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第三十四話(前) 苦肉計《くにくのけい》…自分を傷つけて、相手を信用させます。

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 懐の中の手を引き抜く余裕もないのか、リカルドは背中を丸めてそそくさと大広間から退出していった。
 その背中を見送ることもなく、ディリアは久しぶりの笑顔を僕に向けた。
 夕暮れの光が差し込む大広間で、僕たちはしばし見つめ合った。
 やがて、ディリアが口を開く。
「最後はいつだったでしょう……こんなふうに、私たちだけで言葉を交わすのは」
 僕は首を傾げるしかない。
「さあ……」
 そこで、ディリアは我に返ったように他人行儀な口調で告げた。
「日が沈みます。もうお休みください。お疲れでしょうから」
 こっちも恭しく一礼して下がったが、ディリアの晴れやかな顔を見られたのは、なんだか嬉しかった。
 その晩は夕食も取らずに泥のように眠って、明け方になると、あのパラメータが瞼の裏に浮かぶ。

 〔カリヤ マコト レベル34 16歳 筋力100 知力96 器用度95 耐久度91 精神力92 魅力75〕 
 
 鍛えてもいない筋力がいきなり、ステータスの最大値になっていた。
 朝日の中で自分の腕を眺めてみたが、ぱっと見には変わらない。
 とても2回攻撃などできそうにないが、それを平気でやってのけるオズワルの筋力はいくつあるのだろうか。
 
 そんなことを考えながらディリアの朝礼に出てみた。
 大広間の隅っこから眺めると、ディリアの傍にはオズワルが控えていた。
 ダンジョンの地獄門は破られたが、地上に現れたモンスターたちも掃蕩されたのだろう。
 やがて、居並ぶ廷臣たちや貴族たちの前に、マントのフードで顔を隠したアンガが現れて報告した。
「昼頃まで私たちと戦っていたモンスターたちは突然、消えてなくなりました」
 廷臣たちや貴族たちが、ガヤガヤと何やら意見を交わしはじめる。
 その後ろで黙って控えている僕に、ディリアが声をかけた。
「カリヤ! こちらへ」
 僕は報告のために、その前でひざまずく。
「ダンジョンにある、モンスターを送り込むための大きな魔法の扉を破りましてございます」
 そのうえで述べたのは、次の推測だ。
 
 地獄門を使って、モンスターたちは地上と行き来することができる。
 これが破られると、戻るところがなくなって、消滅するのではないか。
 地獄門は、まだダンジョンの中に幾つもあるという。
 モンスターたちが現れる前に、ことごとく突破しなければならない。

 だが、廷臣たちや貴族たちは、僕の話をろくに聞いてはいなかった。

 ……カストが裏切って、姿をくらましたというではないか。
 ……好機だな。
 ……王笏が本物だと、そのカストも認めておる。

 噂をすれば影という。
 その名前を口にせずとも、暗黙の了解でそれと分かっていた本人が、大広間へと姿を現した。
 カストはもう、付き従ってはいない。
 代わりに姿をを見せたのは、近衛兵の団長だった。
 リカルドが、ディリアの前で恭しく一礼する。
「お預かりしております近衛兵について思うことがありまして、団長とも熟慮いたしましたことをご報告いたします」
 回りくどい物言いだったが、近衛団長がついてきたのには、それで理屈が立つ。
 だが、本当のところは、たぶん違う。
 カストが去り、王笏も本物にされてしまった今、身の安全を確保しなくてはならないのだ。
 だが、そこでリカルドが告げたことは、大広間にいる全員を驚かせた。
「近衛兵団を、より小さくまとめ直します……かような国難の折、王家を守るための近衛兵団に国庫の資金を割くことはいかがなものかと存じますれば」
 後半は、誰も聞いてはいなかったが、それなりに本音を隠してはいた。
 王権の象徴を手に入れたディリアに、従わないわけにもいかない近衛兵団は、せめて規模を縮小しておこうというのだ。
 だが、もっとも大きな衝撃は、その次の一言にあった。
「これをもって、私めは隠居いたします」
 僕らは呆然としたが、途方に暮れたのは近衛兵の団長だった。
 これは打ち合わせになかったのだろう。
 リカルドはというと、晴れやかな顔で、すたすたと大広間を出ていく。
 近衛団長はディリアにふかぶかと一礼すると、足早に後を追った。

