蝶々の夏

月丘きずな

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第六話

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 七月とはいえども、夜の空気は昼間よりもずっと涼しい。葉はこっそり隣を見上げて、くふっと笑った。その瞬間にうっかり彼と目が合いそうになって、誤魔化して慌てて夜空を見上げてみる。輝いているのは、蛍みたいに小さな星々だ。月並みな言葉だけれど、隣の彼はあの星よりもずっと綺麗に輝いている。晴という名前の通り、きっとよく晴れた素晴らしい日に生まれたに違いない。葉にとって太陽であり、綺麗な青空でもある晴のことが、葉はずっと好きだった。
「星見てるの?」
 晴が葉に倣って星を見ながらそう尋ねてきた。本当は晴のことを見ていたわけだけれど、本当のことを言ったらきっと困るだろうから大人しく頷いておく。
 リーンリーンと鳴いているのは恐らくマツムシだ。きっとメスに向けて愛を叫んでいるのだろう。葉だって、素直に愛を口に出せたら良いのに。でもそうできないのは、きっと訪れる悪い結末が怖くて、大好きな晴を嫌な気持ちにさせたくもないからだった。
 仲良くなったのは今年の四月に入ってから。でも、幼馴染の真の隣にいる晴のことにはずっと前から気がついていた。初めてまじまじとその姿を見た時には、まるで世界一美しいとされるモルフォチョウのようだと感心したものだ。真と二人で並ぶと少女漫画の中に入り込んだかのようで、女の子が放っておかないのも頷けた。最初はそんな気持ちだったのに、いつの間にかずっと葉の隣にいてくれたら良いのにと思うようになったのだ。それはもしかしたら、六月のあの日が決定打になったのかもしれない。
 きっと晴は覚えていないだろう。六月の貴重な晴れ間、葉は大学の中庭で虫を捕まえていた。雨の後には雨の後にしか見られない生き物たちがいるのだ。だからぬかるむ地面にも負けず、虫籠の中をいっぱいにすることを目標に庭を駆け回っていた。
 気がつけば全身泥だらけで、まいったなと頬を掻いた。こんな姿になって、自習室に入れてもらえるだろうか。早々にレポートを書いて、虫たちを逃がしてやりたいのだ。
「葉くん」
 そう声が聞こえた瞬間に、ほとんど反射で振り返った。美しくてクールで、それからとびきり優しい晴のことは既に友人として好きだったから、声をかけてくれたことが純粋に嬉しかったのだ。でも外廊下の途中で佇む彼の隣には、綺麗な女の子が立っていた。ズキリと痛んだ胸が何を意味しているのか、その時はあまり考えなかった気がする。
 晴は彼女に手を振り、葉の正面まで駆け寄りながらクスリと笑った。その笑顔がなんとも言えず美しくて、葉はきゅっと目を細めた。晴がお日様みたいに眩しくて、泥だらけの自分自身との対比に居た堪れない気持ちになった。
「すごい、泥だらけ」
 葉の頬に手を添えて、晴が独り言のように呟いた。それからしきりに親指で頬を擦っているのは、もしかしたら泥を拭ってくれているのかもしれない。
「泥だらけも似合うね」
 それってどうなのかと思いつつも、顔に触れる手の優しさが嬉しくて、そのまま素直に受け入れ続ける。
「晴くん」
 その声にハッとして晴の肩口から外廊下の方を覗くと、晴と手を振って別れたはずだった女の子がまだそこに佇んでいた。
「晴、呼んでるよ」
 葉がそう言っても、晴は葉の顔を綺麗にすることに夢中なようで反応してくれない。
「晴」
 もう一度名前を呼ぶと、晴はやっと葉の目を覗き込んだ。
「葉くん」
「うん」
 女の子が呼んでるよ、と言いたかった。それなのに何も言えなかったのは、晴がもう一度優しく微笑んだからだ。雨上がりの中庭で、晴だけがキラキラと煌めいて見える。
「どうしてこんなに」
「え?」
 思わず聞き返したところで、晴の肩の向こうの女の子が中庭に足を踏み入れた姿が見えた。
「あ、危ないよ」
