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第二十八話(前) 上屋抽梯《じょうおくちゅうてい》… 敵を巧みにそそのかして逃げられない状況に追い込みます

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 街へ流入した農民を地元に帰した結果、ワーム蛇龍が吐いた毒で荒廃した国内の農地は、ドワーフの作った頑強な農具で再び耕された。
 だが、いくら無償で働いてくれたとはいえ、ドワーフの仕事にも限界がある。
 新たな農具が全ての農民に出回ったわけではないのだった。
 そこをディリアの朝礼で告げてきたのが、アンガだった。
「荒れた土地の中でも、耕せるところと耕せぬところがあります」
 カストがそれに気づかないはずがない。
 その報告が先にもたらされていたのだろう、リカルドがやってきて、ねちっこく追及してきた。
「たとえ話をいたしましょう。ここに2つの粉ひき小屋があるといたします」
 ややこしい話を箇条書きで要約すると、こういうことだった。

 ①雇い人によるものと、水車によるもの
 ②人を雇って挽いた粉の値段には、雇い人ヘの給料が含まれる
 ③その値段で粉を売った水車の持ち主は、その給料分だけ利益を得る

 これが意味することを、ディリアはすぐに察して問い返した。
「そのカラクリを知る者は、粉を安く買うこともできるのはないのですか?」
 リカルドはあっさりと答えた。
「水車を持つ者は、安売りをする必要がないのです。人を雇っている者が、そうしない限り」
 つまり、リカルドはこう言いたいのだ。
 ドワーフの農具をもたらしたことで、それを手に入れられた者と、そうでない者の差が生まれてきた、と。
 つまり、格差の責任をディリアに押し付けようというわけだが、そこで僕の頭に浮かんだ疑問があった。
 
 ……こんな経済学的なことに、よく気付いたな。

 そっちのほうは専門外だが、たぶん、ヨーロッパでも近代になって生まれた考え方になるはずだ。
 
 こうして、ディリアは農地の再開発という、一種の公共事業を行う羽目になった。
 だが、それは宰相を通さなければできない。
 リカルドは口先三寸で実質的な地位を回復したわけだが、ディリアの精神的な負担は次第に大きくなっていった。
 とうとう、ある日、フェアリーのポーシャとレプラホーンのハクウが、僕を部屋まで呼びに来た。
 異口同音に、こう言う。
「話が難しすぎて、相手になってやれないんだ」
 妖精たちの案内で庭に出てみると、いつになく憔悴しきったディリアが、東屋でフェレットのマイオを抱いてうずくまっていた。
 僕の顔を見るなり、無理やり笑顔を作ってみせる。
「おとぎ話にだってありませんね、妖精が代わりに国を治めてくれるなんて」
 無茶言うな、というハクウを、ポーシャが小突いた。
 ハクウの代わりに、僕が謝る。
「……申し訳ありません、お役に立てなくて」 
 いかに異世界から召喚されたとはいっても、僕は古代中国の故事しか知らないRPGオタクにすぎない。
 だが、ディリアは真面目な顔で答えた。
「カリヤを異世界から召喚したのは、私の代わりにダンジョンを制覇してもらうためです。他のことなど、求めてはいません」
 経緯だけ考えれば、その通りだった。
 だが、せめて、このくらいは助言してやってもいいはずだ。
「ひとりで抱え込んではいけません。今のディリア様には、たくさんの臣下がいるではありませんか」
 まるで、ブラック企業化した学校現場で、頑張り過ぎている女性教員を励ましているみたいだった。
 確かに、ディリアが目指すのは、分かる授業でも平穏な学級経営でもない。
 リントス王国の王位継承だ。
 それでも、いや、だからこそ、使える臣下は使えばいい。できることは、任せればよいのだ。
 しかし、ディリアは不自然なくらいに明るい声で答えた。
「皆、申すのです。これまでの王の治世で、このようなことが起こったことはないと」
 言われてみれば、その通りだ。
 中世ヨーロッパのような文明レベルで、近代的な経済学の問題が解決できるわけがないのだった。
 リカルドがどこまで分かっていたかは知らないが、してやられたことだけは間違いない。
  そう感じたとき、頭の中にあのイメージが浮かんだ。
 三十六枚のカードのうち、1枚がくるりと回る。


