塞ぐ

虎島沙風

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第六章

第四節

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 死ぬッ!! 華那はるなは本気でそう思った。
 漆黒の空から火の粉が降り注ぐ。ズドンと腹の底に響く爆発音は腹や耳を殺す。希望を奪う。
 華那は全速力で逃げた。花火から。音から。
 ……怖い怖い怖い……誰か助けて……ダメだ……このままここに居れば……音に……火の粉に……殺される……逃げなきゃ……早く逃げなければ……こんなところで死にたくない……まだ……死にたくない……。
 花火が最も綺麗に見える河原へ向かう祭り客とすれ違いながら(若干ぶつかりながら)逆走する。皆、ワクワク顔で、家族や友人や恋人と一緒に歩いていた。
 あんなの見て。花火なんか見て何が楽しいの。意味分かんない。
 でも楽しそうで羨ましいな、と酷く惨めな気持ちになった、その時だ。
「華那ッ!!」
 後方から名前を呼ぶ声が聞こえた。誰の声かはすぐに分かったが振り返らなかった。立ち止まらずに逆走しながらひたすら家に向かう。
「待てよ! ちょっと待て、どこ行く気だよ!?」 
 声が再び聞こえた次の瞬間、右腕を掴まれた感触がした。振り払おうと思い切り腕を振ったが、掴まれている感触は消えない。力が弱すぎて振り払えなかったのだと落胆する。
「離して!」
 甲高く叫びながら何とか手を引き剥がそうとする。
「分かった」
 手は自ら離れた。違う。手の主が離したのだ。
 後方を振り返ると雪弥ゆきやが立っていた。困惑と焦りが混じったような顔をしているのが薄暗闇の中でも分かる。
 何で急に走り出したんだ? 言葉を発していなくても雪弥が最も訊きたい事は容易に予想できる。
 声の主も手の主も雪弥だった。本当に雪弥だった。嬉しいような鬱陶しいようなとても複雑な気持ちだ。
 どうやら、多くの屋台が設置されている賑やかで温かい道を通り過ぎて、右にはビュンビュンと飛ばす自動車、左には普通の店が立ち並ぶ心も体もヒンヤリする道まで来たようだ。たった今、気づく。
 雪弥はここまで追いかけてきたのだろう。
 花火が数発打ち上がったところで突然立ち上がったかと思えば、走り出した華那の後を追いかけて。
 申し訳なくて沸き起こった罪悪感が胸をチクチクと突き刺す。
 ああ、こんなつもりじゃなかったのに──。
 悲しくてつらくて虚しくて悔しくて泣きそうになる。普通の人間だったら。花火の音が苦手ではなかったら。こんな事にはならなかった。
 もう十七歳だから花火の音平気になったかな、って思ったのに。やっぱり駄目だった。
「何でいきなり走り出したんだよ? 花火まだ終わってないぞ」
 そんな事は言われなくても分かっている。まだ終わっていないから家に帰ろうとしているのだ。一秒でも早く家に帰りたいのだ。
「見たくないのか?」
 見たくない! と心の中で断言したが、いや、見たい。音が苦手ではなければ。みんなと同じように楽しむ事ができるなら。
 俯いている華那の顔を雪弥が覗き込んできた。やめて、と叫ぶ前に雪弥がポツリと呟いた。短い言葉だった気がする。
「何? なんて?」
「俺と……、」
「俺と?」
「俺と一緒に花火見たくないのか?」
 雪弥からの質問に華那は動揺した。
「そっ! そんな事ないよ!!」
 ブンブンと首を横に振る。
「どうして……、そう思ったの?」
「……円井まるいが自分と陽翔あきとと俺とお前の四人で『今年の夏祭りはダブルデートしようよ』って提案した時、お前は全然喜んでなかったし乗り気じゃなさそうだった。
 そして祭り当日の今日は、四人で屋台を回っている時は楽しそうだったのに……円井や陽翔と分かれて俺と回り始めてから表情が曇りだした。
 お前は俺がメンバーに含まれてるって知って最初から夏祭りに行くのに乗り気じゃなかったし、俺と一緒に回りたくないし花火も見たくないから走って逃げたんだよな?」
 全然違う。
 華那が乗り気ではなかったのは、夏祭りでは必ず花火が打ち上がるからだ。四人で屋台を回っている時に楽しそうだったのは、花火がまだ打ち上がる前だからだ。二人と分かれて雪弥と回り始めてから急に表情が曇り出したのは、『どうしようもうすぐ花火が始まっちゃう!』と、脳内が不安と恐怖に支配されたからである。
 そもそも。今更言っても遅いが、夏祭りに誘ってきた風花ふうかも悪いと思う。
 風花には中一の時から『花火の音が苦手』だと伝えており、中学の頃も去年もそう伝えて誘いを断ってきた。
 十中八九忘れている。自分の事ではないから忘れてもおかしくはないし、風花は忘れっぽい性格だ。『他の人には言わないでね』という約束さえすっかり忘れてしまう。
 中三の時に、風花にだけ教えていた華那の秘密を共通の友人にポロッとバラした。
『絶対誰にも言わないから!』という風花の言葉を信じた自分が馬鹿だったと反省したのを鮮明に覚えている。
 華那は徐に口を開く。
「違うよ!」
「じゃあ何で俺から逃げるように走り去ったんだ?」
「雪弥から逃げたんじゃなくてね……、」
 誤解を解こうと慌てて説明しようとしたが、「いやいいよ」と雪弥が遮った。
「嘘吐かなくて。まあでも……逃げられたのは普通に……ショックだった……」
 雪弥は低い声でもごもごと喋りながら徐々に俯いていく。心配になってそっと表情を窺うと、『ショック』という言葉通り、落ち込んでいるように見えた。
 店舗照明と自動車のヘッドライトしか光のない暗闇に立っているせいでそう見えただけかもしれないが。
 雪弥にだけは教えたくなかったけどさすがに教えないとやばいかもなぁ……。

