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本編
6.蝕まれる時間
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「ケルン様、どこですか?」
「ケルン様ぁ、ひどい、待ってください」
「ケルン様ぁ……うぅ、私が見えないところに行かないで!」
あるときは可愛らしく、あるときは拗ねるように、あるときは涙ぐんで。
レミリアはユーケルンの傍から離れようとはしなかった。ユーケルンに対する依存が日に日に酷くなってゆく。
そんなレミリアの我儘すら愛しく感じていたユーケルンは、気づかなかった。
魔獣である自分の身体から発せられる魔界由来の魔精力に、彼女の精神が蝕まれているとは。
* * *
『レミリア……これ! どうしたの!?』
一か月ほど経ったある日。白いグランドピアノの白い鍵盤に置かれたレミリアの小指の先が、真っ黒になっていた。
まるで墨で塗りたくったような黒。光沢は無く、擦っても落ちない。
「これ、ですか? んー、わからない、です」
こてんと首を傾げ、ぷるぷると首を横に振る。
『わからないって……』
「身体の外側、ぞわぞわ、するんですけど、ケルン様がぎゅってしてくれたら、大丈夫、なんです!」
そう言って無邪気な笑顔を浮かべ、ユーケルンの顔の前で両腕を広げる。
思わず笑みを浮かべいつものように彼女を抱きしめたユーケルンだったが、ハッとしたように彼女の身体を引き剥がした。
思い出したのだ。遠い、昔――古の魔王侵攻のときのことを。
魔導士であるレミリアが体内に取り込み、維持しているのは地上由来の魔精力。
一方、八大魔獣が体内に取り込み、攻撃魔法として放出するのは魔界由来の魔精力。
フェルワンドが吐いた毒霧にやられた人間たち。その体が、みるみる黒く染まっていった。
虫も、植物も、大地も、彩りを失い、漆黒へと塗りたくられてゆく。地上が汚染されてゆく。
そうした大地を浄化し、きれいな状態に戻すのがユーケルンの仕事だった。しかし彼にできるのは空気や水などの無機物と植物の浄化のみで、動物は――当然ながら人間も、刺激を和らげることはできても取り除くことは不可能だった。
魔界の魔精力を蓄えた動物は心が蝕まれ、やがて体も魔物へと変貌する。魔獣の配下となった魔物たちはさらに地上を荒廃させる。
魔界の魔精力を取り込んだ生物を完全に分解し無害にできるのは、水の王獣アッシメニアの〝塵化〟と風の王獣ブレフェデラの〝吸収からの蘇生〟あってのことだった。
王獣の配下である魔獣に過ぎないユーケルンには不可能だ。
しかし、それでも――仮に王獣の手を借りたとしても、レミリアを救うことはできない。
アッシメニアの〝塵化〟は有機物を無機物に分解することで為されるため、それはレミリアの死を意味する。
そしてブレフェデラは歪んだ魔精力を吸収できるものの、既に死んでしまった個体を蘇らせることはできないのだった。
『レミリア、アタシの話を聞いて』
「いや、聞きたくないですぅ」
『このままでは、あなたは……』
「いーやー!」
ぶんぶんと何度も首を横に振り、ユーケルンにしがみつこうとするレミリア。滝のような涙を流し、
「ケルン様ー、いやー!」
と大声で泣きわめく。
――ちょっと待て、レミリアはいつからこんな幼児のような振舞いをするようになった?
ユーケルンは背中にうすら寒いものを感じた。
初めて会ったときのレミリアは、どこからどうみても深窓の侯爵令嬢、そのものだった。
明るく朗らかで美しく、思慮深く言葉を発し、凛として佇む。
虐げ続けられてもなお、何年も前から両親の目を盗み、知識を、教養を、自分の糧とし続けた彼女は、年齢以上に大人びた少女だった。
……それなのに。
やはり自分のせいなのだ、とユーケルンは項垂れた。人型になれば魔精力の放出は抑えられる。だから大丈夫だと思っていた。
でも駄目なのだ、抑えるだけでは。結局、魔界由来の魔精力は人間の精神を、肉体を蝕み、魔物へと変えてしまう。
今のレミリアだって勿論愛しい。ずっと傍にいてほしい。
例え魔物になっても彼女を愛し続けられる、魔物となった彼女と添い遂げたいという強い思いがユーケルンにはあった。
しかし、それは――本当に彼女の幸せなのだろうか?
〝レミリア〟で無くなることが? 本当に?
