夢の終わり ~蜀漢の滅亡~

久保カズヤ

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第2章 迷当の反乱

第2話 北伐への道

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「丞相の北伐は、長安を取り、そこを拠点として中原への足掛かりとするものでした。いわば、点を取って面と成す、というものです。長安を取れれば、西方の涼州や雍州も蜀に属す形になるので。ただ、この戦略には問題がございます」
「問題?」

「一つは、漢中より出でて長安へ至るまでの道のりは険しく、補給路の確保が困難を極めること。二つは、長安周辺には複数の支城があり、これらの抵抗を押し切り、更に一大軍事拠点でもある長安を占拠するには、戦力差があまりにも開き過ぎていること。事実、北伐を重ねれば重ねる程、魏は防衛線を強固なものにしております。三つは、呉の力を借りなければ魏とは抗し得ないこと。蜀と呉がともに力を合わせ、全力でもって魏へ攻め込めば、魏を北方へと押し込める事は十分に可能です。しかし、呉にはそもそも天下への志は無く、同盟するにはあまりにも信頼の薄い相手。これでは、そもそもの戦略が成り立ちません。そして四つ。それは、丞相の気質です」

「相父に、問題があったというのか?」
「丞相は元々、卓越した政治家としての気質をお持ちでした。文官の行う仕事とは、様々な情報を分析して、一つ一つの政策を着実に履行していくというもの。そして、その成果が表れるのは数年後。ただ、軍政は違います。決めたら即断即決。危険を覚悟で苛烈に攻め、勝利をもぎ取る。結果は早ければ早いほど良い世界でございます。じわりじわりと締め上げるような戦は、大国が小国に向けて行うものですが、丞相の行う戦はそういった戦でありました」

 ただ。そうやって姜維は言葉を続ける。

 ただ、丞相はそれを分かったうえで、敢えて、自分の得意とするやり方での戦の道を進みました。
 じわじわと敵の弱点を探り、一手一手を固め、敵が気づいた時にはもう遅い。そういった、戦術です。これは丞相にしかできない戦でした。

「それでも、相父は北伐を成せなかった」
「はい。長安が手の届く距離まで来たことは何度もございました。まさに丞相だからこそ成し得た功績です。しかし、情勢は常に揺れ動きます。時間をかけると、蜀の内部で問題が起きたり、呉があっさりと攻め手を引っ込めたり、兵糧が枯渇したり。そうして、長安へいつも手が届きませんでした」
「将軍、ならばいくらかの危険を覚悟で一気に攻め込めば、長安は取れると申すのだな」
「負ければ蜀漢は亡国になる。その全てを賭ける覚悟を決めれば、長安までは取れます。確実に。しかし、陛下はその道を望まれますまい」

 その一言で、全てを見透かされた気がした。
 確かに、父や諸葛亮が継いできた遺志を絶やすわけにはいかないと、その気持ちは本物である。ただ、どうしても争いだけは、心のどこかで認めたくないとも思っていた。

 自分は、蜀漢の皇帝なのである。臣下や民がただ平穏に暮らせることが、一番の望みであった。臣下の、国民の血を搾り取り、戦をしなくてはならない。その理由が、劉禅は分からない。
 攻めなければ、攻められる。敗戦国の末路は、悲惨なものである。また、それも同時に理解していた。未だ戦乱の世の中なのだ。

「蜀漢の国民すべてを兵士として訓練を行わせ、戦時になれば民をすぐに兵として戦に駆り出せるようにする。そうすれば蜀は、常に三十万以上の精鋭を動かせます。議会も、文官は最低限に留め、武官で大部分を占めさせ、軍政の国家とする。国の富のほとんどを、軍事費に回す。魏が蜀を討たんと大軍を動員した時が、天の時です。敢えてその魏軍を蜀の地に入れ、自国を戦場と成し、蜀の地の利によって魏軍を討ち果たし、一気に攻勢へ出る。さすれば中原まで一気に攻め上ることも難しくはなく、蜀漢は数日の内に天下第一の国家となります」

「魏軍に負ければ」
「蜀漢の民の全ては奴隷の如き扱いを受け、多くの臣下は処刑されるでしょう。敗戦国の末路とは、そのようなものです」
「……それはならん。その戦略だけは決して、朕は容れる事が出来ぬ」
「それは何故、でしょう」

 敢えて、こちらの思いを全て引き出そうとしていた。
 劉禅もそれを分かっていながら、溢れ出る言葉を抑えることは出来ず、姜維を正面から見据えて言った。

「朕の思い描く蜀漢とは、平穏な国家だ。戦乱の世に疲弊した民の心に拠りそうことが出来る、そんな、血の通った人間らしい国だ。将軍の言うような国を作れば、確かに北伐は成るだろう。しかし、その先は?その先に、朕の目指した国の形はあるのだろうか。いや、無いだろう。ならば、朕は、その戦略を肯じてはならぬと、そう思う。この戦乱の世に、甘すぎる考えやもしれん。傲慢な願いなのかもしれん。それでも、朕は───」
「陛下の御心も知らず、大変な無礼を申し上げました」

 気づけば、爪が真っ白になるほどに力強く、拳を握りこんでいた。
 姜維は胡床より降りて、地に額を付けていた。荒くなっていた呼吸を整え、その頭を上げさせる。
 初めて、配下の者に見せた「激情」であったかもしれない。ただ、これでようやく、姜維と対等に言葉を交わせるようになったと、劉禅はそう思えた。もう、姜維から放たれる、あの圧倒した空気は感じない。ずいぶんと息がしやすくなった。

「将軍、全て、ここまで読んだうえでの、戦略であったか?」
「まさか。恐れ多い限りです」
「まぁ良い」

 再び、向かい合う。
 少し皺の寄った地図を、姜維は丁寧に伸ばした。

「まだ朕に、打ち明けておらぬ策があるだろう。それを、話してくれまいか。総力戦だけしか思い浮かばなかったと、そう言った瞬間に、昇格の話はすべて白紙に戻す」
「軍政を整えた後の総力戦が、北伐の一番の近道であることは間違いないと、それだけは申し上げておきます」
「朕が生きている間は、許さぬ」
「肝に銘じます」
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