9 / 16
第八話
しおりを挟む
葉の心はひどく落ち込んでいた。先程目撃したのは、確かに人と人が恋に落ちた瞬間だったと思う。そうでないとおかしいのだ。初対面と思われる二人があれほどまでに見つめ合うだなんて、何か理由がない限りはありえない。
葉は昔からずっと、家族やら真やらに鈍感だなんだと揶揄われてきた。まったく、本当に鈍感だったのならどれほど良いか。好きな人が恋に落ちる瞬間に遭遇するだなんて、鋭敏であるにも程があるのではないだろうか。何度目かの大きな溜息はまるで無自覚だった。それに遅ればせながら気がついたのは、隣を歩く彼に腕を取られたからである。葉がアルバイトの日は決まって遊びに来て、一緒に帰ってくれる彼。自然に止まった足に、見上げた先にあるのは何よりも美しい顔だ。
「葉くん」
そう呼ばれるたびに、最近では嬉しさよりも苦しさが上回る。真に対するように、もっと親しげに呼ばれてみたいと思うのはわがままだろうか。でもそんなことは少しも言えずに、「なに?」と首を傾げてみる。すると彼は眉尻をきゅうっと下げて、悲しそうな顔をした。本来、あまり喜怒哀楽を顔に出すタイプではなかったはずだ。でも最近の彼は少しわかりやすい。
「葉くん、どうかしたの?」
「……いや、大丈夫」
「大丈夫じゃないよ。アルバイトで何かあった?」
グッと言葉に詰まった。でも本当のことは言えないから首を横に振る。すると今度は眉間に皺を寄せて、晴は「嘘つき」と言った。その声音は、多分すごく怒っている。
「葉くんの仕事中はそばにはいられないから、なにがあったのか気づけないんだ。なにが嫌だった?傷ついたの?俺はすごく心配だよ」
真剣な眼差しに、思わず身が竦んでしまう。怒っているのに、こんなに正面から冷静に言葉を紡いでくれて、さすが葉が好きになった男なだけある。絶対に叶わない恋だけれど、晴を好きになってよかったと心から思った。
「晴はさ」
「うん」
「今までも好きな子いただろ」
「……好きな子?」
「恋に落ちるって、すごく難しいのに、簡単だよね。俺、知ってる」
「知ってるんだ」
「うん。俺だって、恋くらいしたことあるよ。彼女はいたことないけどね」
葉にとっては、晴が初恋だ。生き物全般を含めて初恋を考えるとしたらその相手はアゲハチョウかダンゴムシだったかもしれないけれど、人間部門では晴が唯一葉を恋に落とした男だ。
「恋心には、正直に生きた方が良いよ」
晴のような素敵な男の子が正真正銘の恋に落ちたというのなら、応援するしかない。葉の恋が叶うことなんてないと理解していてよかった。もし少しでも希望を抱いていたとしたら、今日も明日も明後日も、苦しくて苦しくて眠れなかったかもしれない。
「俺は、晴を応援するからね」
「応援……」
「それに、俺は透くんのこと」
透だって、葉には大切な存在だ。幼かった頃、お別れの日の言葉が記憶が蘇る。
『僕は虫も蝶々もカエルも怖いけど、葉くんのためならたくさん捕まえるから、いつか僕を一番にしてね』
葉は涙を堪えて大きく頷いた。同じ園服を来た同世代の中で大人っぽかった真が「今のプロポーズかな。頷いたということは、透くんと結婚するの?」と尋ねてきたところまでが、今では最高に面白い思い出だ。きっと透も真も覚えていないだろう。
「透くんのことが、なに?」
冷たい晴の声に、現実に引き戻される。
「いや、透くんのことも、すごく好きだからさ」
透に再会できたことは心からの喜びだ。立派に大学生になった彼は、まるで白馬の王子様みたいに成長していた。きっと女の子たちが放っておかないだろう。そしてこの晴でさえも、見事に恋に落とした。
「それを、俺の前で言うの?」
さらに冷え切った声に晴を見上げると、信じられないほどの無表情で葉を見下ろしていた。
「いや、好きっていうのは、恋とは違うよ」
「どうだか」
「本当。だから、晴はなにも気にしなくて良いんだ」
「当たり前でしょ。気にするつもりなんてないよ」
晴の言葉に、葉の心はガンッと衝撃を受けて最底に沈み込んだ。葉のことなんて実際どうだって良いのだろう。相手にもされていない上に、当然のように敵にも思われていない。そんなことわかっていたつもりなのに、こうして言葉にして突きつけられるとひどく苦しかった。それでも、晴は友人として葉の隣を歩いてくれる。優しくて不器用で、自分に正直なところまで全部が本当に美しい男だ。そんな彼は改めて真剣な眼差しで葉のことを見つめて、ゆっくりと口を開いた。
「大学のことも、バイトのことも、それ以外のことも。困ったことがあったら絶対に俺に言って」
「……ありがとう」
きっと晴が本当にこの言葉を送りたいのは透だろう。葉にはお見通しだ。でも、友人である葉にもその言葉をかけてくれる晴という男のことがやはり好きで、葉は落ち込んだ心を隠して晴に精一杯笑いかけるのだった。
葉は昔からずっと、家族やら真やらに鈍感だなんだと揶揄われてきた。まったく、本当に鈍感だったのならどれほど良いか。好きな人が恋に落ちる瞬間に遭遇するだなんて、鋭敏であるにも程があるのではないだろうか。何度目かの大きな溜息はまるで無自覚だった。それに遅ればせながら気がついたのは、隣を歩く彼に腕を取られたからである。葉がアルバイトの日は決まって遊びに来て、一緒に帰ってくれる彼。自然に止まった足に、見上げた先にあるのは何よりも美しい顔だ。
「葉くん」
そう呼ばれるたびに、最近では嬉しさよりも苦しさが上回る。真に対するように、もっと親しげに呼ばれてみたいと思うのはわがままだろうか。でもそんなことは少しも言えずに、「なに?」と首を傾げてみる。すると彼は眉尻をきゅうっと下げて、悲しそうな顔をした。本来、あまり喜怒哀楽を顔に出すタイプではなかったはずだ。でも最近の彼は少しわかりやすい。
