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第四話
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騒々しく鳴いている蝉は夏を喜んでいるのだろうか。それとも、残り少ない命を嘆いているのだろうか。晴にはよくわからないけれど、とっとと彼に見つかってくれと思っていた。彼とは誰かと言ったら、もちろん葉だ。鳴き声はするのに姿が見えないという理由だけで、葉は蝉を探すために中庭の木々を大捜索している。晴には目もくれないまま、どれほど時間が経っただろう。七月末の真昼間は身体中の水分が蒸発しそうなほどの暑さだ。晴は唯一木陰になっているベンチに座りながら自分の身を案じ、ぬるくなったミネラルウォーターを一口飲んだ。でも流石に限界だ。葉にとってもこの暑さは良くないに決まっている。ほとんど保護者のような気持ちで、晴はベンチから立ち上がった。
「葉くん」
それほど距離があるわけでもないのに、桜の大木を見上げる葉は少しも反応しない。晴は仕方なく木陰から抜け出して、葉に近づきながらもう一度「葉くん」と声をかけた。するとやっと彼の耳に届いたのか、葉はくるりと晴を振り返ってふわりと笑顔を浮かべる。
「晴、ずっといたの?」
「そうだよ。ずっといた」
間近まで歩み寄ってみると、晴よりずっと涼しい顔をしていると思った葉は汗だくだった。汗が目に入ったようで葉がぎゅっと目を瞑る。ふと笑みが溢れたのは、その様子さえ可愛いと思ったからだ。瞼を擦ろとした手の甲を遮って、晴はズボンのポケットから取り出したハンカチで汗を拭ってやる。
「ふふ、子供みたい」
晴が思わずそう言うと、葉は少し不貞腐れたように唇を突き出して「よく言われる」と言った。
「もうだめ。暑すぎるから、一緒に食堂行くよ」
そう伝えながら葉の背中に手を添える。Tシャツまでもぐっしょりと濡れているけれど、相手が葉だと思えば少しも嫌ではないのだ。
中庭用の出入り口である食堂のガラス戸を開けると、冷たい空気がふわりと体を包んだ。そのことに安心すら覚える。
「あ、真」
窓際にある四人がけのいつもの席に座った真が、晴たちに右手を挙げている。五限目のこの時間、こんなに涼しい場所から葉のことを眺めていたのだと思うと心底羨ましい。でも葉の一番近くを選んだのは自分自身であるために、文句も言えないのだ。
「真、蝉がいないんだよ」
「そうなんだ、不思議だね。こんなに鳴いているのに」
「そうだろ」
葉はそう言いながら、真の対角線上の席に腰掛けた。つまり、晴に対して隣に座れと暗に示している。それだけで心が湧き立って、晴は嬉々として葉の隣の席を引いた。
「晴、葉のお守り、お疲れ」
その言葉に、ちょっと吹き出しながらこくりと頷く。すると隣の葉が再びムッと唇を尖らせたことがわかった。
「葉、着替えは?」
「ないよ」
「サークル、どうするわけ?」
「今日は体育館でバスケだから、どうせ汗かくじゃん」
「ジャージは持ってきた?」
「この服で大丈夫でしょ」
葉と真の所属するサークルは、週に何度かスポーツをするだけの賑やかなサークルだ。最近になって晴も入部を決めたため、三人でつるんでサークルに参加することが多い。今日もそのつもりだった。男女問わず元気すぎるところが気になるものの、悪意があるような人はおらず、そこそこ楽しくやれている。
「でも、その後バイトでしょ?」
真の言葉に、確かにと考える。幸い晴自身はモデルの仕事の打ち合わせがあるために、念のため着替えを持ってきている。それを葉に貸してやったほうが良いだろうか。
「一旦帰ってシャワー浴びようかな」
「それがいいかも」
すでに貸してやる気満々だったから、ちょっとがっかりだ。でもアルバイトの前に一度汗を流した方が葉にとっても良いだろう。
「本屋、忙しい?」
気を取り直して晴が尋ねると、葉はきょとんとした顔で晴のことを見つめてきた。
「本屋?本屋じゃないよ」
「え?本屋だったじゃん」
「今日からカフェ」
「カフェ?」
驚いて思わず声を上げた晴に対して、向かいに座る真は平然としている。
「ちゃんとメニュー予習した?」
「うん。みんな美味しそうだった」
「葉が美味しく作るんだよ」
