月に酔う

ふとん

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海に酔う

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(おぼれる)

 香澄は深い海に溺れてしまったように息苦しくなって息を吐くと、その吐息をかすめとるように赤い口が開いた。
 どこまでも澄んでいるのにどこまでも深い海に、香澄を連れ去ろうとする悪魔は彼女の首をつかんで囁いた。

「無償の愛など何処にも存在しませんよ。母親でさえ、子供からの愛を求めるのですから」

 悪魔ならば見返りを欲して当然ということか。

「――ですから、涙を浪費するのはやめてください」

 溺れかけていた香澄の目尻を悪魔の薄い唇が拭う。
 唇の食んだ目元がやけに冷たく感じて、香澄は自分が初めて泣いていることに気が付いた。
 こんな男の前で涙を流すなど、恥もいいところだ。
 なのにどうして涙が止まらないのか。
 悪魔との会話は心が擦り切れて堪らない。
 
 止まれとばかりにごしごしと目をこすると、落ちた化粧で香澄の手は真っ黒になった。

「ああ、だから止めなさいと言ったのに」

 黒ずんだ香澄の手を取り、リックは赤ん坊をあやすように言う。

「あなたはまるで子供ですね。やめろと忠告したところで私の言うことを聞きもしない」

「……そんな子供を囲うつもり? とんだロリコンやね」

 香澄が止まらない涙の瞳でリックを睨むと彼は低く笑った。

「あなたと私の年齢差ならそうなるでしょうね」

 いつだったかリックは三十七歳だと言ったか。
 年齢のよく分からない男だが香澄の一回り年上なら、もっと香澄が若ければロリコンだと呼ばれていただろう。

「――ですがあなたはもう子供ではない」

 香澄の両手を封じた悪魔の薄い唇が彼女の目元を這う。
 咄嗟に目を閉じた彼女を追うように、だが真綿で触れるような口付けでリックは香澄の涙を舐めとった。

「I can't help falling in love with you...」

 流暢な英語が香澄の鼻先を上滑りし、やがて吐息が彼女の唇を湿らせる。
 英語の意味も分からず、熱い吐息の意味も量りかねて、香澄も吐息を漏らすとリックの額が彼女のそれとこつりと合わせられた。

「……金平糖」

「へ?」

 間近で呟かれた言葉を香澄が尋ね返すと、執事の形をした悪魔はこんなに近くでも見ていても表情の分からない瞳で繰り返す。

「金平糖を、持っていますか?」

 突然の要求だが、もしかしたら、と香澄は「持ってない」と首を横に振る。

「さっき、金平糖持ってないかって聞いたん? 糖分不足なら氷砂糖でもかじれば」

 香澄の返答に無表情だったリックだが一瞬呆けたもののすぐに笑いだす。

「何やねん!」

「あなたのリスニングの酷さに呆れているんですよ」

 笑いながら、リックは香澄の頬をゆっくりと包む。
 顔を覆う手は緩くだがしっかりと香澄を拘束して動けない。手を引きはがそうと香澄は彼の手に指をかけるが、彼女が力を込めるより悪魔の方が早かった。

「ん…っ」

 かすめるようだった口付けは、今度は香澄の唇を奪うように深まる。まるで貪るように食まれて思わず口元を歪めた香澄の隙を、リックは見逃さずに舌を差し入れる。

「あ…ふ…」

 香澄を絡め取る舌先は激しくねぶるというのに、触れる唇は悪魔のくせに温かく柔らかい。  

「金平糖が無いのなら、あなたをいただきましょうか」

 悪魔のぎらついた牙を見たような気がした。

 ぱたん、と閉じられたのはパソコンだろうか。
 香澄を両手に閉じ込めた悪魔は彼女の唇をあらゆる方向から攻めた。舌で口腔を丁寧になぶり、唇で香澄のすべてを食らおうと貪る。
 
「…わたしは…っ甘い物やない…!」

 執拗なキスの合間に香澄が抗議するが、リックは喉の奥で笑うだけだった。

「いいえ。あなたは極上の砂糖です」

 乱暴に香澄を奪おうと蠢く彼の手はどこまでも丁寧で、香澄は自分が上等な銀食器にでもなったような錯覚に陥った。
 ジ、とドレスのホックを下ろす音さえ聞き逃してしまいそうになって、慌てて香澄が身をよじるがリックの手の方が速い。
 無理矢理強い酒を飲ませるようなキスを施しながら、リックはゆっくりと香澄のドレスを彼女の肌に滑らせていく。
 わざとらしい刺激に粟立つ肌を自覚しながら、香澄にはすでに逃れる手は無くなっていた。
 
 肩から腹、腰に至るまでドレスは落とされたかと思えば、長い指が香澄の肌を撫でるように下着を剥いで触れていく。首から鎖骨、腕から腰。ぱちん、とフロントホックの下着は落とされ、素肌の香澄に熱い吐息がかかる。
 ぞくぞくと広がる熱に喘ぐしか出来ない香澄が手近にあったリックのシャツを掴むと彼はゆっくりと、だがそれ以上焦らすこともせず彼女の胸に手を置く。