「ケルン様……ごめん、なさい」
ふと、しおらしい声が耳元から聞こえる。
しがみついていたレミリアが身体を離し、ユーケルンを見上げ涙ぐんでいた。
「私……ときどき、自分がよくわからなくなるんです。考えることが面倒になって……もう……」
ふるふると首を横に振るレミリア。
「わがままで、勝手なこと、いっぱい言ってしまう」
『レミリア……』
「でも、そんなことが素直に言える、いまの自分が、好きです。幸せです。私、幸せなんです」
――だから。
――だから、お願い。
――私を、はなさないで。
ユーケルンの首に両腕を回し抱きついたレミリアは、そう耳元で囁いた。
ユーケルンも、折れそうなほど細い彼女の身体をしっかりと抱きしめる。頬に、一筋の涙が伝わっていく。
その涙が絨毯に沁み込んだ瞬間、レミリアの身体から力が抜けた。
必死に〝レミリア・アルバードとしての自分〟を思い出し、ユーケルンに言葉を伝えたが……もう、限界だったのだろう。
意識を失った彼女は、悲痛に満ちた表情を浮かべていた。
『こんな顔を……させたかった訳じゃないのに』
そっと彼女の頬を撫でると……魔獣ユーケルンは、声を殺して泣いた。
「ケルン様ぁ、ひどい、待ってください」
「ケルン様ぁ……うぅ、私が見えないところに行かないで!」
あるときは可愛らしく、あるときは拗ねるように、あるときは涙ぐんで。
レミリアはユーケルンの傍から離れようとはしなかった。ユーケルンに対する依存が日に日に酷くなってゆく。
そんなレミリアの我儘すら愛しく感じていたユーケルンは、気づかなかった。
魔獣である自分の身体から発せられる魔界由来の魔精力に、彼女の精神が蝕まれているとは。
* * *
『レミリア……これ! どうしたの!?』
一か月ほど経ったある日。白いグランドピアノの白い鍵盤に置かれたレミリアの小指の先が、真っ黒になっていた。
まるで墨で塗りたくったような黒。光沢は無く、擦っても落ちない。
「これ、ですか? んー、わからない、です」
こてんと首を傾げ、ぷるぷると首を横に振る。
『わからないって……』
「身体の外側、ぞわぞわ、するんですけど、ケルン様がぎゅってしてくれたら、大丈夫、なんです!」
そう言って無邪気な笑顔を浮かべ、ユーケルンの顔の前で両腕を広げる。
思わず笑みを浮かべいつものように彼女を抱きしめたユーケルンだったが、ハッとしたように彼女の身体を引き剥がした。
思い出したのだ。遠い、昔――古の魔王侵攻のときのことを。
魔導士であるレミリアが体内に取り込み、維持しているのは地上由来の魔精力。
一方、八大魔獣が体内に取り込み、攻撃魔法として放出するのは魔界由来の魔精力。
フェルワンドが吐いた毒霧にやられた人間たち。その体が、みるみる黒く染まっていった。
虫も、植物も、大地も、彩りを失い、漆黒へと塗りたくられてゆく。地上が汚染されてゆく。
そうした大地を浄化し、きれいな状態に戻すのがユーケルンの仕事だった。しかし彼にできるのは空気や水などの無機物と植物の浄化のみで、動物は――当然ながら人間も、刺激を和らげることはできても取り除くことは不可能だった。
魔界の魔精力を蓄えた動物は心が蝕まれ、やがて体も魔物へと変貌する。魔獣の配下となった魔物たちはさらに地上を荒廃させる。
魔界の魔精力を取り込んだ生物を完全に分解し無害にできるのは、水の王獣アッシメニアの〝塵化〟と風の王獣ブレフェデラの〝吸収からの蘇生〟あってのことだった。
王獣の配下である魔獣に過ぎないユーケルンには不可能だ。
しかし、それでも――仮に王獣の手を借りたとしても、レミリアを救うことはできない。
アッシメニアの〝塵化〟は有機物を無機物に分解することで為されるため、それはレミリアの死を意味する。
そしてブレフェデラは歪んだ魔精力を吸収できるものの、既に死んでしまった個体を蘇らせることはできないのだった。
『レミリア、アタシの話を聞いて』
「いや、聞きたくないですぅ」
『このままでは、あなたは……』
「いーやー!」
ぶんぶんと何度も首を横に振り、ユーケルンにしがみつこうとするレミリア。滝のような涙を流し、
「ケルン様ー、いやー!」
と大声で泣きわめく。
――ちょっと待て、レミリアはいつからこんな幼児のような振舞いをするようになった?
ユーケルンは背中にうすら寒いものを感じた。
初めて会ったときのレミリアは、どこからどうみても深窓の侯爵令嬢、そのものだった。
明るく朗らかで美しく、思慮深く言葉を発し、凛として佇む。
虐げ続けられてもなお、何年も前から両親の目を盗み、知識を、教養を、自分の糧とし続けた彼女は、年齢以上に大人びた少女だった。
……それなのに。
やはり自分のせいなのだ、とユーケルンは項垂れた。人型になれば魔精力の放出は抑えられる。だから大丈夫だと思っていた。
でも駄目なのだ、抑えるだけでは。結局、魔界由来の魔精力は人間の精神を、肉体を蝕み、魔物へと変えてしまう。
今のレミリアだって勿論愛しい。ずっと傍にいてほしい。
例え魔物になっても彼女を愛し続けられる、魔物となった彼女と添い遂げたいという強い思いがユーケルンにはあった。
しかし、それは――本当に彼女の幸せなのだろうか?
〝レミリア〟で無くなることが? 本当に?
「ケルン様……ごめん、なさい」
ふと、しおらしい声が耳元から聞こえる。
しがみついていたレミリアが身体を離し、ユーケルンを見上げ涙ぐんでいた。
「私……ときどき、自分がよくわからなくなるんです。考えることが面倒になって……もう……」
ふるふると首を横に振るレミリア。
「わがままで、勝手なこと、いっぱい言ってしまう」
『レミリア……』
「でも、そんなことが素直に言える、いまの自分が、好きです。幸せです。私、幸せなんです」
――だから。
――だから、お願い。
――私を、はなさないで。
ユーケルンの首に両腕を回し抱きついたレミリアは、そう耳元で囁いた。
ユーケルンも、折れそうなほど細い彼女の身体をしっかりと抱きしめる。頬に、一筋の涙が伝わっていく。
その涙が絨毯に沁み込んだ瞬間、レミリアの身体から力が抜けた。
必死に〝レミリア・アルバードとしての自分〟を思い出し、ユーケルンに言葉を伝えたが……もう、限界だったのだろう。
意識を失った彼女は、悲痛に満ちた表情を浮かべていた。
『こんな顔を……させたかった訳じゃないのに』
そっと彼女の頬を撫でると……魔獣ユーケルンは、声を殺して泣いた。
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