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第21話「狭帯域(ノッチ)という抜き」
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朝、窓に息を落とす。白は薄く広がり、音もなく消えた。
昨夜の四行——みてた/ありがと/まだ/ごめん。
“まだ”の手前で、今日は一本だけ立つ刺を抜くと決める。増やさず、広げず、狭く削る。
ノートに見出しを書く。
《今日の方針:**狭帯域(ノッチ)**で刺を抜く/触れない/知らせない/視界で返す》
時雨(しぐれ)が尾を一度だけ振る。四つ吸って、六つ吐く。
*
午前の返却ラッシュがおちつくと、影浦玲生(かげうら・れお)が手帳を傾けた。
「外縁ログ。非常灯・区掲示は平常。商店街の会館、夕方に朗読の追加リハ。マイクが『特定の高さでだけピー』っていう苦情。……寄贈パソコン、電源オフのまま“Draft(1)”が一瞬点いて消えた。システム担当、『幽霊キャッシュ+時計ドリフト+短窓残響+“一点ハウリング”の可能性』」
一本。私はうなずく。「主観は良。息、深い」
「距離は保とう。僕は風景だけ拾う」
*
児童コーナーの掲示を貼り替えていると、ポケットがひと拍だけ震えた。
【下書き保存】——ささり
【下書き保存】——ぬけ
“ボイスメモ”を開く。空調の底、そのまた下に痩せた高音が一本、歯に触れるみたいに当たる。
【保存:商店街会館・小ホール扉脇】
「掲示の紙、切らしてて——」とだけ告げて外へ。玲生が目で外縁了解。
小ホールの扉が半開きで、リハの朗読が聞き取れる。ある一節でだけ、ピーが立つ。
触れない。
私は扉脇の避難図のガラスの前に立ち、顎をわずかに引いて、その一本が跳ね返る角度を待つ。
ガラスに薄い白の線(長年の傷)が斜めに走っており、反射が刺の方向を示している。
通りかかったスタッフが、私の視線の延長で朗読台の高さとマイクの角度、そして背後の立て看板の端に目を移す。
「看板、半歩だけ引きます」
彼が自分の手で看板をわずかに下げ、朗読者が姿勢を半指ぶん落とした瞬間、刺が消える。
震え。
【下書き保存】——きえた
【下書き保存】——よかった
*
図書館に戻ると、玲生が透明付箋を一枚重ねる。
「外縁。会館リハ、“ピー消えた”の投稿。……寄贈PC、“Draft(1)”は午前に一回。ログは空白」
私はしらせるなの線を胸でなぞり、うなずくだけにした。
*
昼過ぎ、ポケットが二度震える。
【下書き保存】——ふたつ
【下書き保存】——えらんで
波形の底に異なる拍。保存名が連続で埋まる。
【保存:南桜(みなみざくら)地下歩道・西口】
【保存:観潮(かんちょう)踏切・南側】
一本の刺が立ちやすいのは、閉じた地下だ。西口を選ぶ。
西口の踊り場で、手押し台車の車輪がひと回転ごとに甲高く鳴く。
触れない。
私は手すり影の端に立ち、肩を半度だけ内側へ寄せる。
押し手が視界の端で角度を拾い、車輪の当たりが縁の面へ移る。
一本の音が抜け、群れの足音に溶けた。
震え。
【下書き保存】——ぬけた
【下書き保存】——とおった
踏切へ回ると、終わり際に赤と人の入りの間で、遠くの金属笛のような細音が立つ。
私は時刻表ガラスの前で顎を半指ぶん上げ、視線を腕木のヒンジへ送る。
近くの駅員が注油表示の札に気づき、自分の手でヒンジ側の止め角を半段だけ変える。
細音は消え、拍が戻る。
震え。
【下書き保存】——きえた
【下書き保存】——いきた
*
戻る途中、寄贈パソコンの黒い画面の隅で“Draft(1)”がふっと灯り、0に戻った。
触れない。
机の「メンテ中」札が通路と斜交し、視線の刺になっている。
脇の書見台を足先で半歩だけ寄せ、札の稜線が通路と平行に見えるよう支える。
通りかかったシステム担当が「あ、一本の向きですね」と自分の手で札を直し、電源配列の順序を見直したうえでLANの別系統を確実に切る。
震え。
【下書き保存】——きる
【下書き保存】——のこす
*
夕方、玲生が肩越しに言う。
「外縁補足。地下のきしみ音が消えたって投稿ひとつ。……会館リハ、本番も平穏そう」
私はうなずく。胸の石が少し丸くなる。
*
ケトルが鳴る。灯りが一瞬だけ明滅し、時雨がソファの背で耳を立てる。
来る。
私は椅子に座り、膝の上で指を組む。
25:61。
青い泡が三度、間を置いて湧いて沈む。