「いや、待って待って。なんで葉くんのバイトが変わったこと、俺は知らないの?」
晴が尋ねると、葉は再びきょとんとして「言ってなかった?」と首を傾げた。
「言ってないよ!」
最近では毎日のように昼を一緒に過ごしている上に、サークルでも会っている。そこそこ同じ時間を過ごしているはずなのに、どうして真は知っていて晴が知らないのだろう。我ながら険しい顔をしている自覚がある晴に、真は軽く机を指先で叩いて、「駅前のさ」と言った。
「ほら、あそこ。駅前の、大きいカフェあるだろ」
「大きいって、あのチェーン店の?」
「そう、あそこだって」
「えぇっ!」
晴の想像通りで良いのであれば、膨大なメニューとおしゃれな店内に客足が絶えず、働いている人間も若者ばかりで煌びやかなイメージがある店だ。よりにもよってと気が遠くなりながら、なんとか平静を装って咳払いをした。
「なんであそこなの?」
「葉、言っていい?」
真の言葉に、葉がこくりと頷く。何か確認が必要な理由でもあるのだろうか。
「葉は、そろそろモテたいんだって」
「……はあ?」
晴が声を上げて隣の葉を見ると、葉は当然といったように再びこくりと頷いた。
「モテたいですって先輩に相談したら、誘ってくれたんだ」
「先輩って誰」
「古川先輩」
知らない名前に頭を抱えたくなるのを必死で耐える。知っている先輩でも困るけれど、晴が知らない先輩だなんて厄介にも程がある。なんてことをしてくれたのだろう。
「葉くんはモテてるよ」
明るくて、優しくて、朗らかで、真っ白に可愛い。この久遠晴がそう思うくらいなのだから、葉を想う人間は男女問わず多いはずだ。何人か牽制してきた記憶もあるから確かである。ところが葉はそんな言葉では納得しないらしい。
「俺がモテてるわけないだろ。晴や真と比べてごらんよ」
「いや、俺も葉はモテると思うけどね」
「今日は蝉にも近づいてもらえなかった」
葉が再び唇を尖らせた。何かが不満な時にするこの仕草が、今ではすごく心配になる。こんな可愛い姿を、もしかしたらこれからは不特定多数の人間が見ることになるのだ。真剣な顔や笑った顔、困った顔に焦った顔まで無自覚に披露すると思ったらあまりに恐ろしくて、体が冷えて震えてきた。
「葉くん、今からでもやめよう?」
「なんでだよ。バイトしたって俺がモテないって?」
「そうじゃないよ。モテすぎたらどうするの?」
「そのためにバイトするんだよ」
「変な奴がいたらどうするつもり?」
「俺は男だから、女の子を守ってあげないとね」
「ダメダメ!葉くん自身が一番大切だよ」
半ば悲鳴をあげそうになりながら、この晴ともあろう男が必死で止めるのだ。それなのに当の本人は全く譲る気はないようで、決意のこもった真っ直ぐな瞳が眩しい。助けを求めるように真を見ても、呆れたように肩を竦めて首を横に振るだけだった。
それから体育館でバスケットボールをしている間も、休憩中も、晴は葉を説得し続けた。
「葉くん、あのカフェは忙しそうだよ?恋なんてできないって」
「それはやってみて確かめる」
「カフェなんてたいしたことないよ」
「晴や真だってカフェで働いてるじゃん」
「葉くん、お願い。俺がお小遣いあげるから」
「子供扱いするなってば」
プライドやら何やらを全て投げ捨て葉のことが大切なのだと精一杯伝えたのに、葉には全く伝わらなかった。
サークル終わりになって、カフェで働くことを先輩たちへ報告しているその横顔を見つめる。こんな心配事さえなければその姿は可愛くてたまらないのに、今は不安と切なさで胸が痛んだ。
渋々ながら葉と別れて打ち合わせ場所であるカフェバーへと向かう道中で、晴は隣を歩く真を恨めしく睨みつけた。真も真で、これからシフトらしい。本当は幼馴染の偵察に行ってこいと言いたいのに、それは叶わないのだ。八方塞がりな状況に、晴は大きく溜息をつきながら口を開いた。
「なんで早く教えてくれなかったわけ?」
「何が?」
「葉くんがカフェで働くって」
「いや、知らないとは思わなくてさ」
「葉くんが血迷ってるって相談してくれてもいいじゃん」
「だって血迷ってないもん。むしろ健全だよ」
そういうことじゃないと言いたいのに、何を言ってものらりくらりと躱されそうで、晴はもう一度溜息をついた。その様子を見て流石に哀れに思ったのか、真が晴の顔を覗き込んでくる。
