夢の終わり ~蜀漢の滅亡~

久保カズヤ

文字の大きさ
64 / 93
第3章 高平陵の変

第26話 酒の情景

しおりを挟む
 夜は小さいながらも、毎晩の様に宴が開かれていた。
 それは、費褘によるものである。

 董允が床に伏し、意識すら混濁している最中、その悲嘆を紛らわせようと、費褘は杯を重ねる。
 二人は年齢こそ大きく違うが、その間柄はさながら親友の様であった。
 費褘が諸葛亮に才を見出され、劉禅の側近として仕えた際、董允と親しく交わったのが最初である。
 年齢も、性格も、大きく異なっているからこそ、互いに心を全て開いていたのだ。

 その気持ちを無碍にするわけでは無いが、それでも陳祇にとって、毎晩というのはきつかった。
 近頃、家に戻る事が出来ていないのも、そのほとんどの原因がこれである。
 よほど気に入られているのか、陳祇だけが、毎晩の様に出席を求められていた。
 それを断る事が出来ない情けなさを、酔いの中でひしひしと感じる。

 今宵も遅くまで飲んだ。
 家に戻ることも出来ず、陳祇は宮廷の中にある居室で、今日もまた体を横にした。
 浅く、まどろむような眠気に襲われる。
 しかしそのまどろみを、衛兵の声が割り入った。

「陳祇様、客人がおいでです」
「……明日にしてくれと、伝えよ」
「それが、その、陳祇様に呼ばれた、愛妾であると、その者が」
「何?」

 あまりにも身に覚えのない話であった。
 まどろみも消え、胸の内に困惑だけが残る。

 女など久しく買っていないし、既に妻も子も居るのだ。その様な不義理を交わすつもりも無い。
 費褘の悪戯かとも考えたが、それにしては悪質である。

「名は、何と言っていた」
「昭徳と、お伝えいただきたいと」

 心臓が跳ね上がる。
 陳祇は慌てて衛兵を呼び、金子を握らせた。

「決して誰にも漏らすな。それと、傍に老人の姿は無かったか」
「い、いえ」
「分かった。呼んでくれ」

 衛兵は怪し気というよりは、少しおびえた様子で部屋を飛び出した。
 清廉で潔白の評判が高い陳祇がこれほど気を使っているのだ。
 もし漏らしでもすれば、と肝を冷やしていた。

 陳祇も居住まいを正して、火を灯す。
 薄暗い朱色の明かりが、ゆらゆらと居室を照らした。
 やがて通されたのは、やはり、簡雍の妻の、あの美人であった。
 暗がりの中だと、その艶やかな美しさが一層に目を惹いてしまう。

「何故、この様なところまで。簡雍殿は今後一切、この国に関わらないと仰っていたではありませんか」
「ですので、今宵は私一人のみです」
「だとしても、愛妾などと……。冗談にしても、質が悪いでしょう」
「私はそのつもりで参りました」
「話が、分かりませんが」

 よく見ると、女の目は濡れていた。

「私は元々、呉において諜報や謀略といった裏の任についていました。汚く醜い仕事です。されど簡雍様はそんな私を引き取って下さいました。陸遜も、簡雍様の動向を探りたく思って、それを快諾したのでしょう。いざという時は、簡雍様を、殺す為に」
「それはまた、見当違いな任務ですね」
「はい。あの御方には、人も国も違いはありません。そんなお人の何を探れば良いのでしょう。偶然にも、英雄の傍らに居ただけなのです。そして先日、簡雍様は劉備様の墓前に参り、酒を酌み交わしておいででした。一言も話さず、穏やかな時間で御座いました」

 何となく、想像が出来た。
 言葉など出さずとも、例え先帝が亡くなっていようと、語り合えるのだ。
 一生のほとんどを、共に過ごして来たのだから。
 女もまた、情景を思い出し、笑みを浮かべていた。

「そして私はその場で、お役御免と、簡雍様に申し付かりました。その翌日、簡雍様はおひとりで何処かへ、消えてしまわれました」
「何故……」

「死ぬおつもりなのでしょう」

 そう言って、女はわっと泣き出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

ソラノカケラ    ⦅Shattered Skies⦆

みにみ
歴史・時代
2026年 中華人民共和国が台湾へ軍事侵攻を開始 台湾側は地の利を生かし善戦するも 人海戦術で推してくる中国側に敗走を重ね たった3ヶ月ほどで第2作戦区以外を掌握される 背に腹を変えられなくなった台湾政府は 傭兵を雇うことを決定 世界各地から金を求めて傭兵たちが集まった これは、その中の1人 台湾空軍特務中尉Mr.MAITOKIこと 舞時景都と 台湾空軍特務中士Mr.SASENOこと 佐世野榛名のコンビによる 台湾開放戦を描いた物語である ※エースコンバットみたいな世界観で描いてます()

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

おめでとう。社会貢献指数が上がりました。

水井伸輔(Mizui Shinsuke)
SF
「正しく」生きれば、どこまでも優しいこの国。 17歳のシュウは、社会貢献指数を高め、平穏な未来を手に入れようとしていた。しかし、システムに疑問を抱く父のランクは最低の「D」。 国家機能維持条項が発令された夜、シュウの端末に現れたのは、父の全権利を支配するための「同意」ボタンだった。 支配か、追放か。指先ひとつで決まる、親子の、そして人間の尊厳の行方。

処理中です...