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第3章 高平陵の変
第5話 禁忌
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「分かった、もう良い。後は私が決める」
疲れたように穆皇后は首をもたげ、溜息を吐く。
これ以上の会議は負担になる。三人は、深く礼をし、部屋から出ようとした。
ただ、穆皇后は費褘だけを部屋に留める様に言い、黄皓と董允を侍女に見送らせた。
「如何されましたか?」
費褘は、どうして残されたのか分からず、少し戸惑っている様子であった。
「そなたの意見を聞いておらん。気兼ねなく申せ」
「王夫人になろうと、張彩様になろうと、私は国政を担い陛下をお支えするだけです。正直なところ、どちらが良いというのは分かりません。二人の話を聞き、ますます分からなくなり申した。ただ……」
「ただ、何じゃ?」
「どちらを選ぼうと、道は険しいでしょう。ならば、陛下を最もよく知る黄皓の意見を取り上げる他ありますまい。王夫人ではとても、陛下をお支え出来ません」
「よく見ておる」
劉禅は、衰弱しきっていると言って良い。
人は体に異常をきたさずとも、心の病が極まって死ぬ事もある。心と体は繋がっているのだ。
先帝の劉備も、夷陵の大敗では死ななかったが、それによって心を痛め、やがて体を崩して亡くなった。
費褘はまさに、それを案じていたのだ。
今、劉禅が、心身を崩し倒れるようなことがあれば、有力な後継がいない今、国は大きく乱れてしまうだろう。
国を保つためには、まず、劉禅を支える事が急務である。世間体など、言っていられる状態では無いのだ。
「張彩を、皇后とさせます。そなたには、民や臣下の疑惑の声を握り潰してもらわねばなりませんね。なにせ、国の長が禁忌を破るのですから」
「細心の注意を払います」
「それと────黄皓を殺してはなりません」
首を垂れたままの費褘の動きが、ピタリと止まった。
つまり、殺すつもりだったのだ。
その理由は、董允が考えていたものと全く同じである。
「それは、何故でしょう」
「あれほど禅を理解した忠臣は他に居ません。今の禅には、黄皓は必要なのです」
「皇太后様の、仰せとあらば」
「しかし、時が来たら……その『時』は、そなたが見極めよ」
「……御意」
劉禅と張彩の婚儀の件は、全て穆皇后が取り仕切る形で進められた。
まさに青天の霹靂である決定に、劉禅も張彩も、個々ではあるが猛反発をした。
人間の倫理的な観念からして、犯してはならない禁忌であるからだ。
それに、張敬の死からまだ時もそれほど経っていない時に、国家全体での祝賀を催す訳にはいかなかった。不謹慎の極みである。
しかし穆皇后はそんな二人の反発を、無理やり抑え込んだ。
流石に、劉備の妻である。劉禅や張彩の前では、常に自決用の短剣を握りしめていたのだ。
老いた義母の性格を二人はよく知っている。普段は温厚篤実であるのに、いざ覚悟を決めれば、自決など造作も無いと言う風にやってのける勢いの良さがあった。
こうなってしまえば、無理に口出しするのは不可能であるのだ。
それでも、婚儀の件は抜きにして、張彩が側に居てくれること自体は、劉禅にはありがたい事であった。
皇帝とは、常に孤独なのだ。
生まれた頃より、ずっと。
友など、一人もいなかった。
しかし、張敬と張彩は、別である。
張敬を心から愛し、張彩は心から信頼していた。二人もそれに、身分など関係なく応えてくれた。
劉禅の心を支えられるのは、幼き頃をよく知る、この二人だけだったのだ。
そして今、張敬はもう、居なかった。
「彩、何故か、会うのも久しいと感じるな」
「姉様と、劉循様のご葬儀以来です。まだ、二月しか経っておりません」
「そうか、二月か。昨日の事の様にも思えれば、百年も昔の事の様にも思う」
「兄様は随分と、やつれておいでです」
「人の死は、慣れぬ」
諸葛亮の死から、早十年である。
あとどれほど、この現実と向き合っていかなければならないのだろうか。
