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第九計 隔岸観火《かくがんかんか》…… 秩序を失った敵の自滅を待ちます
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やがて指輪は魔法が解けたのか、粉々に砕け散った。
真っ白なフェレットは、元の大きさに戻ると、安堵の声を漏らした。
「間に合ってよかったわ……もともとジャイアント・トードがいたところに、闇の通い路を開ける闇エルフが送り込んだのね、これは」
動物がしゃべっても、僕は別段、驚きはしない。
ここは、そういう世界だ。
フェレットは、不満げにつぶやく。
「びっくりするかと思ったのに」
それは、エルフのターニアの声だった。
たぶん、精霊系の魔法で動物を操っているのだ。
「何の精霊?」
「ん~、動物そのものかな、森や野原の獣と心をひとつにするっていうか」
TRPGをやったことのあるものでないと、何のことか分かりはしないだろう。
早い話が、自然の中で共感できる動物を、自分の思いのままに使えるということだ。
それにしても、ここを嗅ぎ当てたのは、エルフの力か、動物の本能か。
「どうして、ここに?」
尋ねてみると、答えは単純だった。
「王宮で荷物に紛れ込んだの」
そこでターニアが語ったのは、ディリアのもとにやってきた経緯だった。
僕と仲良くしているターニアを目撃したディリアが、機嫌を損ねただろうというのは察しがついていたらしい。
いったん城を離れると、「幻の森」からフェレットを連れて戻ってきた。
そして城の中でアンガを探し出すと、ご機嫌取りにフェレットを連れて行けと告げたのだった。
事情が分かったところで、気になったのはこれだった。
「本体は?」
フェレットの姿のままで、ターニアは事もなげに答えた。
「騎士団の案内」
聞けば、オズワルの率いる騎士団は、朝になって補給の妨害の現場がアンガの探索で発見されたので、そちらに向かったのだという。
僕はターニアと共に後を追うことにしたが、ドウニはついてこなかった。
騎士団がいなくなったダンジョンを警備するのだ、と言っていた。
城の大広間でひざまずく騎士団をひとりで出迎えたディリアは、オズワルの報告を聞いて、安心したように微笑んだ。
「そんなことがあったのですか」
リカルドの妨害工作を止めるのは、そんなに難しくなかった。
アンガがつきとめた山の中に僕たちが駆けつけたときは、騎士団が細い道を塞いでいた。
そこへやってきたのは、リカルドの放った私兵たちだった。
騎士団はダンジョンにかかりきりになっていると思っているから、僕たちを見ると、わっと叫んで、来た道を逃げ戻ろうとする。
僧侶ロレンの祈りでバジリスクの視線の影響から解き放たれた騎士たちは、それを片っ端から取り押さえたのだった。
オズワルは、ディリアの笑みを見て、ようやく安堵の息をついた。
「カストあたりが動いていたら、ダンジョンから戻ってくるのを発見されてしまったかもしれません。危ない所でした」
そこで、ディリアは真面目な顔で騎士団を見渡した。
「あの門番に感謝なさい」
いかにカストが優秀な密偵でも、この城の壁を越えることはできない。
どこかの門を出なければ騎士団の偵察には行けないのだが、今度はディリアの命令で、全ての門は固く閉ざされていたのだった。
「あの門番が仲間たちと、たとえリカルドの命令でも絶対に門を開けるまいと申し合わせたのです」
どこかに門番ごときと侮る気持ちがあったのか、騎士団の面々は恥ずかしげにうつむいた。
そこで僕は、フェレットを放つ。
ディリアはそれが胸元に飛び込むと、いつの間にかつけられていた、その名を呼んで嬉しそうに歓声を上げた。
「マイオ!」
これも、城に戻ったところで出会ったアンガの入れ知恵だ。
ディリアはフェレットが急にいなくなったので、ひどく落ち込んでいたらしい。
これが城から姿を消したターニアの分身だと知ったら、どんな顔をするだろうか。
そう思うと、僕は苦笑いを抑えきれなかった。
だが、リカルドはすでに、騎士団の妨害どころではなくなっていたようだった。
フェレットの「マイオ」を抱きながら、各々の顔を見渡して告げる」
