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第二十九計(後) 樹上開花《じゅじょうかいか》…たいしたことのないことを大げさに見せて、周りを欺きます

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 かくして、リントス王国に噂が駆け巡った。

 ……神の軍勢がディリアに味方する。
 
 こういうときに活躍するのは、もちろん、あの3人だ。
 暗殺者だが伝令としても神速の俊脚を誇る……アンガ。
 街中で言葉巧みに人を操るのも盗賊の技の内……ギル。
 悪党が知る悪党の道を街から街へと渡り歩く……ロズ。

 まず、アンガは馬に船に自前の足と、ありとあらゆる交通手段を使って王国の周辺部を走りまわってきた。
 城へ戻ってくると、中庭でフェレットのマイオをじゃらしているディリアにこう告げた。
「とにかく急いで、王国のあちこちに噂の種を撒いて参りました」
 曰く。
 神の軍勢が現れる時は、必ず前兆がある。
 国中の牛という牛が、城に向かって動き出すであろう。 
 
 続いて、ギルは酒場で僕にこんな話を聞かせてくれた。
「街の服屋や化粧品屋に話してやったら、大喜びで仕入れに走ったよ」
 曰く。
 神の軍勢が現れる時は、必ず儲け話がある。
 派手な色の服や化粧品が飛ぶように売れるのだ。

 最後に、街の裏通りで会ったロズは、得意満面で自慢した。
「ちょっとうまい話があると教えてやったら、バカども、山にこもっちまったよ」
 曰く。
 元手いらずで一攫千金の方法がある。
 とりあえず、山から手ごろな大きさの枝を切ってこい。

 こうして、迷信深い人々の心の中には、根拠も何もない、新たな期待が植え付けられた。
 あとは、これを叶えてやるだけだ。
 僕は、ディリアに頼み込む。
「女王《クイーン》になってください」
「……それができないから困っているのですが」
 それは、最初から分かりきっていたことだ。
 王位継承者たる姫君も、呆れた顔をしている。
 そこで僕は、得たりとばかりに笑ってみせた。
「お祭り騒ぎの、です」

 こうして、ディリアにとっては性格上、たぶん最初で最後のバカ騒ぎが始まった。
 正式に王位を認められてはいなくとも、ディリアが先王の娘であることに変わりはない。
 その名前でこんなお触れを発すれば、それこそ光の速さで国中に伝わるだろう。

 ……夜の神を称える祭りを執り行う。各々、松明を手に、思うままの扮装にて城の周りに集うべし。

 たちまちのうちに、国中の街という街、村という村から、人という人の大移動が始まった。
 人だけではない。
 牛の群れが、城へ向かって動きだしたのだ。
 そのどれもが、祭りの屋台で振る舞うための食糧や、仮装のための衣装や化粧品を山のように積んでいた。
 街の服屋や化粧品屋が、祭りでの儲けを当て込んで、大量に発注した物のようだった。 
 狙い通りだ。
 だが、話をまだ通していない者がいた。
 まずは僧侶のロレンだ。
 酒場でギルやロズ、アンガと祭りについて細かいことを打ち合わせていると、血相を変えて詰め寄ってきた。
「夜の神ですと? そんなものへの信仰は存在しない! 異世界召喚者殿は、いつから邪教の主となられたのか!」
 不機嫌に言い返したのは悪党のロズだ。
「別にお前に頼んじゃいねえ」
 そこへ加勢したのは意外にも、ロレンと一緒にダンジョン送りの憂き目に遭ったアンガだった。
 命の危機を共にした仲間に、冷ややかな言葉を返す。
「関わらなければ済む話だ」
 そこでなだめにかかったのは、口の達者なギルだった。
「まあまあ、お祭りなんですよ、これは。こんなところで喧嘩するのは、戦の神様だってお許しにはなりませんって」
 ロレンが黙って立ち去ろうとすると、その行く手を阻んだ者が静かに告げた。
「おぬしの知らぬ、忘れられた古い神もあるのだ」
 知識では誰にも引けをとらない、魔法使いのレシアスだった。
 そこでロレンは初めて、柔らかく微笑んでみせた。
「……なるほど」 
 納得したのか、それとも、ありもしない神をでっちあげてみせたレシアスの機知に敬意を表したのか。
 それは僕にも分からなかった。

 そうこうするうちに、大貴族たちの兵を集めて北へ向かったリカルドが手紙で釘を差してきた。
 朝礼の後、僕にそれを見せたディリアは、溜息と共に肩をすくめてみせた。
 僕も苦笑いする。
 そこには、こう書いてあったのだ。

 ……勝手な徴発は認めない。

 ディリアは、憐みをこめて手紙の主をいたわってみせる。
「こんな短い手紙をわざわざ……」
 僕も、ある種の同情を禁じえなかった。
「相当、追い詰められていますね」
 たぶん、北の大貴族の領地からも、人やモノの大移動が始まっているのだろう。
 リカルドはそれを見て、ディリアが無断で人員や物資の調達を始めたと誤解したのだ。
 ディリアは、いかにも心配そうな口調で言った。
「東家や西家、南家はついてくるのでしょうか、このまま……」
 リカルドに同調した他の大貴族も、内心は穏やかではないはずだ。
 いつ気が変わって、領地へ帰ると言い出すか分かったものではない。
 すると、ディリアにとっても困ったことがあるはずだ。
 そこで僕は聞いてみた。
「気にはなりませんか? 北から来る軍勢が」
 何を分かり切ったことを、という顔で、ディリアは答える。
「そのための手紙でしょう? リンド殿への」