「葉くん、どうかしたの?」
「……いや、大丈夫」
「大丈夫じゃないよ。アルバイトで何かあった?」
グッと言葉に詰まった。でも本当のことは言えないから首を横に振る。すると今度は眉間に皺を寄せて、晴は「嘘つき」と言った。その声音は、多分すごく怒っている。
「葉くんの仕事中はそばにはいられないから、なにがあったのか気づけないんだ。なにが嫌だった?傷ついたの?俺はすごく心配だよ」
真剣な眼差しに、思わず身が竦んでしまう。怒っているのに、こんなに正面から冷静に言葉を紡いでくれて、さすが葉が好きになった男なだけある。絶対に叶わない恋だけれど、晴を好きになってよかったと心から思った。
「晴はさ」
「うん」
「今までも好きな子いただろ」
「……好きな子?」
「恋に落ちるって、すごく難しいのに、簡単だよね。俺、知ってる」
「知ってるんだ」
「うん。俺だって、恋くらいしたことあるよ。彼女はいたことないけどね」
葉にとっては、晴が初恋だ。生き物全般を含めて初恋を考えるとしたらその相手はアゲハチョウかダンゴムシだったかもしれないけれど、人間部門では晴が唯一葉を恋に落とした男だ。
「恋心には、正直に生きた方が良いよ」
晴のような素敵な男の子が正真正銘の恋に落ちたというのなら、応援するしかない。葉の恋が叶うことなんてないと理解していてよかった。もし少しでも希望を抱いていたとしたら、今日も明日も明後日も、苦しくて苦しくて眠れなかったかもしれない。
「俺は、晴を応援するからね」
「応援……」
「それに、俺は透くんのこと」
透だって、葉には大切な存在だ。幼かった頃、お別れの日の言葉が記憶が蘇る。
『僕は虫も蝶々もカエルも怖いけど、葉くんのためならたくさん捕まえるから、いつか僕を一番にしてね』
葉は涙を堪えて大きく頷いた。同じ園服を来た同世代の中で大人っぽかった真が「今のプロポーズかな。頷いたということは、透くんと結婚するの?」と尋ねてきたところまでが、今では最高に面白い思い出だ。きっと透も真も覚えていないだろう。
「透くんのことが、なに?」
冷たい晴の声に、現実に引き戻される。
「いや、透くんのことも、すごく好きだからさ」
透に再会できたことは心からの喜びだ。立派に大学生になった彼は、まるで白馬の王子様みたいに成長していた。きっと女の子たちが放っておかないだろう。そしてこの晴でさえも、見事に恋に落とした。
「それを、俺の前で言うの?」
さらに冷え切った声に晴を見上げると、信じられないほどの無表情で葉を見下ろしていた。
「いや、好きっていうのは、恋とは違うよ」
「どうだか」
「本当。だから、晴はなにも気にしなくて良いんだ」
「当たり前でしょ。気にするつもりなんてないよ」
晴の言葉に、葉の心はガンッと衝撃を受けて最底に沈み込んだ。葉のことなんて実際どうだって良いのだろう。相手にもされていない上に、当然のように敵にも思われていない。そんなことわかっていたつもりなのに、こうして言葉にして突きつけられるとひどく苦しかった。それでも、晴は友人として葉の隣を歩いてくれる。優しくて不器用で、自分に正直なところまで全部が本当に美しい男だ。そんな彼は改めて真剣な眼差しで葉のことを見つめて、ゆっくりと口を開いた。
「大学のことも、バイトのことも、それ以外のことも。困ったことがあったら絶対に俺に言って」
「……ありがとう」
きっと晴が本当にこの言葉を送りたいのは透だろう。葉にはお見通しだ。でも、友人である葉にもその言葉をかけてくれる晴という男のことがやはり好きで、葉は落ち込んだ心を隠して晴に精一杯笑いかけるのだった。
2
あなたにおすすめの小説
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
サラリーマン二人、酔いどれ同伴
風
BL
久しぶりの飲み会!
楽しむ佐万里(さまり)は後輩の迅蛇(じんだ)と翌朝ベッドの上で出会う。
「……え、やった?」
「やりましたね」
「あれ、俺は受け?攻め?」
「受けでしたね」
絶望する佐万里!
しかし今週末も仕事終わりには飲み会だ!
こうして佐万里は同じ過ちを繰り返すのだった……。
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
先生と俺
春夏
BL
【完結しました】
【エールいただきました。ありがとうございます】
ある夏の朝に出会った2人の想いの行方は。
二度と会えないと諦めていた2人が再会して…。
Rには※つけます(7章)。
【完結】毎日きみに恋してる
藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました!
応援ありがとうございました!
*******************
その日、澤下壱月は王子様に恋をした――
高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。
見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。
けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。
けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど――
このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。
病弱の花
雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる