。白は薄く広がって、音もなく消えた。
 昨夜の三行——みてた/なおした/ごめん。
 位相は整った。けれど、整えすぎれば同調は共鳴へ転ぶ。
 ノートに見出しを引く。

 《今日の方針:同期(シンク)は約束。そろえすぎない/触れない/知らせない/視界で返す》

 時雨(しぐれ)が窓辺で尾を揺らす。四つ吸って、六つ吐く。胸の拍は静かだ。



 午前の返却ラッシュが落ち着くと、影浦玲生(かげうら・れお)が手帳を掲げた。
 「外縁ログ。夜明け、非常灯は正時。区の掲示も安定。今夜は河川敷で太鼓サークルの合同練習らしい。……それと、寄贈パソコンの“下書き”カウンタ、電源を抜いたのに一瞬“1”が点いて0に戻る。システム担当いわく『幽霊キャッシュ+時計ドリフト』」

 拍とドリフト。私は頷く。「主観、体調は普通より少し上」

 「距離は保つよ。僕は風景だけ拾う」



 児童コーナーの掲示を貼り替えていると、ポケットがひと拍だけ震えた。
 【下書き保存】——そろえるな
 【下書き保存】——はんぱく

 私は“ボイスメモ”を開く。空調の底、そのまた下で低い連打が遠くに滲む。
 【保存:河川敷・東段ステージ脇】

 バックヤードに顔を出す。「掲示の紙、切らしてて——」
 玲生が目だけで「外縁了解」。



 河川敷はまだ静かで、ステージ脇で太鼓がテストの連を打つ。拍がぴたりと揃うたび、空気が硬くなる。
 私は触れない。
 ステージ向かいの照明車の影の端に立ち、体の重心を半拍ごとにわずかにずらす。
 打ち手の一人が、私の揺れを視界の端で拾い、入りを半拍だけ送らせる。
 全体が薄くデチューンされ、音が息を取り戻す。
 震え。
 【下書き保存】——ゆるんだ
 【下書き保存】——いい

 ステージ管理の人が空を見上げ、「風が走るから、揃えすぎるな」と指で合図する。拍は呼吸の間を得た。



 図書館に戻ると、玲生が地図に透明付箋を足した。
 「外縁。河川敷、テスト音圧が午後の想定値内に収まったって投稿。……それと、寄贈PC、画面オフのまま“Draft(1)”が点いて消えるのを僕も見た。ログは残らない」

 胸の裏で薄い氷が鳴る。私はしらせるなの線を指でなぞり、うなずくだけにする。



 昼過ぎ、ポケットが二度震えた。
 【下書き保存】——ふたつ
【下書き保存】——えらんで

 ボイスメモの底に異なるテンポ。保存名が連続で埋まる。
 【保存:白妙(しろたえ)公園・ベンチ側】
 【保存:観潮(かんちょう)踏切・北側】

 同期が過ぎれば危ういのは——踏切のほうだ。
 観潮踏切の北側では、学校帰りの列と商店の配送が時刻表に合わせて同時に押し寄せる兆し。
 私は遮断機にも信号にも触れない。
 案内地図のガラスの前に立ち、体の向きで列を二つの小さな群にほどく。
 私の背後で、店主が台車の角度を変え、「こっち先に」と声を落とす。
 列の拍は半拍ずれて流れ、警報の鳴りは騒がしくならない。
 震え。
 【下書き保存】——わかれた
 【下書き保存】——たすかった



 白妙公園に回ると、ブランコが四台すべて同位相で振れていた。鎖が鳴り、鉄のうなりが重なる。
 触れない。
 私は端の一本の影の上に立ち、息の拍で一瞬だけ視線を投げる。
 子どものひとりが、靴のつま先をほんの少し早く出し、位相が崩れる。
 うなりは解け、笑いが戻る。
 震え。
 【下書き保存】——ほどけた
 【下書き保存】——よかった



 夕方。寄贈パソコンの机の横を通ると、黒い画面の隅で、“Draft(1)”がまた灯って消えた。
 私は触れない。
 机上の「メンテ中」札が裏返っていたのを見て、近くのスタンドライトを足先でこちら向きにし、札が自然に読める角度を作る。
 通りかかったシステム担当が「あ、札裏だ」と自分の手で直し、LANケーブルの別経路を切り分ける。
 震え。
 【下書き保存】——きる
 【下書き保存】——のこす

 切るのは過剰な同期。残すのはここで読む声。



 夜支度。部屋の灯りが一瞬だけ明滅し、時雨がソファの背で耳を立てる。
 来る。
 私は椅子に座り、膝の上で指を組む。

 25:61。
 青い泡が三度、間を置いて湧いて沈む。
 既読:蒼真
 【下書き保存】——そろえるな
 【下書き保存】——はんぱく
 【下書き保存】——ひがし/のぼる
 【下書き保存】——さわるな

 上流へ。私は“ボイスメモ”を開く。今日いちばん薄い拍。
 【保存:朝島(あさじま)取水堰・操作小屋の外】

 上着を取り、時雨に「すぐ戻る」。彼は窓辺で耳を立てたまま見送る。



 堰の小屋の外では、二人の職員が定時の打刻を合わせようとしていた。腕時計と壁の時計、そして小屋の制御盤時計。
 秒針が三つとも同時に“12”で止まりかけ、躊躇が生まれる。
 私は触れない。
小屋の窓ガラスに映る自分の肩を、半拍だけ遅らせるように動かす。
 職員が視界の端で躊躇をやめ、片方の時計だけ半拍遅らせて合わせた。
 操作が進み、吸い込み口の微細な脈動が安定に移る。
 水の音がやわらぐ。
 震え。
 【下書き保存】——まにあった
 【下書き保存】——いきた

 踵を返す途中、舗装の白いマーキングに目が止まる。25-6-1。
 私は近づかず、ただ四つ吸って、六つ吐く。
 約束を胸に戻す。



 帰宅すると、青い泡が遅れてひとつ。
 既読:蒼真
 【下書き保存】——みてた
 【下書き保存】——ありがと
 【下書き保存】——まだ

 私はスマホを胸に当て、息を整える。
 “まだ”の先で、越えない線のこちら側に立ち続けるための約束を、もう一度声にしないで繰り返す。

 ノートを開き、今日のページを埋める。

 《主観ログ・第十二夜》
 ・河川敷:半拍の遅れを視界で示唆→デチューン→「ゆるんだ/いい」
・踏切:人流を二群へ→同時押し回避→「わかれた/たすかった」
・公園:ブランコの同位相を崩す→「ほどけた/よかった」
・図書館PC:過剰同調の連鎖を切る→「きる/のこす」
・堰:三つの時計を完全に揃えない→「まにあった/いきた」
 ・遵守:触れない/知らせない/鏡を増幅しない/半拍の余白
 ・メッセージ:「そろえるな/はんぱく/ひがし/のぼる/さわるな」「みてた/ありがと/まだ」
 ・仮説更新:同期(シンク)は約束であって束縛ではない。世界の息と半拍で手をつなぐこと——それが、こちら側の線でできる返し。

 時雨がソファの背で耳を立て、ゆっくり目を細める。
 私は灯りを一つ落とし、四つ吸って、六つ吐く。
 半拍だけ、遅らせる。
 世界が息をしやすいように。

 ——既読が、鳴る。
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