JC邪神の超常的な日常

京衛武百十

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日守こよみの章

週刊誌記者の疑念

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レスリング部でのくだらなすぎる茶番に心底不機嫌になっていた私は、意識を閉ざして学校から出ようとしていた。

それでもハスハ=ヌェリクレシャハが現れたことには気付いていたのだが、

『どうなろうが知ったことか…!』

と無視していたのである。

しかしそんな私に、校門を出たところで声を掛けてきた者がいた。

「月城こよみさん?」

聞き覚えのある声だった。出来ればもう聞きたくない声でもあった。声の方に振り返ると、そこにいたのはやはり品性とか気遣いとかいうものが見た目からも感じられない、ワイシャツもネクタイもだらしなく崩し、ただ背が高いだけの痩躯の、腹を減らした野犬のような雰囲気の男だった。あからさまに怪訝そうな視線を向けてやった私に、その男はなおも声を掛けてきた。

「月城こよみさんですよね?」

確かこいつは、週刊誌の記者で菱川和ひしかわとかいう奴だったな。月城こよみが綺真神きまみビ教の手先になって両親を拉致させたとかいう記事を載せた週刊誌の。実際には全くの事実無根でとんでもない誤報だったがな。

あの記事を書いたのがこいつかどうかは知らんが、それでも自分が関わってる週刊誌があれだけのことをやらかしておいて顔を出せるとは、さすがに面の皮が厚い。まあ、そうでなくてはあんな下劣な週刊誌の記者などやってられんのだろうが。

それに対して、月城こよみの祖母が名誉棄損として訴訟を起こそうとしているようだ。ただ、実名を出された訳ではないこともあり、両親の方は必ずしも積極的ではなかった。それよりもこのまま風化してくれるのを待ちたいという構えである。というのも、本音ではこんな不出来な娘のためにそこまでしたくないというのがあるからだ。

「यह गलत पहचान है। अलविदा(人違いです。さようなら)」

ヒンディー語でそう言うと、私は菱川和に対して目もくれず歩き出した。

「待て、今のヒンディー語だよな。しかもかなりネイティブに近い発音だ。どこで習った?」

何? こいつ、ヒンディー語が分かったのか。これは痛恨のミスだ。かえって興味を持たせてしまったらしい。

「しつこい人ですね。私はあなたが思っている人とは違います。私の名前は日守かもりこよみ。先日転校してきたばかりです。私に近付かないでください。訴えますよ」

改めて若干たどたどしい日本語でそう言うと、さすがに戸惑わせることができたようだ。

「…日守こよみ…別人だと…?」

背を向けた私を呆然と見送りながら菱川和がそう呟くのが、耳に届いてきたのだった。こいつに学校の近くの私の家がバレては面倒なことになる。とは言え、結界があるからその心配はないのだが、毎回、学校のすぐ近所で私の姿を見失っていては、この辺りに居付かれてしまうかも知れん。それも面倒だから、私は一計を案じた。

実は、こういう時の為にもう一軒、家を買っていたのだ。そちらは月城こよみの家の方向とは若干ズレた、しかも少し遠くにある、やはり中古の建売住宅だった。その家を敢えて突き止めさせることで釘づけにさせようと考え、歩きだす。

そんな私の後を、菱川和が何食わぬ顔でついてくる。まったくしつこい奴だ。一応、釘を刺しておいてやるか。しばらく行ったところで私は立ち止まり、振り返った。

「ついてこないでください。何のつもりですか。本当に訴えますよ」

いかにも不快に感じているという態度で言ってやったのだが、まあそういうのには慣れているということだろう。意外な事を言われたと言いたげな顔を向ける。

「何のことですか? 自分もこっちに用があるだけです。それを邪魔するのでしたら、こちらこそ訴えますよ」

やれやれ。いけしゃあしゃあとよく言う。やはりこいつには何を言っても無駄のようだ。まあもう一軒の家が知れたところで大した問題でもない。勝手にすればいい。ただし、後で後悔しなければだがな。