「まあ、晴が悪いよ」
さらりと言われた言葉に絶句する。落ち込んでいる晴にかける言葉がそれなのか。信じられないと初めて親友に怒りそうになったところで、励ますようにポンポンと肩を叩かれた。
「モタモタしてるお前が悪い」
「……はあ?」
「だってずっと好きなんだろ」
ストレートにそう言われて、言葉に詰まった。確かに、好きなのだと思う。本来女の子と遊ぶことが好きな晴が、誰の誘いにも乗らなくなったほどには。目があったら嬉しくて、横顔だってずっとみていたいほどには。でも、そんなに簡単ではないことは、当事者である晴が一番わかっているつもりだ。
「……俺も葉くんも男だよ」
親友に向けて放った言葉が、晴自身の胸に突き刺さった。気にしているつもりもなかったけれど、それは何よりも高いハードルに思えた。今日の言動からもわかるように、葉だって晴なんかより女性に好かれたいに決まっている。
「まあ、悩むか。確かにね」
やはり、親友の意見も同じなのだと思うと、余計に心が沈み込む。胸の奥がドロドロと蠢いて、苦しくてたまらない。そんな晴に気がついたのか、真がもう一度肩をポンと叩いた。
「でもさ、葉は晴の顔好きだと思うよ」
「え?」
「晴を見るとき、特別好きな生き物を見つけたみたいな顔してる」
「うそ」
「まあ、二度と言わないけど」
思わず立ち止まった晴を置いて、真はスタスタと先に行ってしまう。今、重大なことを教えてくれたのではないだろうか。微笑んでも無視ばかりされるから、少しも有効ではないと思っていた晴の顔。葉のことならなんでも知っている真からして、この顔は十分に戦えるらしい。一気に活力が湧いて、心がふわりと軽くなった。
「真」
なるべく大きな声で名前を呼ぶと、真が振り返りながら立ち止まった。
「なに?」
「本当、ありがとう」
真は黙って晴を見つめてから、一度だけ小さく頷いた。
「俺にとったら大事な幼馴染なんだからな」
「わかってる」
「本当は晴みたいな遊び人、嫌なんだよ」
「もう遊んでねぇよ」
「知ってる。だからちょっとくらいは許してやろうと思ったの」
真の元まで歩み寄ると、彼は呆れたように晴を見て少しだけ笑った。
「頑張れよ」
「うん、頑張るよ」
らしくないことくらいわかっている。それでも大事な葉に、モテたいだなんて、モテていないだなんて、今後絶対に言わせたくない。そして何より、変な虫が少しだって寄りつかないように。晴は葉のために、自分のために、できることはなんでもするつもりで大きく息を吸い込んだ。
「葉くん」
それほど距離があるわけでもないのに、桜の大木を見上げる葉は少しも反応しない。晴は仕方なく木陰から抜け出して、葉に近づきながらもう一度「葉くん」と声をかけた。するとやっと彼の耳に届いたのか、葉はくるりと晴を振り返ってふわりと笑顔を浮かべる。
「晴、ずっといたの?」
「そうだよ。ずっといた」
間近まで歩み寄ってみると、晴よりずっと涼しい顔をしていると思った葉は汗だくだった。汗が目に入ったようで葉がぎゅっと目を瞑る。ふと笑みが溢れたのは、その様子さえ可愛いと思ったからだ。瞼を擦ろとした手の甲を遮って、晴はズボンのポケットから取り出したハンカチで汗を拭ってやる。
「ふふ、子供みたい」
晴が思わずそう言うと、葉は少し不貞腐れたように唇を突き出して「よく言われる」と言った。
「もうだめ。暑すぎるから、一緒に食堂行くよ」
そう伝えながら葉の背中に手を添える。Tシャツまでもぐっしょりと濡れているけれど、相手が葉だと思えば少しも嫌ではないのだ。
中庭用の出入り口である食堂のガラス戸を開けると、冷たい空気がふわりと体を包んだ。そのことに安心すら覚える。
「あ、真」
窓際にある四人がけのいつもの席に座った真が、晴たちに右手を挙げている。五限目のこの時間、こんなに涼しい場所から葉のことを眺めていたのだと思うと心底羨ましい。でも葉の一番近くを選んだのは自分自身であるために、文句も言えないのだ。
「真、蝉がいないんだよ」
「そうなんだ、不思議だね。こんなに鳴いているのに」
「そうだろ」
葉はそう言いながら、真の対角線上の席に腰掛けた。つまり、晴に対して隣に座れと暗に示している。それだけで心が湧き立って、晴は嬉々として葉の隣の席を引いた。
