蝶々の夏

月丘きずな

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第八話

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 葉の心はひどく落ち込んでいた。先程目撃したのは、確かに人と人が恋に落ちた瞬間だったと思う。そうでないとおかしいのだ。初対面と思われる二人があれほどまでに見つめ合うだなんて、何か理由がない限りはありえない。
 葉は昔からずっと、家族やら真やらに鈍感だなんだと揶揄われてきた。まったく、本当に鈍感だったのならどれほど良いか。好きな人が恋に落ちる瞬間に遭遇するだなんて、鋭敏であるにも程があるのではないだろうか。何度目かの大きな溜息はまるで無自覚だった。それに遅ればせながら気がついたのは、隣を歩く彼に腕を取られたからである。葉がアルバイトの日は決まって遊びに来て、一緒に帰ってくれる彼。自然に止まった足に、見上げた先にあるのは何よりも美しい顔だ。
「葉くん」
 そう呼ばれるたびに、最近では嬉しさよりも苦しさが上回る。真に対するように、もっと親しげに呼ばれてみたいと思うのはわがままだろうか。でもそんなことは少しも言えずに、「なに?」と首を傾げてみる。すると彼は眉尻をきゅうっと下げて、悲しそうな顔をした。本来、あまり喜怒哀楽を顔に出すタイプではなかったはずだ。でも最近の彼は少しわかりやすい。
「葉くん、どうかしたの?」
「……いや、大丈夫」
「大丈夫じゃないよ。アルバイトで何かあった?」
 グッと言葉に詰まった。でも本当のことは言えないから首を横に振る。すると今度は眉間に皺を寄せて、晴は「嘘つき」と言った。その声音は、多分すごく怒っている。
「葉くんの仕事中はそばにはいられないから、なにがあったのか気づけないんだ。なにが嫌だった?傷ついたの?俺はすごく心配だよ」
 真剣な眼差しに、思わず身が竦んでしまう。怒っているのに、こんなに正面から冷静に言葉を紡いでくれて、さすが葉が好きになった男なだけある。絶対に叶わない恋だけれど、晴を好きになってよかったと心から思った。
「晴はさ」
「うん」
「今までも好きな子いただろ」
「……好きな子?」
「恋に落ちるって、すごく難しいのに、簡単だよね。俺、知ってる」
「知ってるんだ」
「うん。俺だって、恋くらいしたことあるよ。彼女はいたことないけどね」
 葉にとっては、晴が初恋だ。生き物全般を含めて初恋を考えるとしたらその相手はアゲハチョウかダンゴムシだったかもしれないけれど、人間部門では晴が唯一葉を恋に落とした男だ。
「恋心には、正直に生きた方が良いよ」
 晴のような素敵な男の子が正真正銘の恋に落ちたというのなら、応援するしかない。葉の恋が叶うことなんてないと理解していてよかった。もし少しでも希望を抱いていたとしたら、今日も明日も明後日も、苦しくて苦しくて眠れなかったかもしれない。
「俺は、晴を応援するからね」
「応援……」
「それに、俺は透くんのこと」
 透だって、葉には大切な存在だ。幼かった頃、お別れの日の言葉が記憶が蘇る。
『僕は虫も蝶々もカエルも怖いけど、葉くんのためならたくさん捕まえるから、いつか僕を一番にしてね』
 葉は涙を堪えて大きく頷いた。同じ園服を来た同世代の中で大人っぽかった真が「今のプロポーズかな。頷いたということは、透くんと結婚するの?」と尋ねてきたところまでが、今では最高に面白い思い出だ。きっと透も真も覚えていないだろう。
「透くんのことが、なに?」
 冷たい晴の声に、現実に引き戻される。
「いや、透くんのことも、すごく好きだからさ」
 透に再会できたことは心からの喜びだ。立派に大学生になった彼は、まるで白馬の王子様みたいに成長していた。きっと女の子たちが放っておかないだろう。そしてこの晴でさえも、見事に恋に落とした。
「それを、俺の前で言うの?」
 さらに冷え切った声に晴を見上げると、信じられないほどの無表情で葉を見下ろしていた。
「いや、好きっていうのは、恋とは違うよ」
「どうだか」
「本当。だから、晴はなにも気にしなくて良いんだ」
「当たり前でしょ。気にするつもりなんてないよ」
 晴の言葉に、葉の心はガンッと衝撃を受けて最底に沈み込んだ。葉のことなんて実際どうだって良いのだろう。相手にもされていない上に、当然のように敵にも思われていない。そんなことわかっていたつもりなのに、こうして言葉にして突きつけられるとひどく苦しかった。それでも、晴は友人として葉の隣を歩いてくれる。優しくて不器用で、自分に正直なところまで全部が本当に美しい男だ。そんな彼は改めて真剣な眼差しで葉のことを見つめて、ゆっくりと口を開いた。
「大学のことも、バイトのことも、それ以外のことも。困ったことがあったら絶対に俺に言って」
「……ありがとう」
 きっと晴が本当にこの言葉を送りたいのは透だろう。葉にはお見通しだ。でも、友人である葉にもその言葉をかけてくれる晴という男のことがやはり好きで、葉は落ち込んだ心を隠して晴に精一杯笑いかけるのだった。
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