既読:蒼真
【下書き保存】——けずれ
【下書き保存】——さわるな
【下書き保存】——ひがし/のぼる
【下書き保存】——まにあう
上流へ。私は“ボイスメモ”を開く。今日いちばん薄い拍。
【保存:朝島(あさじま)取水堰・観測桟橋(上手の柵)】
上着を取り、時雨に「すぐ戻る」。彼は窓辺で耳を立てたまま見送る。
*
堰の上手、柵のスリットを風が特定の角度で抜け、細い笛のような音が夜に刺さっていた。
巡回の二人は気づいているが、作業優先で後回しになっている。
触れない。
私は欄干のボルト列のうち、一本だけ頭の浅いやつの延長線に立ち、顎を下へ半指。
片方の職員が視界の端で私の顎の角度を拾い、自分の手で柵の開閉札を片翼だけ倒して風の向きをわずかに変える。
一本の音は切れ、水の低い帯域に吸い込まれた。
震え。
【下書き保存】——きれた
【下書き保存】——いきた
踵を返す途中、舗装の白い「25-6-1」の**“-”が薄れ**て、2561に読めそうになっていた。
私は近寄らず、四つ吸って、六つ吐く。
刺に見えるものを、一本ずつ減らすだけ。
*
帰宅。テーブルにスマホを置く。青い泡が遅れてひとつ。
既読:蒼真
【下書き保存】——みてた
【下書き保存】——ありがと
【下書き保存】——まだ
【下書き保存】——ごめん
私はスマホを胸に当て、呼吸を整える。時雨がソファの背で耳を立て、目を細めた。
ノートを開き、今日をまとめる。
《主観ログ・第二十一夜》
・会館小ホール:反射の一本を看板の半歩で外す→「きえた/よかった」
・地下西口:車輪の当たりを面へ→「ぬけた/とおった」
・踏切南側:止め角の半段で細音を落とす→「きえた/いきた」
・図書館PC:掲示の稜線を通路に平行→「きる/のこす」
・堰上手:柵の片翼で風の刺を切る→「きれた/いきた」
・遵守:触れない/知らせない/鏡を増幅しない/“一本だけ抜く”
・メッセージ:「けずれ/ひがし/のぼる/さわるな/まにあう」「みてた/ありがと/まだ/ごめん」
・仮説更新:狭帯域(ノッチ)は“世界の歯に当たる一本”。返すとは、広げずに刺だけそっと抜き、元の音へ還すこと
灯りを一つ落とす。
増幅しない。総仕上げを名乗らない。
ただ、一本ずつ。
それで世界の息が、少しでも楽になるなら。
——既読が、鳴る。
昨夜の四行——みてた/ありがと/まだ/ごめん。
“まだ”の手前で、今日は一本だけ立つ刺を抜くと決める。増やさず、広げず、狭く削る。
ノートに見出しを書く。
《今日の方針:**狭帯域(ノッチ)**で刺を抜く/触れない/知らせない/視界で返す》
時雨(しぐれ)が尾を一度だけ振る。四つ吸って、六つ吐く。
*
午前の返却ラッシュがおちつくと、影浦玲生(かげうら・れお)が手帳を傾けた。
「外縁ログ。非常灯・区掲示は平常。商店街の会館、夕方に朗読の追加リハ。マイクが『特定の高さでだけピー』っていう苦情。……寄贈パソコン、電源オフのまま“Draft(1)”が一瞬点いて消えた。システム担当、『幽霊キャッシュ+時計ドリフト+短窓残響+“一点ハウリング”の可能性』」
一本。私はうなずく。「主観は良。息、深い」
「距離は保とう。僕は風景だけ拾う」
*
児童コーナーの掲示を貼り替えていると、ポケットがひと拍だけ震えた。
【下書き保存】——ささり
【下書き保存】——ぬけ
“ボイスメモ”を開く。空調の底、そのまた下に痩せた高音が一本、歯に触れるみたいに当たる。
【保存:商店街会館・小ホール扉脇】
「掲示の紙、切らしてて——」とだけ告げて外へ。玲生が目で外縁了解。
小ホールの扉が半開きで、リハの朗読が聞き取れる。ある一節でだけ、ピーが立つ。
触れない。
私は扉脇の避難図のガラスの前に立ち、顎をわずかに引いて、その一本が跳ね返る角度を待つ。
ガラスに薄い白の線(長年の傷)が斜めに走っており、反射が刺の方向を示している。
通りかかったスタッフが、私の視線の延長で朗読台の高さとマイクの角度、そして背後の立て看板の端に目を移す。
「看板、半歩だけ引きます」
彼が自分の手で看板をわずかに下げ、朗読者が姿勢を半指ぶん落とした瞬間、刺が消える。
震え。
【下書き保存】——きえた
【下書き保存】——よかった
*
図書館に戻ると、玲生が透明付箋を一枚重ねる。
「外縁。会館リハ、“ピー消えた”の投稿。……寄贈PC、“Draft(1)”は午前に一回。ログは空白」