「晴、葉のお守り、お疲れ」
その言葉に、ちょっと吹き出しながらこくりと頷く。すると隣の葉が再びムッと唇を尖らせたことがわかった。
「葉、着替えは?」
「ないよ」
「サークル、どうするわけ?」
「今日は体育館でバスケだから、どうせ汗かくじゃん」
「ジャージは持ってきた?」
「この服で大丈夫でしょ」
葉と真の所属するサークルは、週に何度かスポーツをするだけの賑やかなサークルだ。最近になって晴も入部を決めたため、三人でつるんでサークルに参加することが多い。今日もそのつもりだった。男女問わず元気すぎるところが気になるものの、悪意があるような人はおらず、そこそこ楽しくやれている。
「でも、その後バイトでしょ?」
真の言葉に、確かにと考える。幸い晴自身はモデルの仕事の打ち合わせがあるために、念のため着替えを持ってきている。それを葉に貸してやったほうが良いだろうか。
「一旦帰ってシャワー浴びようかな」
「それがいいかも」
すでに貸してやる気満々だったから、ちょっとがっかりだ。でもアルバイトの前に一度汗を流した方が葉にとっても良いだろう。
「本屋、忙しい?」
気を取り直して晴が尋ねると、葉はきょとんとした顔で晴のことを見つめてきた。
「本屋?本屋じゃないよ」
「え?本屋だったじゃん」
「今日からカフェ」
「カフェ?」
驚いて思わず声を上げた晴に対して、向かいに座る真は平然としている。
「ちゃんとメニュー予習した?」
「うん。みんな美味しそうだった」
「葉が美味しく作るんだよ」
「いや、待って待って。なんで葉くんのバイトが変わったこと、俺は知らないの?」
晴が尋ねると、葉は再びきょとんとして「言ってなかった?」と首を傾げた。
「言ってないよ!」
最近では毎日のように昼を一緒に過ごしている上に、サークルでも会っている。そこそこ同じ時間を過ごしているはずなのに、どうして真は知っていて晴が知らないのだろう。我ながら険しい顔をしている自覚がある晴に、真は軽く机を指先で叩いて、「駅前のさ」と言った。
「ほら、あそこ。駅前の、大きいカフェあるだろ」
「大きいって、あのチェーン店の?」
「そう、あそこだって」
「えぇっ!」
晴の想像通りで良いのであれば、膨大なメニューとおしゃれな店内に客足が絶えず、働いている人間も若者ばかりで煌びやかなイメージがある店だ。よりにもよってと気が遠くなりながら、なんとか平静を装って咳払いをした。
「なんであそこなの?」
「葉、言っていい?」
真の言葉に、葉がこくりと頷く。何か確認が必要な理由でもあるのだろうか。
「葉は、そろそろモテたいんだって」
「……はあ?」
晴が声を上げて隣の葉を見ると、葉は当然といったように再びこくりと頷いた。
「モテたいですって先輩に相談したら、誘ってくれたんだ」
「先輩って誰」
「古川先輩」
知らない名前に頭を抱えたくなるのを必死で耐える。知っている先輩でも困るけれど、晴が知らない先輩だなんて厄介にも程がある。なんてことをしてくれたのだろう。
「葉くんはモテてるよ」
明るくて、優しくて、朗らかで、真っ白に可愛い。この久遠晴がそう思うくらいなのだから、葉を想う人間は男女問わず多いはずだ。何人か牽制してきた記憶もあるから確かである。ところが葉はそんな言葉では納得しないらしい。
「俺がモテてるわけないだろ。晴や真と比べてごらんよ」
「いや、俺も葉はモテると思うけどね」
「今日は蝉にも近づいてもらえなかった」
葉が再び唇を尖らせた。何かが不満な時にするこの仕草が、今ではすごく心配になる。こんな可愛い姿を、もしかしたらこれからは不特定多数の人間が見ることになるのだ。真剣な顔や笑った顔、困った顔に焦った顔まで無自覚に披露すると思ったらあまりに恐ろしくて、体が冷えて震えてきた。
「葉くん、今からでもやめよう?」
「なんでだよ。バイトしたって俺がモテないって?」
「そうじゃないよ。モテすぎたらどうするの?」
「そのためにバイトするんだよ」
「変な奴がいたらどうするつもり?」
「俺は男だから、女の子を守ってあげないとね」
「ダメダメ!葉くん自身が一番大切だよ」