 あんなに高いヒールで中庭に入ったら、きっと転がって怪我をしてしまうだろう。葉は慌てて駆け寄ろうとした。でも、晴がそれを遮ったのだ。葉を置いて颯爽と女の子に近づくと、体を支えて外廊下のコンクリートへと促す。女の子は嬉しそうに笑って、葉のことをチラリと見ると晴の腕をギュッと組み取った。女の子のことが羨ましいと思ったのは生まれて初めてだった。葉だって、一瞬でいいからハイヒールが履いてみたいとも思った。でもハイヒールを履いたって、可愛くないと晴には助けてもらえないのかもしれない。晴が相手にする女の子は可愛くて、当たり前に良い匂いがするのだろう。くんくんと肩の辺りを嗅いでみる。これは多分、湿った草の匂いだ。可愛くないし、良い匂いもしない。絶望的だ。でも同時に思ったのは、絶望するほどには晴のことが好きなのだということだった。
 それから少し経ったある日、葉が想像した通りのことを晴が言っていた。女の子は可愛くて、いい匂いがして、優しくて、柔らかいところが好きだって、本人がそう言ったのだ。悔しくて、悲しくて、心がどうにかなってしまうかと思った。でも試しに言ってみたのだ。
「俺だって、ちょっとくらいは、柔らかいはずだよ」
 言ったところで晴からの反応は何もなかったから、成功か失敗でいったらきっと失敗だったのだろう。度々葉に向けられる「可愛い」という言葉も、きっと子供に対するものと同じだ。今日も中庭で蝉を探していただけで「子供みたい」と言われたのだ。子供に対する「可愛い」は恋愛にはつながらないことくらい、葉だって知っている。
「葉くん?」
 ハッと我に帰って隣を見ると、晴が心配そうに葉の顔を覗き込んでいた。晴は今日、葉のアルバイト先までわざわざ来てくれたのだ。きっと晴の仕事も忙しいのに、葉の仕事ぶりを心配してくれたに違いない。
「晴はさ」
「うん」
 話し始めてから、今から言おうとしていることは、本当に言っても良いことか考える。でも考えている最中に言葉が口から溢れてしまった。
「晴は、かっこいい」
 きっと言われ慣れたセリフだ。それでも晴は嬉しそうに笑って「ありがとう」と言った。
「俺、晴のこと大好き」
 ただの戯言に聞こえるだろう。でも、だからこそ言えたのだ。
「だから、絶対に好きな人と幸せになってね」
 そうでないと、葉が浮かばれない。溢れそうになるのは、涙か、本音か、そのどちらもか。それを必死に押し留めていたら、急に晴に左手を引かれた。そのまま立ち止まると、晴は真剣な顔で葉のことを見つめている。この顔はもしかしたら、少し怒っているのかもしれない。
「葉くん、俺のこと好きなの?」
「う、うん」
「それは、どんな好き?」
 どんなと言われたら、今すぐにでも抱きしめたい方の好きだ。晴に失礼だと思って真面目に考えたこともないけれど、本当は晴とキスがしてみたい。でもそんなこと、絶対に言えない。
「俺は、葉くんとならなんでもしたい」
「なんでも?」
「そう。その意味、考えてみてくれない?」
 その意味、その意味。葉となんでもしたいと思う意味。葉は思わず首を傾げた。人付き合いはなんとなくの感覚で行なっているから、すごく難しい問いだ。生き物を捕まえる方がよっぽど簡単で、人間という理性的動物のことはとても難しい。葉が必死になって考えていると、晴は厳しい表情を緩めてふわりと笑った。
「本当、可愛い」
 赤くなりそうな顔を必死で顰める。可愛いわけない。今提示されたのは、晴の中ではきっと優しい問いに違いない。それがわからないなんて、葉という人間は何か欠落しているのかもしれない。
「ゆっくり、ゆっくり。俺のことだけ見ていて」
 うわあ、と声を上げなかった自分を褒めてやりたい。それほどまでに、かっこよくて、美しくて、鳥肌が立った。今の、絶対映画にした方が良い。でもその映画のヒロインは絶対に葉ではないだろう。そう思うとすごく切ないから、結局は映画でなくてよかったのかもしれない。
 スッと左手を取られて、優しく繋がれる。もしかして迷子にでもなると思われているのだろうか。
「葉くんのアパートまで送ってあげる」
 やっぱりそうだ。また子供扱いされているのだと思うと悔しいのに、アパートまで一緒にいられると思うとどうしようもなく嬉しい。だから葉は晴にバレないくらいの強さで、その手をきゅっと握り返してみるのだった。
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