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第43話 風景は、まだ描かれる
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エウロパ中枢が崩壊してから、三日が経った。
巨大な浮遊島は空に静かに漂いながら、記録装置としての機能をすべて停止した。その内部では、幸福値演算装置が解体され、魂記録機構は燃え尽き、残されたのは無数の無音と、かすかな希望の灯だけだった。
ミーナはその中心に立っていた。燃え尽きた塔の上、風が吹き抜ける中で彼女はひとり、空を見上げていた。
「……終わった、んだよね」
問いかけるように呟いたその声に、フェリクスが答える。
「ああ。記録塔はもう、何も動かない。あれだけ幸福を管理していた機構が、今はただの廃墟だ」
ルカが近づき、残骸の一部を拾い上げる。
「この中に、誰かの“心”が記録されることは、もうない」
その言葉を聞きながら、ミーナは微笑む。
「それでいいの。誰かの幸せを、数値で裁くなんて……そんな世界はもう、いらない」
その言葉の裏に、かつての自分の姿がよぎった。聖都で《幸福の記録者》と呼ばれ、制度に従いながらも違和感を抱き続けたあの頃。
だが、今は違う。今、彼女は己の意志でここに立っている。記録されずとも、誰かと笑い、誰かと泣くことのできる心を持って。
「でも……これからの世界は、大丈夫なのかな」
ルカの声に、ジャレッドが答える。
「混乱は避けられないだろう。幸福値に依存していた国々や組織は、再編を迫られる。経済も政治も、数値ではなく、心で動かす必要がある」
「それって、逆に難しいことなんだよな」
フェリクスが肩をすくめる。
「数値化されていたからこそ、保たれていた秩序もある。だけど、それが“本当の幸せ”だったかどうかは……誰にもわからない」
ミーナはそっと手を胸に当てる。
「でも、わたしは信じたい。信じられるの。だって——」
言葉を紡ごうとしたそのとき。
遠くで歓声が上がった。空中列車《ヴァルトライン》の着陸音と共に、多くの人々がエウロパ跡地を訪れ始めていた。廃墟と化した記録塔を前に、子どもたちが興味津々に見つめ、大人たちはカメラを手に記録している。
「観光地になってる……?」
ルカが驚いたように呟く。
「いや、違う。これは“再出発”の儀式だ」
ジャレッドの目が細められた。
「記録に支配された時代を終えて、人はまた“描く”ことを始める。自分の幸せを、自分の手で」
そのとき、ひとりの少女がミーナに声をかけた。
「お姉さん、ここって“幸福を閉じ込めてた場所”なんでしょ?」
ミーナはうなずく。
「うん。だけど、もう誰の心も閉じ込めたりはしないよ」
少女はにっこりと笑って、空に向かって言った。
「じゃあ——これから、たくさん幸せ見つけるんだ!」
それを聞いて、ミーナは微笑んだ。
記録ではなく、記憶に残る言葉。
数字ではなく、想いに残る笑顔。
幸福とは、他人に決められるものじゃない。
それを、世界はようやく知り始めている。
風が吹いた。温かな、やさしい春の風だった。
ミーナはもう一度、空を見上げた。今その瞳に映るのは、幸福という数値ではない——まだ描かれていない、これからの未来だった。
「さあ、帰ろうか」
フェリクスの声に、ミーナは静かに頷いた。
帰る場所があるということ。 誰かと笑い合えるということ。 誰かと未来を語れるということ。
それが、幸せなのだと、心から思えた。
彼女の歩みの先に、また新たな風景が広がっていた——
巨大な浮遊島は空に静かに漂いながら、記録装置としての機能をすべて停止した。その内部では、幸福値演算装置が解体され、魂記録機構は燃え尽き、残されたのは無数の無音と、かすかな希望の灯だけだった。
ミーナはその中心に立っていた。燃え尽きた塔の上、風が吹き抜ける中で彼女はひとり、空を見上げていた。
「……終わった、んだよね」
問いかけるように呟いたその声に、フェリクスが答える。
「ああ。記録塔はもう、何も動かない。あれだけ幸福を管理していた機構が、今はただの廃墟だ」
ルカが近づき、残骸の一部を拾い上げる。
「この中に、誰かの“心”が記録されることは、もうない」
その言葉を聞きながら、ミーナは微笑む。
「それでいいの。誰かの幸せを、数値で裁くなんて……そんな世界はもう、いらない」
その言葉の裏に、かつての自分の姿がよぎった。聖都で《幸福の記録者》と呼ばれ、制度に従いながらも違和感を抱き続けたあの頃。
だが、今は違う。今、彼女は己の意志でここに立っている。記録されずとも、誰かと笑い、誰かと泣くことのできる心を持って。
「でも……これからの世界は、大丈夫なのかな」
ルカの声に、ジャレッドが答える。
「混乱は避けられないだろう。幸福値に依存していた国々や組織は、再編を迫られる。経済も政治も、数値ではなく、心で動かす必要がある」
「それって、逆に難しいことなんだよな」
フェリクスが肩をすくめる。
「数値化されていたからこそ、保たれていた秩序もある。だけど、それが“本当の幸せ”だったかどうかは……誰にもわからない」
ミーナはそっと手を胸に当てる。
「でも、わたしは信じたい。信じられるの。だって——」
言葉を紡ごうとしたそのとき。
遠くで歓声が上がった。空中列車《ヴァルトライン》の着陸音と共に、多くの人々がエウロパ跡地を訪れ始めていた。廃墟と化した記録塔を前に、子どもたちが興味津々に見つめ、大人たちはカメラを手に記録している。
「観光地になってる……?」
ルカが驚いたように呟く。
「いや、違う。これは“再出発”の儀式だ」
ジャレッドの目が細められた。
「記録に支配された時代を終えて、人はまた“描く”ことを始める。自分の幸せを、自分の手で」
そのとき、ひとりの少女がミーナに声をかけた。
「お姉さん、ここって“幸福を閉じ込めてた場所”なんでしょ?」
ミーナはうなずく。
「うん。だけど、もう誰の心も閉じ込めたりはしないよ」
少女はにっこりと笑って、空に向かって言った。
「じゃあ——これから、たくさん幸せ見つけるんだ!」
それを聞いて、ミーナは微笑んだ。
記録ではなく、記憶に残る言葉。
数字ではなく、想いに残る笑顔。
幸福とは、他人に決められるものじゃない。
それを、世界はようやく知り始めている。
風が吹いた。温かな、やさしい春の風だった。
ミーナはもう一度、空を見上げた。今その瞳に映るのは、幸福という数値ではない——まだ描かれていない、これからの未来だった。
「さあ、帰ろうか」
フェリクスの声に、ミーナは静かに頷いた。
帰る場所があるということ。 誰かと笑い合えるということ。 誰かと未来を語れるということ。
それが、幸せなのだと、心から思えた。
彼女の歩みの先に、また新たな風景が広がっていた——
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