半ば悲鳴をあげそうになりながら、この晴ともあろう男が必死で止めるのだ。それなのに当の本人は全く譲る気はないようで、決意のこもった真っ直ぐな瞳が眩しい。助けを求めるように真を見ても、呆れたように肩を竦めて首を横に振るだけだった。
それから体育館でバスケットボールをしている間も、休憩中も、晴は葉を説得し続けた。
「葉くん、あのカフェは忙しそうだよ?恋なんてできないって」
「それはやってみて確かめる」
「カフェなんてたいしたことないよ」
「晴や真だってカフェで働いてるじゃん」
「葉くん、お願い。俺がお小遣いあげるから」
「子供扱いするなってば」
プライドやら何やらを全て投げ捨て葉のことが大切なのだと精一杯伝えたのに、葉には全く伝わらなかった。
サークル終わりになって、カフェで働くことを先輩たちへ報告しているその横顔を見つめる。こんな心配事さえなければその姿は可愛くてたまらないのに、今は不安と切なさで胸が痛んだ。
渋々ながら葉と別れて打ち合わせ場所であるカフェバーへと向かう道中で、晴は隣を歩く真を恨めしく睨みつけた。真も真で、これからシフトらしい。本当は幼馴染の偵察に行ってこいと言いたいのに、それは叶わないのだ。八方塞がりな状況に、晴は大きく溜息をつきながら口を開いた。
「なんで早く教えてくれなかったわけ?」
「何が?」
「葉くんがカフェで働くって」
「いや、知らないとは思わなくてさ」
「葉くんが血迷ってるって相談してくれてもいいじゃん」
「だって血迷ってないもん。むしろ健全だよ」
そういうことじゃないと言いたいのに、何を言ってものらりくらりと躱されそうで、晴はもう一度溜息をついた。その様子を見て流石に哀れに思ったのか、真が晴の顔を覗き込んでくる。
「まあ、晴が悪いよ」
さらりと言われた言葉に絶句する。落ち込んでいる晴にかける言葉がそれなのか。信じられないと初めて親友に怒りそうになったところで、励ますようにポンポンと肩を叩かれた。
「モタモタしてるお前が悪い」
「……はあ?」
「だってずっと好きなんだろ」
ストレートにそう言われて、言葉に詰まった。確かに、好きなのだと思う。本来女の子と遊ぶことが好きな晴が、誰の誘いにも乗らなくなったほどには。目があったら嬉しくて、横顔だってずっとみていたいほどには。でも、そんなに簡単ではないことは、当事者である晴が一番わかっているつもりだ。
「……俺も葉くんも男だよ」
親友に向けて放った言葉が、晴自身の胸に突き刺さった。気にしているつもりもなかったけれど、それは何よりも高いハードルに思えた。今日の言動からもわかるように、葉だって晴なんかより女性に好かれたいに決まっている。
「まあ、悩むか。確かにね」
やはり、親友の意見も同じなのだと思うと、余計に心が沈み込む。胸の奥がドロドロと蠢いて、苦しくてたまらない。そんな晴に気がついたのか、真がもう一度肩をポンと叩いた。
「でもさ、葉は晴の顔好きだと思うよ」
「え?」
「晴を見るとき、特別好きな生き物を見つけたみたいな顔してる」
「うそ」
「まあ、二度と言わないけど」
思わず立ち止まった晴を置いて、真はスタスタと先に行ってしまう。今、重大なことを教えてくれたのではないだろうか。微笑んでも無視ばかりされるから、少しも有効ではないと思っていた晴の顔。葉のことならなんでも知っている真からして、この顔は十分に戦えるらしい。一気に活力が湧いて、心がふわりと軽くなった。
「真」
なるべく大きな声で名前を呼ぶと、真が振り返りながら立ち止まった。
「なに?」
「本当、ありがとう」
真は黙って晴を見つめてから、一度だけ小さく頷いた。
「俺にとったら大事な幼馴染なんだからな」
「わかってる」
「本当は晴みたいな遊び人、嫌なんだよ」
「もう遊んでねぇよ」
「知ってる。だからちょっとくらいは許してやろうと思ったの」
真の元まで歩み寄ると、彼は呆れたように晴を見て少しだけ笑った。
「頑張れよ」
「うん、頑張るよ」
らしくないことくらいわかっている。それでも大事な葉に、モテたいだなんて、モテていないだなんて、今後絶対に言わせたくない。そして何より、変な虫が少しだって寄りつかないように。晴は葉のために、自分のために、できることはなんでもするつもりで大きく息を吸い込んだ。
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