 三十六計、その二十八。
 上屋抽梯じょうおくちゅうてい… 敵を巧みに唆して逃げられない状況に追い込む。

 ディリアは、梯子を外されたのだ。
 だが、と僕は思った。
 さっきのディリアと同じくらい、大真面目に切り返す。
「このようなことが起これば、歴代の王はどうにかなさったのではありませんか?」
 泣き言を明るく言おうとしたところで、正面からたしなめられたディリアはしばし言葉に詰まった。
 僕から目を逸らして何か考えている様子だったが、何も言い返すことはできないようだった。
 ただ、それが面白くないのか、目だけではなく、話まで逸らしてきた。
「カリヤ……ディリア様、ディリア様と、まどろっこしい呼び方は気に障ってなりません」
「では、どうすれば?」
 ちょっとおどけて答えてみせると、ディリアは割と険しい目つきでこう命じた。
「ふたりだけのときは……ディリアとお呼びなさい」 
 
 いくら命じられたからといっても、城の居候が姫君を呼び捨てになどできるわけがない。
 上下関係で物を言うことが身体の奥にまで染みついた僕には無理だった。
 たとえ、ふたりきりになったときであっても。
「恋人同士ならまだしも……」
 部屋のベッドで横になって、そうつぶやいたところでドキっとした。
「いかんいかん、いかん!」
 思わず跳ね起きて、首をぶんぶん横に振る。
 国家の命運を背負っているとはいえ、相手は17歳かそこらの小娘だ。
 僕はといえば、この異世界での身体はともかく、心は30歳過ぎのオッサンなのだ。
 そこのところをよく自分に言い聞かせて、再び身体を横たえる。
 リラックスして、考えを巡らせるためだ。
 
 ……近代経済学の問題を、どうやって中世の文明レベルに落とし込むか。
 
 いい知恵が、すぐに浮かぶわけもない。
 あれこれ考えているうちに、うとうと眠り込んでしまう。
 瞼の奥に浮かんだのは、このステータスだった。 

 
 〔カリヤ マコト レベル28 16歳 筋力51 知力71 器用度62 耐久度63 精神力60 魅力58〕

 再び、筋力が上がっていた。
 知力が70の大台に乗り、精神力も60になった。
 エナジードレインを食らった魅力度も、他のパラメータと同じく7だけ上がっている。
 このステータスで、何をすればいいのか。
 まどろみの中で考えていると、部屋のドアを激しく叩く音がした。
「異世界召喚者殿!」
 騎士団長のオズワルだった。
 久々のうろたえっぷりに、ベッドから飛び起きる。
「ダンジョンで何か?」
 そのくらいしかあり得ないと思いながら扉を開けて尋ねると、そこにはオズワルが血相を変えて立っていた。
「ダンジョンを登ってきた……モンスターが!」

 思いがけないルール変更だった。
 今までは、僕が制圧したダンジョンにモンスターが再び現れることはなかった。
 だから、騎士団の見張りを立てておけばよかったのだ。
 城の居候に過ぎない僕の存在意義は、その辺りにあった。
 だが、そのルールが破られた以上、事態はかなり複雑になる。
 まず、事態は再び振り出しに戻った。
 再びモンスターたちは地上にあふれ出し、騎士団が総がかりで戦わなければならなくなる。
 それは、僕を召喚したディリアの立場がなくなるということだ。
 自ら起こした公共事業だけでも重荷なのに、ダンジョン制圧など、再び背負えるわけがない。
  想定外の事態ではあるが、リカルドの思惑通りに事が進んでしまっているのは確かだった。
 これを食い止めるためには、僕が再びダンジョンに潜って、一気に第28層まで制圧するしかない。
 おそらく、現れるモンスターを片っ端から倒さなければならないだろう。
 だが、たとえパーティを組んだとしても、一気にそんな真似ができるだろうか?
 考え込んでしまったところで、僕の頭に閃いたことがあった。
 イメージされた三十六枚のカードのうち、1枚がくるりと回る。
 
 ……ディリアの梯子を外したリカルドに、同じことをやり返してやればいいのだ。
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