「あなたたちが城を空けている間に、城の中や外では、少し困ったことが起こっていたのです」
なんでも、ディリアに従う廷臣たちや貴族たちが、家や屋敷の中に閉じこもってしまったらしいのだ。
アンガが調べてきたところによれば、この3日かそこらのうちに、恐ろしい目に遭わされたらしい。
ある貴族は、道端で闇に紛れて襲いかかってきたならず者から、命からがら逃げだしたという。
またある廷臣の家では、街中の人混みの中へ買い物に行ってきた妻が、いつの間にか懐に差し込まれていた手紙を発見した。
不倫の誘いの付け文か何かだと思って、胸をときめかせながら読んでみたところ、その場で卒倒したのだった。
「私の味方をする限り、家族の命はないと書いてあったそうです」
それを聞いたオズワルは、怒りを剥き出しにして歯ぎしりした。
「おのれリカルド、卑劣な……」
だが、僕はそうは思わなかった。
ディリアもまた、落ち着いた様子でこれを抑えた。
「リカルドなら、もう少し手の込んだことをするでしょう。これは恐らく、配下の者が勝手にやったことです」
いずれにせよ、放っておくことはできなかった。
オズワルは騎士たちに、城の内外の巡回と、廷臣たちや貴族の警護を命じる。
大広間に僕たち3人だけになると、苛立たしげにぼやいた。
「我らが追い込まれても、盛り返しても、雑魚どもは暴れるのをやめんということか」
ディリアも、フェレットの「マイオ」の頭を指先で撫でながら頷いた。
「これでは、騎士がいくらいても足りません」
だが、僕はそうは思わなかった。
自信を持って、ディリアに進言する。
「心配はいりません。むしろ、騎士団が合図ひとつで集まれるようにしておいてください」
そう言っているそばから、いつの間に大広間に入り込んでいたのか、下働きの掃除夫に身をやつしたアンガがディリアに告げた。
「ダンジョンの第9層で、数多のモンスターが暴れ出したようです。そのうち何体かは第8層に押し出されましたが、ドワーフひとりに倒されたようです」
たいした猛者だったが、そんな荒事がいつまでも続くものではない。
何とかするのは、こっちの方だという気がした。
ダンジョンに行こうとすると、ディリアは止めた。
「リカルドの配下が統制を失っています。危険だとは思いませんか?」
頭の中に閃いた「三十六計」のカードが1枚、イメージの中で回転する。
だが、それよりも早く、僕は平然と答えてみせる。
「対岸の火事など、放っておけばいいんです」
その例えが分かりづらかったのか、ディリアもオズワルも、アンガまでもが、きょとんとした顔をしていた。
リカルドの配下たちを抑えるために、アンガは魔法使いのレシアスや僧侶のロレンにも連絡を取ってくれることになった。
戦力は分散されたが、僕はあまり気にも留めていなかった。
ひとりで再びダンジョンに潜ることにしたのも、見通しがあったからだ。
騎士団が出払って誰もいないところを第8層まで降りると、ドワーフのドウニが、大きなハンマーを担いで座り込んでいた。
「手伝いなんぞいらんわい」
そう強がりはするが、その身体にはあちこち傷がある。
洞窟の隅には、第9層に続くものと思しき洞窟が、大きな口を開けている。
その傍らには、大きな人型モンスターが2体、仰向けに転がっていた。
「下から逃げてきた人食い鬼だが、闇の通い路なんぞを通って、こんなのが地上に出てきたら面倒だからな」
どうやら、オーガーたちが何やら揉めているらしい。
もっとも、ドウニがそれを告げた相手は、僕ではなかった。
振り向くと、そこにエルフのターニアがいる。
「闇エルフにそれをさせないのが、私たちよ」
ドウニに、さっさと引っ込めと言っているのだ。
この世界でも、エルフとドワーフは仲が悪いらしい。
引き離すのが無難だろうと思って、僕はドウニに言った、
「交代しよう。お互い寝てないんだから、こうやって一方が疲れを取っていないと」
すると、ドウニはいかつい顔に似合わず、僕を気遣ってくれた。
「お前はどうするんだ?」
もちろん寝る、と答えて、背中の荷物を枕にする。
だが、それを押しのけたのは、ターニアの太腿の膝枕だった。
「大した度胸ね、下の階ではモンスターが揉めてるのに」
その声を最後に、僕の意識は遠のいていった。
瞼の裏に、ステータスが浮かぶ。
〔カリヤ マコト レベル9 16歳 筋力 19 知力16 器用度12 耐久度15 精神力14 魅力16〕