「ふ…ぁ…」

 柔らかく、けれど確実に香澄の性感帯を探るように白い胸を捏ねるので、もどかしい刺激に腰が緩く動く。その淫らな欲を見逃さずに悪魔は片手を滑らせ、怯んだ香澄の胸の頂きにリックは歯を立てた。

「あ、あああ…っ」

 赤い舌がなぶる胸を揺らし、持ち上げられた腰からさえ溶けるような快楽に香澄は沈んでいく。逃れられない香澄からドレスは腰から下へと逃げていく。それを追いかけることも出来ず、香澄は淫欲の海へと誘われていった。

 書斎の椅子から攫われ、抱え上げられながら細いミュールとストッキングは落ち、唇を奪われ続けながらベッドへと沈められる。
 もうほとんど身につけている物もないというのに、律儀な執事は丁寧に香澄をベッドへ寝かせて髪をまとめていたピンを外す。ぼんやりと眺める香澄を横でスーツを脱ぎ棄ててベッドに上がるとリックは再び香澄に覆いかぶさり深く口付けた。

「もう、逃げないのですか?」

 吐息のような意地の悪い言葉に香澄は深く息をつく。

「……逃げたい」

 だが体が動かない。
 諦め調子の香澄に悪魔は色欲に染まった笑みで応えた。

「では、一緒に逃げましょうか」

 そう言って落とされた悪魔の口付けはどこまでも優しかった。

――海に、溺れていくようだ。

 優しいキスは香澄を逃さず、体を絡め取る愛撫は香澄を苛んだ。
 声を漏らすたびに与えられる快楽は香澄を堕落させた。
 感覚の上下もなく喘がされたあと、ゆっくりと溶かされていく。

「あ…は…ぁああっ」

 ようやく秘部に悪魔の指先が届く頃には、香澄の理性は海の底へと落ちていた。

「ああ…ひどいですね。そんなに気持ちがいいですか」

 男の呟きにさえ感じるのか、びくりと香澄が震えると当然のように薄い唇が秘部へと口づけてしまう。
 
「いや、やだぁ…やめ…っ」

 ひくつく香澄を抑えつけている腕は堅く動かないというのに、悪魔の口付けは焦らすように淡い。だが香澄に与える快楽は確実だ。
 淫らな水音が香澄を更に溶かしていく。
 舌と指の柔らかな責め苦は香澄をどうしようもなく淫らに変える。

「……もう、いいでしょう」

 そんな言葉と香澄の胸にキスを落として、ずしりと重いものが香澄の中に突き入れられた。ず、ずと進みはするものの、あまりの苦しさに香澄は身をよじる。

「や…何…っ」

 熱い杭の進む感覚は初めてではないにしろ、まるで違う何かを無理矢理押しこまれたような感覚に香澄は喘いだ。

「あ…やだ…そんなの…はいらな…っ」

 ぐ、と突きこまれて香澄が悲鳴を上げると、胸元に甘い口付けが降ってくる。快感と痛みとがない交ぜになっている香澄に悪魔がふ、と吐息を漏らす。

「……入りましたよ」

 ぎちぎちと香澄の中で音を立てるようで、取りこんだ楔は彼女を凶悪に刺激した。

「は…あぁ…っやぁ…」

 目の前が白くなるのが怖くて目元を覆った香澄の腕を、広い手が無遠慮に退けてベッドへと縫いつける。そして再び香澄に唇がかじりついた。

「は…ふぅ…」

 唇と楔の両方から流し込まれる快楽は容易く痛みを押し流して、香澄をまた一層深い海へと突き入れていく。

「う……あ…あっあっ…」

 緩くこすりつけるように香澄を探る旅をやめない悪魔は彼女をひたすら連れ回す。
 理由も理性も、全てがどこかへ沈んでいく頃。

「……香澄」

 ねぶっていた耳元で悪魔が囁いて香澄をことさら揺さぶった。

「まだ、妊娠結果は出ていないんですよね?」

 荒い息のもとでそんなことを言われて香澄が悲鳴を上げると、リックは香澄の一番感じるところで留まって笑う。

「賭けをしませんか?」

 いつも涼しい顔の彼から滴る汗と共に落とされた言葉を香澄は舌足らずに「賭け…?」と返す。

「そう、賭け」

 ぐい、と押しつけられた場所が熱くうねって香澄は再び悲鳴を上げるが、悪魔は心地良い音楽でも聞いたような顔で続けた。

「妊娠が確定するのは人によって違います。ですから、賭けをしましょう」

 荒い息を吐きながら香澄が悪魔を見上げると彼は思いのほか真剣な顔で香澄を見下ろしていた。


「あなたが生んだ子供のDNAが私のものだったら、結婚しましょうか」


 何を言っているんだこいつは。
 疑問を口にする間もなくリックは香澄を激しく揺さぶる。

「もしも違う場合は別の手段を考えますから…」
 
 そう呟く彼の声はひどく小さかった。
 ねじこむような快楽の隙間にあるのは悪魔の本心だったのだろうか。 
 だが、香澄は考える時間も与えられないまま、その快楽に抑えつけられるようにして底のない深海へと墜ちていった。

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