私が、汚物を見るような一瞥を菱川和に対してくれてやった時、奴の背後に小さな虫のようなものの姿が見えたことに私は気付いた。だがそれは、決して虫ではなかった。それは、私、クォ=ヨ=ムイが発する気配に惹かれて集まるそれこそ虫のような取るに足らない存在ではありながらもまぎれもなく私の側の奴らの一種だったのだ。私に付きまとうことで負の因縁を作った菱川和が、そういう存在に目をつけられたのだ。

さりとて私にとってはこいつがどうなろうとこの時は興味もなかったので、何もせず放っておく。

案の定、菱川和は私のもう一軒の家までついてきた。

こちらの家も、裏庭に出る掃き出し窓が私の自宅と繋がっているだけで、外見上は何の特徴もない、築四十年の建売住宅だ。家に入ると、菱川和はその先に用があるとばかりに前を通り過ぎた。しかし私は、家の中から意識を飛ばすことで、奴がしばらく行ったところで振り返り、ポケットからメモを取り出して何かを記すのを見ていた。内容を確認すると、『月城こよみ≠日守こよみ?』とだけ書かれていた。

『こいつ…腐ってもさすがは記者ということか。単なる他人の空似ということではない私と月城こよみの同一性に気付いたのだな……』

掃き出し窓を開けて自宅に戻り、誰もいないリビングで椅子に腰掛け、体を休める。私にとっては意味の無い行為でも、人間の肉体には休息は必要だからだ。

しばらくそうした後、カバンから宿題を出し、やり始める。これも私にとっては意味のない行為ではあるが、日守こよみにとっては必要だ。しかし大した手間でもない故にさほど暇潰しにもならない。

その時、私の耳に声が聞こえてきた。苛々とした、憎々し気な声だった。

「あーもう! クォ=ヨ=ムイの奴はどこに行ったのよ!?」

それは、家の外からだった。間違いない、月城こよみの声だ。そう言えば意識を閉ざしたままだった。それで月城こよみが私に呼び掛けていても届かなかったのだ。意識を解放すると、家の外に月城こよみ、肥土透、黄三縞亜蓮きみじまあれんの三人がいるのが分かった。なるほど、私が菱川和につけられてもう一軒の家に向かってる間にここに来たが留守のようなので、そのまま外で待っていたというところか。

だが私としてはもうお前達に用はないんだがな。と思ったのだが、少し気になる気配がしていることも感じた。だからそれを確認するついでとして、玄関を開けた。

「お前ら、何の用だ? おかしなものを連れてきて何のつもりだ?」

いきなりそう声を掛けると、月城こよみが飛び跳ねて驚いていた。

「うわ、びっくりした!? なによクォ=ヨ=ムイ、いたんなら返事ぐらいしなさいよ!」

相変わらず無礼な奴だ。あまり調子に乗ってると潰すぞ? 

まあいい、そんなことより。

「黄三縞亜蓮、お前、またおかしなものに憑かれたようだな? つくづくそういうのを呼び寄せる体質らしい。いいからとっとと家に入れ」

そう言われてぶーぶー文句を言いながらも、月城こよみが肥土透と黄三縞亜蓮を伴って入ってきた。そして三人が席に着くと、私は言った。

「で? 黄三縞亜蓮がまた何かに憑かれたからどうしたらいいのかってことだな?」

回りくどい話は要らん。単刀直入に訊いてやる。すると三人は黙って頷いた。特に黄三縞亜蓮はもうどうしたらいいのか途方に暮れているという様子だった。まあそれだけ立て続けにそうなれば、途方にも暮れるか。人間なら。だがどうやらそれだけでもないようだった。月城こよみが言う。

「しかも黄三縞さん、お腹に赤ちゃんがいるの。妊娠してるのよ。古塩《ふるしお》君との赤ちゃんみたい…」

深刻そうなその様子に比べ、私の反応は淡白なものだった。

「ふ~ん…それで?」

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