筋力と耐久度が、レベルの半分の端数切り捨てで4ずつ上がっていた。
バジリスクと戦った経験のおかげだろうか。
ターニアの膝枕に頭を預けて、僕はゆっくりと眠った。
これも、充分な勝算があってのことだ。
三十六計、「その六」。
「隔岸観火《かくがんかんか》…… 秩序を失った敵の自滅を待つ。
そう、対岸の火事は、放っておけばいいのだ。
第9層で何があったのか知らないが、人を食らうオーガーが逃げてくるくらいなのだから、よほどひどい内輪もめが起こっているのだろう。
やがて、すっきりと目が覚めた僕を、豊かな胸の向こうで見下ろしながらターニアが囁いた。
「よく眠れたみたいね」
「ああ」
いつになく自信たっぷりに僕が答えたところで、ドウニが地上から下りてきた。
「そろそろ代わってやろうか?」
「その必要はないよ」
そう言いながら肩をすくめて、僕は倒れたオーガーの間を抜ける。
カンテラを手に、第9層に向かう洞窟へと足を踏み入れると、仲の悪いエルフとドワーフが先を争うように後を追ってきた。
勝利を確信していた僕だったが、カンテラのぼんやりした灯が照らし出した光景には、走って逃げ帰りたくなった。
目の前には、無残に食い散らかされたモンスターの身体が転がっていたのだ。
何とか踏みとどまることができたは、後ろで洞窟の出口をドウニが塞いでいたおかげにすぎなかった。
ちらりと隣を眺めると、ターニアも目を背けていた。
それに気づいたのか、ドウニが皮肉を言う。
「暗がりで目が見えるのは、エルフだけではないのだがな」
このふたりには、もっと凄惨なものが見えているのだろう。
ターニアは気を取り直したように、僕の前へ出て歩きだした。
「心当たりがあるの」
そう言って進んでいく洞窟の中には、食い散らかされたオーガーの死体が転がっている。
吐き気をこらえながら後についていくと、広い場所に出た。
なるほどな、とドウニが見下ろした床には、オーガーの骸がふたつあった。
今まで見てきたのより、ひとまわり大きくていかつい。
ドウニは、何があったか見当がついたようだった。
「互いに争って共倒れになったんだろう」
そこでターニアが指を高く掲げて示した辺りに、カンテラを掲げてみる。
その岩壁には、複雑なシンボルマークが描かれていた。
「原因はこれ……闇エルフの描く、飢餓の紋章よ」
ターニアが言うには、これはモンスターたちの飢えをかきたてるものらしい。
さらに、共食いをさせたうえで生き残ったものは狂気に捕らわれて、死ぬまで戦い続ける身体になるというのだ。
「それにこの階を守らせるつもりだったんだろうけど……こうなったのも、カリヤが動かなかったおかげね」
僕の読みは、正しかったわけだ。
そこへやってきたのは、オズワルの率いる騎士団だった。
洞窟の中であちこちに転がるオーガーの死体を見てきたのだろう、僕たちへの称賛の言葉を次々に浴びせかけてくる。
「たった3人でこれだけ倒すとは……」
「おそるべし、異世界召喚者と伝説の妖精たち」
「いや、感服つかまつった」
そこで、僕が聞き返したことがある。
「ここに騎士団が来たってことは……」
オズワルは部下たちと顔を見合わせて笑う。
「廷臣たちも貴族たちも、それほど心配することはなかった」
もともと、リカルドへの忠誠を示すための勝手な焦りや功名心から、配下たちは抜け駆けを始めていた。
それが、この数日の間にどんどん過激なものになっていき、しまいにはお互いを邪魔者扱いするようになったらしかった。
呆れたように、オズワルは言った。
「そのうちに連中、ぼろを出しおったのだ」
配下たちの争いが激しくなると、お互いのあらさがしが始まった。
それが及んでいることを教えてやると、補給物資を奪おうとした者たちは、あっさり口を割ったという。
オズワルは、どうにも納得がいかないという顔で答えた。
「リカルドめ、略奪させたものを、城下の貧しい者たちに流しておったのよ」
そう言って、自分で自分を納得させるよう、大仰に頷いた。
「……そうやって、悪事の裏工作をする手先を増やしてきたのだろう」
それは憶測にすぎないが、僕もそう考えなければ、どうにも気持ちの整理がつかなかった。
何にせよ、ダンジョンでも城内でも、「下手に動かない」ことが効を奏したのは間違いない。