 花火の音が苦手なの。

「……雪弥?」
 意を決して伝えたのに雪弥はキョトンとしていた。
 華那の声が小さすぎて聞き取れなかったのか、それとも結構離れたのに小さくならない花火の音のせいか。両方かもしれない。
「悪い。今、なんか言ったよな? けど聞こえなかった。……もう一度言ってくれないか?」
「…………花火の音が苦手なの」
 今度は雪弥の耳に届くように声のボリュームを上げた。
「花火の音が苦手?」
「うん」
「お前が?」
「うん」
 雪弥は「そうなのか……苦手なのか」と独りごちる。
「苦手なのはいつからだ?」
 なんか面接みたいだ、と華那は嫌そうに顔をしかめた。
 二年前の三月の北橋きたはし高校を受験した日に受けた集団面接の記憶が蘇る。これも思い出しくないトラウマの一つだ。
 面接官に『本校を志望した理由は何ですか?』と問われた時にしっかり覚えたはずの返答が思い出せなかった。一文字もだ。
 もし、「緊張しすぎて頭が真っ白になった」と正直に打ち明けたら、「ただの言い訳だ。思ってもいない事を言おうとしたから忘れたんじゃないのか?」と冷たく言われてしまうだろうか。
 と、雪弥が「あ」と五十音順の最初の一文字を発した。
「答えづらいなら無理に答えなくていいぞ」
「ううん。小さい頃からだよ」
 面接真っ只中のように心臓がバックンバックンと暴れまくっている中、「苦手だから、」と続ける。
「花火見れないの。だから、私、先に帰るね」
「か、帰るって……!」
「雪弥は風花と篠田しのだくんと合流して花火見なよ」
「お前は?」
「だから私は帰るって言ってんじゃん」
「お前が帰るなら俺も帰る」
「何で?」
「何でもだ。一週間くらい前から『陽翔くんに告る!』って意気込んでた円井にとって俺はお邪魔虫だろうし今行けば確実に円井から恨まれる……。それにお前が帰ってしまったら俺の目的が果たせない」
「目的?」
 尋ねた途端、雪弥は腕を組んでそっぽを向いて黙り込んだ。
 余計な質問をしたせいで雪弥を怒らせてしまったのかもしれない。
 華那は怖いなと慄きつつも頑張って口を開いた。
「あのさ。言いづらい事なら、無理に答えなくていいよ……?」
 じゃあ帰るね、と華那は急いで雪弥に背を向けた。

 

 そのまま立ち去ろうとしたところで、三文字の言葉が世界に放たれて華那の耳にぼんやりと入る。
 好きだ──?
 ハッとして振り返ると暗闇にロシアンブルーのような二つの瞳が光る。華那は上目遣いで自分より約二十㎝高い雪弥を見返した。このまま見詰め続けていたら別世界に吸い込まてしまいそうなミステリアスさ漂う瞳だ。
 本当に吸い込まれて元の世界に戻れなくなったら困る、と視線を上から下に移した。
 雪弥は『好きだ』なんて言ってないかも。ただの聞き違いかも。そうに違いない。
 華那の目の前にある上唇と下唇の厚さが同じ赤い唇がパカリと開く。
「俺はお前が。いや、俺は華那が好きなんだ」
 ……上げて落とす?
『好き』と言って自分を浮かれさせた直後に、「冗談に決まってるだろ。騙されるなんて馬鹿だな」と嘲笑うつもりなんだろうか。
 荒んだ心の持ち主は雪弥からの告白を信じられずにいた。
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