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7話 高校二年生 海煌めく頃

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 季節は巡り、訪れた高校二年の夏。
 七月上旬の期末テストを終え、長期休みを明日に控えた終業式の日。
 俺は話があると伝え、学校付近にある浜辺にあいつを呼び出した。

「ごめん。遅くなって」
 はぁ、はぁ、と息を切らせた声が背後より響いてくる。
 正直、面と向かって要件を伝えられるか案じていたが、こいつの姿をまじまじと眺め俺の決意は固まった。

「話って何?」
 伏し目がちなこいつは、俺から目を逸らして太陽が反射してキラキラ光る海を眺め始めた。
 はにかんだ笑みと、どこか遠くを見る目。それはまるで、何かの期待と憂いが両方押し合わせているようだった。
 その心情が混合することは、どんな時なのか?
 ふっとそう思ったが、俺にはそれより大事な話があった。

「お前、しばらく書くな」
「え?」
 その言葉に、こちらに視線を戻してくる。
 笑みは完全に消え、俺を囚えてくるその目は光を失くしていった。
 しかし、俺は構わず話を続けていく。

「文体も内容もめちゃくちゃ。こんなの一次も通らねーよ。最近寝てないだろ? 根を詰めるなと何度も言ったよな?」
 顔色が悪く、痩せ細ったこいつに、俺は容赦なく責め立てる。
 明日から夏休み。この執筆狂がどのようなるかは、安易に想像出来た。

「書かないといけないの! 全然通らないんだもん! 短編も十作以上出したのに、全然! だから、書かないと!」
「それが原因だ。お前、受賞が目的になっていて、一作一作に向き合っていない! だから、腑抜けた作品ばかり量産してるんだ!」
 明らかに目を逸らし口籠るこいつは、どうやら自覚はあったようだ。
 だったら大丈夫。こいつはまだやり直せる。
 だから、この問いをこいつに投げかけた。
「……お前は何故書きたい?」

「え? それは……」
「執筆なんて苦行の連続だ。落選繰り返すことはより一層。なのに、それを続けるなんて相当なメンタル必要なんだよ。お前、やりたいことや信念とか、あるんだろ?」
 するとこいつはそれには答えず、想定外のことを口にしてきた。
「藤城くんはどうして書いていたの?」と。

「俺はどうでも良いだろう? 終わった人間なんだから。でもお前は違う! お前は……」
 気付けば俺は、こいつに自分の夢を託していた。
 お前の話は優しい。透き通るような美しい物語。これを世に広めて欲しいんだ。
 ……だから、俺みたいになるな。

「ねえ。もう一度、書いてくれない」
「は?」
「私には無理だったの。お願い、あなたが書いて! 私の夢を叶えて欲しいの!」
 こいつは眉を顰め、唇を震わせ、感情のまま叫んでくる。
 俺は、そんな人物を以前にも見たことがある。それは。


『俺には無理だった……。だから直樹だけでも書いてくれ……』
 あれは中学二年の夏だった。
 かつての親友が己には文才がないと自身を追い詰め、筆を折った。
 だから俺はアイツの分も書くと決め、寝る間も惜しんで向き合っていった。
 アイツは書かなくなっても、俺の作品を読んでアドバイスをくれ。別の形となったが良き親友として今後も関わっていけると思っていた。
 しかしそれは、独りよがりの願望だった。

 あれは中学二年の初雪が降った頃だった。
『こいつ小説書いているんだぞ!』
 教室中にざわつく笑い声。
 回される、一冊のノート。
 それを遠目より見ている、あいつ。

 これ。昨日、お前に渡した次回作のアイデアを書いたノートだよな?
 落としたのかよ? だったら何故傍観している?
 取り返してくれよ。頼む。取り返す行動を取ってくれ。
 わざと見せたんだと疑ってしまうだろう?


「……お前、そんなこと言って。本当は俺の小説を周りに見せびらかして、笑う気だろ?」
 気付けば、何の因果もない吉永 未来にそう呟いていた。
「え? そんなことする訳」
 こいつは俺に手を伸ばしてきたが、パシッと跳ね除ける。

「俺は信じない! 人間なんか!」
 こいつは違う。やめろ。
 そう頭では分かっているが、口は止まらない。
「大体、受賞なんて無理に決まってるだろ! お前、いい加減分かれよ? もう書くなよ! 目障りなんだよ!」
 その言葉を黙って聞いていたこいつは、瞬きを忘れたのかと思うぐらい俺を見つめてきて。
 その瞳から。

 その瞬間、俺の体が激しい衝撃を受けたような痛みが襲ってくる。
 頭を何か硬い物で殴られたのか?
 ナイフで胸を刺されたのか?
 体全体を切り裂かれたのか?
 そう錯覚させる程で、俺はどうして良いのかが分からなかった。

 波の音は聞こえないが、こいつの声を殺しているのは聞き取れて。
 視界が揺れてきて。
 俺は。

「きゃあ!」
 気付けば、こいつが砂浜に倒れていた。

 俺は帰ろうと歩き出し、こいつにぶつかってしまったようだ。
 前を見ず、無鉄砲に歩き出そうとした故に起きてしまった。
 完全に俺が悪い。
 それなのに。

「ううん、違うの。私がふらついただけだから。ごめんなさい」
 ゆっくり起き上がり、セーラー服に付いた砂をパッパと払ったこいつは、一人その場を去って行った。

 謝らないといけない。
 今から追いかけたら、間に合う。
 分かっているくせに、俺の足は何かに掴まれたかのように動かす、その小さな背中をただ眺めていた。


 こうして、夏休みに入っていった。
 俺はあの日以降、スマホを手に取っては置き、一文書いては置き、削除しては置き、また書いては置きを繰り返し、一体何日が過ぎたのだろうか?
 単純に一言謝るか、理由を軽く説明するか、一から十まで全て話すか。
 どうしたって、出た言葉は引っ込められず、取り消しなど出来ない。
 どうしてあんなこと言ってしまったのだろうか?
 心にもないことだったのに。
 俺はベッドに寝そべり、腕を両目に押し付ける。
 すると。

『達也、どうしてだよ?』
 その答えが、俺の脳内で再生された。
 そっか。あの言葉は俺が。


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