もっとも、そのどちらでも、同じ手が二度と通用するほどは甘くないことは、僕にはよく分かっていた。
真っ白なフェレットは、元の大きさに戻ると、安堵の声を漏らした。
「間に合ってよかったわ……もともとジャイアント・トードがいたところに、闇の通い路を開ける闇エルフが送り込んだのね、これは」
動物がしゃべっても、僕は別段、驚きはしない。
ここは、そういう世界だ。
フェレットは、不満げにつぶやく。
「びっくりするかと思ったのに」
それは、エルフのターニアの声だった。
たぶん、精霊系の魔法で動物を操っているのだ。
「何の精霊?」
「ん~、動物そのものかな、森や野原の獣と心をひとつにするっていうか」
TRPGをやったことのあるものでないと、何のことか分かりはしないだろう。
早い話が、自然の中で共感できる動物を、自分の思いのままに使えるということだ。
それにしても、ここを嗅ぎ当てたのは、エルフの力か、動物の本能か。
「どうして、ここに?」
尋ねてみると、答えは単純だった。
「王宮で荷物に紛れ込んだの」
そこでターニアが語ったのは、ディリアのもとにやってきた経緯だった。
僕と仲良くしているターニアを目撃したディリアが、機嫌を損ねただろうというのは察しがついていたらしい。
いったん城を離れると、「幻の森」からフェレットを連れて戻ってきた。
そして城の中でアンガを探し出すと、ご機嫌取りにフェレットを連れて行けと告げたのだった。
事情が分かったところで、気になったのはこれだった。
「本体は?」
フェレットの姿のままで、ターニアは事もなげに答えた。
「騎士団の案内」
聞けば、オズワルの率いる騎士団は、朝になって補給の妨害の現場がアンガの探索で発見されたので、そちらに向かったのだという。
僕はターニアと共に後を追うことにしたが、ドウニはついてこなかった。
騎士団がいなくなったダンジョンを警備するのだ、と言っていた。
城の大広間でひざまずく騎士団をひとりで出迎えたディリアは、オズワルの報告を聞いて、安心したように微笑んだ。
「そんなことがあったのですか」
リカルドの妨害工作を止めるのは、そんなに難しくなかった。
アンガがつきとめた山の中に僕たちが駆けつけたときは、騎士団が細い道を塞いでいた。
そこへやってきたのは、リカルドの放った私兵たちだった。
騎士団はダンジョンにかかりきりになっていると思っているから、僕たちを見ると、わっと叫んで、来た道を逃げ戻ろうとする。
僧侶ロレンの祈りでバジリスクの視線の影響から解き放たれた騎士たちは、それを片っ端から取り押さえたのだった。
オズワルは、ディリアの笑みを見て、ようやく安堵の息をついた。
「カストあたりが動いていたら、ダンジョンから戻ってくるのを発見されてしまったかもしれません。危ない所でした」
そこで、ディリアは真面目な顔で騎士団を見渡した。
「あの門番に感謝なさい」
いかにカストが優秀な密偵でも、この城の壁を越えることはできない。
どこかの門を出なければ騎士団の偵察には行けないのだが、今度はディリアの命令で、全ての門は固く閉ざされていたのだった。
「あの門番が仲間たちと、たとえリカルドの命令でも絶対に門を開けるまいと申し合わせたのです」
どこかに門番ごときと侮る気持ちがあったのか、騎士団の面々は恥ずかしげにうつむいた。
そこで僕は、フェレットを放つ。
ディリアはそれが胸元に飛び込むと、いつの間にかつけられていた、その名を呼んで嬉しそうに歓声を上げた。
「マイオ!」
これも、城に戻ったところで出会ったアンガの入れ知恵だ。
ディリアはフェレットが急にいなくなったので、ひどく落ち込んでいたらしい。
これが城から姿を消したターニアの分身だと知ったら、どんな顔をするだろうか。
そう思うと、僕は苦笑いを抑えきれなかった。
だが、リカルドはすでに、騎士団の妨害どころではなくなっていたようだった。
フェレットの「マイオ」を抱きながら、各々の顔を見渡して告げる」
「あなたたちが城を空けている間に、城の中や外では、少し困ったことが起こっていたのです」
なんでも、ディリアに従う廷臣たちや貴族たちが、家や屋敷の中に閉じこもってしまったらしいのだ。
アンガが調べてきたところによれば、この3日かそこらのうちに、恐ろしい目に遭わされたらしい。
