魔法使いの薬瓶

貴船きよの

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杪夏の風編

2,揺れる針-1

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 店の客足が途切れたある日の午後、ルウは、離れの正面の庭で自然治癒の補助魔法を練習していた。
 ルウの腕から、光の翼をかたどった桜色の魔法が飛び立っては、上空で消失する。
 そのとき、森から一人の訪問者がやって来た。
 彼は母屋の玄関前を素通りして庭へと回り、ルウの腕から放たれる魔法の光を目撃した。
「なんだ! 今の魔法は? よくわからないけどすごいな!」
「……クローブ!」
 ルウは、友人の訪問に口元を綻ばせ、魔法を操る手を止めた。
「おう。やっぱり、魔法はかっこいいな!」
「まだ不完全だけど、もう少しで習得できそうなんだ。この魔法を使って作りたい魔法薬があってね」
 ルウは、いつもとは違い、配達の荷物を持たないクローブを奇妙に思った。
「今日はどうしたの? 仕事……じゃ、ないよね」
「これを、ルウに調整してほしくてさ」
 クローブがズボンのポケットから取り出したのは、森の魔法使いが使用しているものと同じ、持ち主の行きたい目的地へと導いてくれるコンパスだった。
 ルウはクローブを母屋に通すと、温かいアカシソティーを淹れて振る舞った。甘い蜂蜜と酸味のあるお茶の香りが、湯気と共に広がる。
「店はいいのか?」
 クローブは言った。
「お店に来客があったときは、ここの光水晶が点滅するように、師匠に調整してもらったんだ。母屋の玄関も同じしくみだから、紛らわしくなってしまったんだけどね」
 ルウは、そう言って壁にある光水晶を指差す。
「クローブのコンパスの修理をするなんて、いつ以来かな」
 ルウは、クローブの正面に座って言った。
「ルウが魔法学校に入る前に、一度してくれたよな。いつもはディアに頼んでいるけど、今年は頼みそびれていたんだ」
 ルウがクローブから預かったコンパスは、真鍮製で深みを帯びた色合いを纏っていた。肝心の針は、時折左右に大きく振れて、一定の方向にはなかなか留まらない。
「大事なコンパスだもんね。これがないと、森に入れない」
 魔法使いではない街の人間が森に入るためには特別な許可が要り、コンパスは許可証の代わりのようなものだった。
「少し時間がかかるから、寛いでいてね」
「頼むな」
 ルウは、掌に載せたコンパスに、もう片方の掌をかざして、処置を始めた。
 エネルギーとなる魔法がコンパスに満たされると、コンパスを通して、使用する人間の意思に森が呼応するようになる。
 クローブはティーカップに口を付けて室内を見渡すと、物音ひとつしない静けさを感じて言った。
「そういえば、ガルガルうるさい番犬がいないな」
「番犬って、師匠のこと? 師匠は外で仕事をすることが多いんだ。そんな言い方、師匠にしないでね。仲良くしてよ、クローブ」
 ルウはコンパスの調整に注力したまま、クローブをやさしくたしなめる。
 すると、クローブは面白くなさそうに言った。
「……なんか、気に食わないんだよな。いきなり現れて、ルウと暮らしているなんてさ」
 吐露された友人の意外な思いに、ルウは顔を上げる。
「魔法学校を卒業したら、ルウはディアの家に帰るものだと思っていた。それなのに、弟子入りがあるなんて。どんどん、ルウと離れちまう気がしてさ。ディアもそんなことは一言も言わなかった」
 ソーサーにカップを置いたクローブは、寂しげだった。
「おばあさまは、クローブが余計な心配をしないようにしてくださったのかもしれない。僕だって、自分が弟子入りを選ぶとは思っていなかったよ。弟子入りをせずに帰る子もいる。……なにを選ぶかは、卒業するときになってみないとわからなかった」
 クローブは、ルウを見つめて肩の力を抜いた。
「……そっか。ルウが決めたことなら、俺は応援するしかないんだよな」
「僕が魔法学校に入るときにも、同じことを言ってくれたよね」
 クローブは、微笑を浮かべる。
「師匠も、僕のすることを応援してくれる人なんだよ。あまり、口では言わないけど」
 ルウの話に、クローブは渋々言う。
「だとしたら、あいつのことをわるく言えなくなる」
「それでいいのに」
 ルウが言うと、クローブは仕方なく笑う。
「あーあ。ルウは子どもの頃からぼさっとしていて、俺が付いていないとと思っていたのにな」
 クローブが懐かしむと、ルウは感傷的な気分になった。そして、
「昔とは違うものね。……でも、クローブは、僕の大事な友達だからね。ずっと」
 と言った。
 クローブは、はっきりと表明されたルウの気持ちに、一瞬表情が固まった。しかし、言いかけた言葉を飲み込んで、答えた。
「……ああ。俺も、ルウのことは大事だよ」
 ルウは笑顔で応え、手元の作業を仕上げにかかる。
 魔法の光に包まれたコンパスの針は、ぴたりと真上を指し示し、ぶれることはなくなった。
「はい。できたよ」
「ありがとう、ルウ」
 クローブが受け取ったコンパスは、ほのかに魔法の熱を宿していた。
 ルウは、クローブを玄関先まで送った。
「次の配達日には、いつもと同じ薬草でいいのか?」
 クローブは、去り際に訊ねる。
「うん、お願いね。……あ、そうだ」
「どうした?」
 ルウは、ふと思い立って訊ねた。
「クローブは、好きな子に花束をあげたことはある?」
「えっ! す、好きな子に? 俺は、渡すとしたら薬草ばっかりだしな……」
 クローブは突然の質問に狼狽えたが、
「街の人には、そういう習慣があるのかどうか気になったんだけど」
 と、ルウが言葉を付け加えると、ほっとした。
「ああ……、一般的にってことか。そうだな。そういう話は、確かに聞くよ。うちの父ちゃんも、柄じゃないのに、よく母ちゃんには贈っているしな」
 ルウは、まるで小説の描写を裏付けるかのような話に、目に見えて落ち込んだ。
「そうなんだ、それが普通なんだ……。花なら、森でたくさん見られるのにな」
「ルウも欲しいのか? 欲しいなら、でっかい花束を持ってくるぞ!」
 ルウには、もはやクローブの話は耳に入っていなかった。
「あ、クローブ。気をつけて帰ってね」
「お、おう。ルウに直してもらったコンパスがあるから大丈夫だ!」
 ルウは、帰っていく元気なクローブの姿に、力なく手を振った。
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