私はしらせるなの線を胸でなぞり、うなずくだけにした。
*
昼過ぎ、ポケットが二度震える。
【下書き保存】——ふたつ
【下書き保存】——えらんで
波形の底に異なる拍。保存名が連続で埋まる。
【保存:南桜(みなみざくら)地下歩道・西口】
【保存:観潮(かんちょう)踏切・南側】
一本の刺が立ちやすいのは、閉じた地下だ。西口を選ぶ。
西口の踊り場で、手押し台車の車輪がひと回転ごとに甲高く鳴く。
触れない。
私は手すり影の端に立ち、肩を半度だけ内側へ寄せる。
押し手が視界の端で角度を拾い、車輪の当たりが縁の面へ移る。
一本の音が抜け、群れの足音に溶けた。
震え。
【下書き保存】——ぬけた
【下書き保存】——とおった
踏切へ回ると、終わり際に赤と人の入りの間で、遠くの金属笛のような細音が立つ。
私は時刻表ガラスの前で顎を半指ぶん上げ、視線を腕木のヒンジへ送る。
近くの駅員が注油表示の札に気づき、自分の手でヒンジ側の止め角を半段だけ変える。
細音は消え、拍が戻る。
震え。
【下書き保存】——きえた
【下書き保存】——いきた
*
戻る途中、寄贈パソコンの黒い画面の隅で“Draft(1)”がふっと灯り、0に戻った。
触れない。
机の「メンテ中」札が通路と斜交し、視線の刺になっている。
脇の書見台を足先で半歩だけ寄せ、札の稜線が通路と平行に見えるよう支える。
通りかかったシステム担当が「あ、一本の向きですね」と自分の手で札を直し、電源配列の順序を見直したうえでLANの別系統を確実に切る。
震え。
【下書き保存】——きる
【下書き保存】——のこす
*
夕方、玲生が肩越しに言う。
「外縁補足。地下のきしみ音が消えたって投稿ひとつ。……会館リハ、本番も平穏そう」
私はうなずく。胸の石が少し丸くなる。
*
ケトルが鳴る。灯りが一瞬だけ明滅し、時雨がソファの背で耳を立てる。
来る。
私は椅子に座り、膝の上で指を組む。
25:61。
青い泡が三度、間を置いて湧いて沈む。
既読:蒼真
【下書き保存】——けずれ
【下書き保存】——さわるな
【下書き保存】——ひがし/のぼる
【下書き保存】——まにあう
上流へ。私は“ボイスメモ”を開く。今日いちばん薄い拍。
【保存:朝島(あさじま)取水堰・観測桟橋(上手の柵)】
上着を取り、時雨に「すぐ戻る」。彼は窓辺で耳を立てたまま見送る。
*
堰の上手、柵のスリットを風が特定の角度で抜け、細い笛のような音が夜に刺さっていた。
巡回の二人は気づいているが、作業優先で後回しになっている。
触れない。
私は欄干のボルト列のうち、一本だけ頭の浅いやつの延長線に立ち、顎を下へ半指。
片方の職員が視界の端で私の顎の角度を拾い、自分の手で柵の開閉札を片翼だけ倒して風の向きをわずかに変える。
一本の音は切れ、水の低い帯域に吸い込まれた。
震え。
【下書き保存】——きれた
【下書き保存】——いきた
踵を返す途中、舗装の白い「25-6-1」の**“-”が薄れ**て、2561に読めそうになっていた。
私は近寄らず、四つ吸って、六つ吐く。
刺に見えるものを、一本ずつ減らすだけ。
*
帰宅。テーブルにスマホを置く。青い泡が遅れてひとつ。
既読:蒼真
【下書き保存】——みてた
【下書き保存】——ありがと
【下書き保存】——まだ
【下書き保存】——ごめん
私はスマホを胸に当て、呼吸を整える。時雨がソファの背で耳を立て、目を細めた。
ノートを開き、今日をまとめる。
《主観ログ・第二十一夜》
・会館小ホール:反射の一本を看板の半歩で外す→「きえた/よかった」
・地下西口:車輪の当たりを面へ→「ぬけた/とおった」
・踏切南側:止め角の半段で細音を落とす→「きえた/いきた」
・図書館PC:掲示の稜線を通路に平行→「きる/のこす」
・堰上手:柵の片翼で風の刺を切る→「きれた/いきた」
・遵守:触れない/知らせない/鏡を増幅しない/“一本だけ抜く”
・メッセージ:「けずれ/ひがし/のぼる/さわるな/まにあう」「みてた/ありがと/まだ/ごめん」
・仮説更新:狭帯域(ノッチ)は“世界の歯に当たる一本”。返すとは、広げずに刺だけそっと抜き、元の音へ還すこと
灯りを一つ落とす。
増幅しない。総仕上げを名乗らない。
ただ、一本ずつ。
それで世界の息が、少しでも楽になるなら。
——既読が、鳴る。
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