ある貴族は、道端で闇に紛れて襲いかかってきたならず者から、命からがら逃げだしたという。
またある廷臣の家では、街中の人混みの中へ買い物に行ってきた妻が、いつの間にか懐に差し込まれていた手紙を発見した。
不倫の誘いの付け文か何かだと思って、胸をときめかせながら読んでみたところ、その場で卒倒したのだった。
「私の味方をする限り、家族の命はないと書いてあったそうです」
それを聞いたオズワルは、怒りを剥き出しにして歯ぎしりした。
「おのれリカルド、卑劣な……」
だが、僕はそうは思わなかった。
ディリアもまた、落ち着いた様子でこれを抑えた。
「リカルドなら、もう少し手の込んだことをするでしょう。これは恐らく、配下の者が勝手にやったことです」
いずれにせよ、放っておくことはできなかった。
オズワルは騎士たちに、城の内外の巡回と、廷臣たちや貴族の警護を命じる。
大広間に僕たち3人だけになると、苛立たしげにぼやいた。
「我らが追い込まれても、盛り返しても、雑魚どもは暴れるのをやめんということか」
ディリアも、フェレットの「マイオ」の頭を指先で撫でながら頷いた。
「これでは、騎士がいくらいても足りません」
だが、僕はそうは思わなかった。
自信を持って、ディリアに進言する。
「心配はいりません。むしろ、騎士団が合図ひとつで集まれるようにしておいてください」
そう言っているそばから、いつの間に大広間に入り込んでいたのか、下働きの掃除夫に身をやつしたアンガがディリアに告げた。
「ダンジョンの第9層で、数多のモンスターが暴れ出したようです。そのうち何体かは第8層に押し出されましたが、ドワーフひとりに倒されたようです」
たいした猛者だったが、そんな荒事がいつまでも続くものではない。
何とかするのは、こっちの方だという気がした。
ダンジョンに行こうとすると、ディリアは止めた。
「リカルドの配下が統制を失っています。危険だとは思いませんか?」
頭の中に閃いた「三十六計」のカードが1枚、イメージの中で回転する。
だが、それよりも早く、僕は平然と答えてみせる。
「対岸の火事など、放っておけばいいんです」
その例えが分かりづらかったのか、ディリアもオズワルも、アンガまでもが、きょとんとした顔をしていた。
リカルドの配下たちを抑えるために、アンガは魔法使いのレシアスや僧侶のロレンにも連絡を取ってくれることになった。
戦力は分散されたが、僕はあまり気にも留めていなかった。
ひとりで再びダンジョンに潜ることにしたのも、見通しがあったからだ。
騎士団が出払って誰もいないところを第8層まで降りると、ドワーフのドウニが、大きなハンマーを担いで座り込んでいた。
「手伝いなんぞいらんわい」
そう強がりはするが、その身体にはあちこち傷がある。
洞窟の隅には、第9層に続くものと思しき洞窟が、大きな口を開けている。
その傍らには、大きな人型モンスターが2体、仰向けに転がっていた。
「下から逃げてきた人食い鬼だが、闇の通い路なんぞを通って、こんなのが地上に出てきたら面倒だからな」
どうやら、オーガーたちが何やら揉めているらしい。
もっとも、ドウニがそれを告げた相手は、僕ではなかった。
振り向くと、そこにエルフのターニアがいる。
「闇エルフにそれをさせないのが、私たちよ」
ドウニに、さっさと引っ込めと言っているのだ。
この世界でも、エルフとドワーフは仲が悪いらしい。
引き離すのが無難だろうと思って、僕はドウニに言った、
「交代しよう。お互い寝てないんだから、こうやって一方が疲れを取っていないと」
すると、ドウニはいかつい顔に似合わず、僕を気遣ってくれた。
「お前はどうするんだ?」
もちろん寝る、と答えて、背中の荷物を枕にする。
だが、それを押しのけたのは、ターニアの太腿の膝枕だった。
「大した度胸ね、下の階ではモンスターが揉めてるのに」
その声を最後に、僕の意識は遠のいていった。
瞼の裏に、ステータスが浮かぶ。
〔カリヤ マコト レベル9 16歳 筋力 19 知力16 器用度12 耐久度15 精神力14 魅力16〕
筋力と耐久度が、レベルの半分の端数切り捨てで4ずつ上がっていた。
バジリスクと戦った経験のおかげだろうか。
ターニアの膝枕に頭を預けて、僕はゆっくりと眠った。