 やがて、ディリアの朝礼にリカルドからの報告がもたらされた。
 
 ……北からの軍勢が退却を始めたので、追撃する。

 それを読み上げてみせたディリアは、廷臣のひとりに命じる。
「西北の国への礼状を出します。国王とリンド殿に使者を」
 かつて西北の国からやってきた、見かけは幼いのにやることなすこと老獪な使者は、僕の期待に応えてよくやってくれた。
 国王に働きかけて、兵を動かしたのだ。
 リカルドたちとの戦端が開かれる直前の間を見極めて、大軍を北の国へ接近させる。
 背後を突かれたと思った北の国が兵を返したところで、西北の国は引き上げる。
 その間にリカルドたちは、リントス王国の北の守りを固めることだろう。
 しばらくすれば帰ってくるだろうが、そのときにはまた、リカルドは肩身の狭い思いをすることになる。
 僕はディリアを促した。
「こちらはこちらで国の憂いを除いて、宰相殿を出迎えることにいたしましょう」

 かくして、その宵から「夜の神」を称える祭りが始まった。
 日が沈むと同時に、ちょっと女神コスプレ気味に白いキルトに身を包んだディリアが、城の中から現れる。
 付き従うのは、思い思いの衣装をまとった若い女官たちだ。
 街の中で一斉に歓声が上げるのを尻目に、僕は騎士団とワイルドハント荒ぶる狩人を打ち払うための、最後の戦いへと向かう。
 僕を馬の後ろに乗せたオズワルは言った。
「ダンジョンへ潜る……今夜こそは」
 国中から集まってくる人々がワイルドハントに襲われないよう、騎士団は毎晩のように戦ってきたのだ。
 ダンジョン制圧にしか役に立たない僕は、城に留め置かれていた。
 だが、しなければならないことは、準備万端整っていた。
 それは群れを成して、騎士団の後ろからついてくる。

 こうして、暗闇の中、ワイルドハントたちは思わぬ大軍に出くわすことになった。
 その姿も定かでない、馬上の禍々しい狩人が、足元の凶悪な猟犬を露払いにして突進したときだ。
 いつもは正面から迎え撃つ騎士たちが、左右の両翼に分かれた。 
 ワイルドハントたちを押し包むかに見えたが、そこまでの勢いはない。
 調子に乗って我が物顔に疾走するワイルドハントは、騎士団を真っ二つに分断した。
 だが、罠はそこに仕掛けられていた。
 木々の間に潜んで無数の松明を掲げた大軍が、鼻息も荒く待ち構えていたのだ。
 ワイルドハントたちに向かって、がっしりした身体の闘士の群れが殺到する。
 矢を射る間もなく蹴散らされた異形の者たちは、騎士たちに挟まれて逃げる術もない。
 勝利を確信した僕は、オズワルと共にダンジョンへ向かった。

 三十六計、其の二十九。
 樹上開花《じゅじょうかいか》…たいしたことのないことを、大げさに見せる。
 
  ワイルドハントを殲滅したのは、派手に塗りたくられた国中の牛だった。
 その背中には、何本もの松明を掲げられる櫓が乗せられていた。
 さらに、それが木々の間に潜んでいるかのように偽装したのは、山から切り出してきた枝だ。
 いきなり出現した大軍にたじろいだワイルドハントたちは、騎士たちが次々に仕留めていった。
 ダンジョンはといえば、もぬけの殻だった。
 各層の見張りの騎士たちに聞いても、第28層を守るドワーフのドウニに聞いても、何も起こってはいなかったのだ。
 無人のダンジョンを歩き進みながらオズワルは、怪訝そうに聞いてきたものだ。
「これで……本当に?」
 実をいえば僕も半信半疑だったが、やはりワイルドハントたちが第29層の主だったらしい。
 
 僕が騎士団たちと街へ帰ったのは昼頃だった。
 僕たちを出迎えた魔法使いのレシアスは、持って回った言い方で報告する。
「一夜限りの祭で称えられた方便の神は、とっくに過去のものとなった」
 早い話が、異状なしということだ。
 昼も夜もなく走りまわってきたアンガやロズ、ギルは、いつの間にか姿をくらましていたという。
 学校現場を凌駕するブラック労働環境を切り抜けてきたのだから、ゆっくり休むのは当然の権利だ。
 偽りの祭りのよるを苦々しい思いで過ごしたであろう僧侶のロレンは、僕たちの姿を見るなり、街の人々に告げた。
「見よ、勇者は帰った!」
 体育祭の表彰式で流れるあのBGMの題みたいなことを言う。
 たちまちのうちにオズワルは歓呼の声で迎えられ、凱旋将軍となって城へと見送られた。
 正門で待っていたディリアのねぎらいは充分すぎるものだったが、その分、ちょっと気の毒だったのはリカルドと東西南北の麻雀四家だった。
 街の人たちの自発的な凱旋パレードなどはそうそう何度も起こるものではない。
 外敵を打ち払って帰ってきたというのに、疲れ切った彼らには誰ひとり、見向きもしなかったのだ。
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