そう思うと、今すぐにどこかへ逃げ出してしまいたかった。誰も居ない、どこか遠くへ。
疲れたように穆皇后は首をもたげ、溜息を吐く。
これ以上の会議は負担になる。三人は、深く礼をし、部屋から出ようとした。
ただ、穆皇后は費褘だけを部屋に留める様に言い、黄皓と董允を侍女に見送らせた。
「如何されましたか?」
費褘は、どうして残されたのか分からず、少し戸惑っている様子であった。
「そなたの意見を聞いておらん。気兼ねなく申せ」
「王夫人になろうと、張彩様になろうと、私は国政を担い陛下をお支えするだけです。正直なところ、どちらが良いというのは分かりません。二人の話を聞き、ますます分からなくなり申した。ただ……」
「ただ、何じゃ?」
「どちらを選ぼうと、道は険しいでしょう。ならば、陛下を最もよく知る黄皓の意見を取り上げる他ありますまい。王夫人ではとても、陛下をお支え出来ません」
「よく見ておる」
劉禅は、衰弱しきっていると言って良い。
人は体に異常をきたさずとも、心の病が極まって死ぬ事もある。心と体は繋がっているのだ。
先帝の劉備も、夷陵の大敗では死ななかったが、それによって心を痛め、やがて体を崩して亡くなった。
費褘はまさに、それを案じていたのだ。
今、劉禅が、心身を崩し倒れるようなことがあれば、有力な後継がいない今、国は大きく乱れてしまうだろう。
国を保つためには、まず、劉禅を支える事が急務である。世間体など、言っていられる状態では無いのだ。
「張彩を、皇后とさせます。そなたには、民や臣下の疑惑の声を握り潰してもらわねばなりませんね。なにせ、国の長が禁忌を破るのですから」
「細心の注意を払います」
「それと────黄皓を殺してはなりません」
首を垂れたままの費褘の動きが、ピタリと止まった。
つまり、殺すつもりだったのだ。
その理由は、董允が考えていたものと全く同じである。
「それは、何故でしょう」
「あれほど禅を理解した忠臣は他に居ません。今の禅には、黄皓は必要なのです」
「皇太后様の、仰せとあらば」
「しかし、時が来たら……その『時』は、そなたが見極めよ」
「……御意」
劉禅と張彩の婚儀の件は、全て穆皇后が取り仕切る形で進められた。
まさに青天の霹靂である決定に、劉禅も張彩も、個々ではあるが猛反発をした。
人間の倫理的な観念からして、犯してはならない禁忌であるからだ。
それに、張敬の死からまだ時もそれほど経っていない時に、国家全体での祝賀を催す訳にはいかなかった。不謹慎の極みである。
しかし穆皇后はそんな二人の反発を、無理やり抑え込んだ。
流石に、劉備の妻である。劉禅や張彩の前では、常に自決用の短剣を握りしめていたのだ。
老いた義母の性格を二人はよく知っている。普段は温厚篤実であるのに、いざ覚悟を決めれば、自決など造作も無いと言う風にやってのける勢いの良さがあった。
こうなってしまえば、無理に口出しするのは不可能であるのだ。
それでも、婚儀の件は抜きにして、張彩が側に居てくれること自体は、劉禅にはありがたい事であった。
皇帝とは、常に孤独なのだ。
生まれた頃より、ずっと。
友など、一人もいなかった。
しかし、張敬と張彩は、別である。
張敬を心から愛し、張彩は心から信頼していた。二人もそれに、身分など関係なく応えてくれた。
劉禅の心を支えられるのは、幼き頃をよく知る、この二人だけだったのだ。
そして今、張敬はもう、居なかった。
「彩、何故か、会うのも久しいと感じるな」
「姉様と、劉循様のご葬儀以来です。まだ、二月しか経っておりません」
「そうか、二月か。昨日の事の様にも思えれば、百年も昔の事の様にも思う」
「兄様は随分と、やつれておいでです」
「人の死は、慣れぬ」
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あとどれほど、この現実と向き合っていかなければならないのだろうか。
そう思うと、今すぐにどこかへ逃げ出してしまいたかった。誰も居ない、どこか遠くへ。
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