これも、充分な勝算があってのことだ。
三十六計、「その六」。
「隔岸観火《かくがんかんか》…… 秩序を失った敵の自滅を待つ。
そう、対岸の火事は、放っておけばいいのだ。
第9層で何があったのか知らないが、人を食らうオーガーが逃げてくるくらいなのだから、よほどひどい内輪もめが起こっているのだろう。
やがて、すっきりと目が覚めた僕を、豊かな胸の向こうで見下ろしながらターニアが囁いた。
「よく眠れたみたいね」
「ああ」
いつになく自信たっぷりに僕が答えたところで、ドウニが地上から下りてきた。
「そろそろ代わってやろうか?」
「その必要はないよ」
そう言いながら肩をすくめて、僕は倒れたオーガーの間を抜ける。
カンテラを手に、第9層に向かう洞窟へと足を踏み入れると、仲の悪いエルフとドワーフが先を争うように後を追ってきた。
勝利を確信していた僕だったが、カンテラのぼんやりした灯が照らし出した光景には、走って逃げ帰りたくなった。
目の前には、無残に食い散らかされたモンスターの身体が転がっていたのだ。
何とか踏みとどまることができたは、後ろで洞窟の出口をドウニが塞いでいたおかげにすぎなかった。
ちらりと隣を眺めると、ターニアも目を背けていた。
それに気づいたのか、ドウニが皮肉を言う。
「暗がりで目が見えるのは、エルフだけではないのだがな」
このふたりには、もっと凄惨なものが見えているのだろう。
ターニアは気を取り直したように、僕の前へ出て歩きだした。
「心当たりがあるの」
そう言って進んでいく洞窟の中には、食い散らかされたオーガーの死体が転がっている。
吐き気をこらえながら後についていくと、広い場所に出た。
なるほどな、とドウニが見下ろした床には、オーガーの骸がふたつあった。
今まで見てきたのより、ひとまわり大きくていかつい。
ドウニは、何があったか見当がついたようだった。
「互いに争って共倒れになったんだろう」
そこでターニアが指を高く掲げて示した辺りに、カンテラを掲げてみる。
その岩壁には、複雑なシンボルマークが描かれていた。
「原因はこれ……闇エルフの描く、飢餓の紋章よ」
ターニアが言うには、これはモンスターたちの飢えをかきたてるものらしい。
さらに、共食いをさせたうえで生き残ったものは狂気に捕らわれて、死ぬまで戦い続ける身体になるというのだ。
「それにこの階を守らせるつもりだったんだろうけど……こうなったのも、カリヤが動かなかったおかげね」
僕の読みは、正しかったわけだ。
そこへやってきたのは、オズワルの率いる騎士団だった。
洞窟の中であちこちに転がるオーガーの死体を見てきたのだろう、僕たちへの称賛の言葉を次々に浴びせかけてくる。
「たった3人でこれだけ倒すとは……」
「おそるべし、異世界召喚者と伝説の妖精たち」
「いや、感服つかまつった」
そこで、僕が聞き返したことがある。
「ここに騎士団が来たってことは……」
オズワルは部下たちと顔を見合わせて笑う。
「廷臣たちも貴族たちも、それほど心配することはなかった」
もともと、リカルドへの忠誠を示すための勝手な焦りや功名心から、配下たちは抜け駆けを始めていた。
それが、この数日の間にどんどん過激なものになっていき、しまいにはお互いを邪魔者扱いするようになったらしかった。
呆れたように、オズワルは言った。
「そのうちに連中、ぼろを出しおったのだ」
配下たちの争いが激しくなると、お互いのあらさがしが始まった。
それが及んでいることを教えてやると、補給物資を奪おうとした者たちは、あっさり口を割ったという。
オズワルは、どうにも納得がいかないという顔で答えた。
「リカルドめ、略奪させたものを、城下の貧しい者たちに流しておったのよ」
そう言って、自分で自分を納得させるよう、大仰に頷いた。
「……そうやって、悪事の裏工作をする手先を増やしてきたのだろう」
それは憶測にすぎないが、僕もそう考えなければ、どうにも気持ちの整理がつかなかった。
何にせよ、ダンジョンでも城内でも、「下手に動かない」ことが効を奏したのは間違いない。
もっとも、そのどちらでも、同じ手が二度と通用するほどは甘くないことは、僕にはよく分かっていた。
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