 もっとも、僕はそんなことなど気にも留めなかった。
 とっさに立ち上がって、ディリアの顔を廷臣たちや貴族たちから隠す。
 両手で顔を覆う間もないくらいに泣き出しそうだったのだ。
 さんざん苦しめられてきたリカルドが突然、去ると聞かされた安堵のせいだろう。 
 オズワルやアンガまでも置いて、ふたりで大広間の外に出る。
 そこで、ディリアは微かな声で僕に告げた。
「ついてきなさい」
 回廊に控えていた侍女たちが音もなく歩み寄ってくると、背後から目隠しをして僕の手を取った。
 連れて行かれたのは、たぶん、例の隠し部屋になっている寝室だ。
 そこへ僕を押し込んだディリアは、目隠しも取らずにすがりついてきた。
 勢い余って倒れ込んだ先には、ベッドの柔らかい感触がある。
 わあわあと声を上げて泣くディリアの細い背中を撫でていると、急に目隠しが外された。
 涙にぬれた可愛らしい顔が、すぐそこにあった。
 だが、それ以上は何もなかった。
 部屋の隅で、フェレットのマイオがじっと見つめていたからだ。
 潔癖なエルフ、ターニアの分身が。

 そこで侍女が部屋の戸を叩いて、別の目隠しをされた僕は、また城のどこかの庭に放り出された。
 この間はふたりだけの秘密の部屋だったが、侍女が控えていたということは、また別の部屋だったのだろう。
 ディリアも用心深くなったものだが、これも暗殺の危機に遭ったせいなのだろう。
 きょろきょろしていると、後ろから襟首を掴まれた。
 首を後ろに捻ると、オズワルだった。
 その隣で、アンガが短く告げた。
「大物が出たぞ……あっちとこっちで」
 話を聞けば、こういうことだった。

 夕べ、霧の湖に巨大なモンスターが現れたらしい。
 ほとりに住む漁師たちは避難できたらしいが、そのひとりが報せてきたのだ。
 眼は暗闇でらんらんと光り、その姿は言葉にできないほど醜い。
 勇敢な若者たちが船に乗って銛で立ち向かったが、船ごと掴まれて貪り食われそうになり、命からがら泳いで逃げたという。
 たぶん、それは夜に沼地や湖をうろつく怪物、グレンデルだ。
 
 続いては、盗賊で伝令のギルがもたらした情報だった。
 夜明けとともに、リントス王国の周辺を大きな翼で飛び回る二本足の龍が現れたという。
 ワイヴァーンだ。
 夜中には現れなかったということは、日中しか活動できないということなのだろう。

 そこで、僕は考えた。
「つまり、どちらか一方は必ずダンジョンにいる」
 第34層に潜れば、そこには必ず地獄門がある。
 たぶん、ふたつ。
 戻ってきているほうを、ひとつずつ倒していけばいいのだ。
 だが、地上にいるモンスターを放っておくわけにはいかない。
 夜に徘徊する邪悪なグレンデルは、僧侶のロレンなら抑えられるだろう。実力行使なら、悪党のロズと盗賊のギルだ。
 空を飛ぶワイヴァーンには、レシアスの魔法で対抗するしかない。アンガの俊敏さも役に立つだろう。
 そして何よりも、龍と戦うのは騎士団と相場が決まっている。オズワルの力を借りるほかない。
 さらに欠かせないのは、強力な飛び道具……そう、近衛兵団の大砲だ。
 
 オズワルを通じて近衛団長に大砲と砲兵の動員を頼んでみたが、兵団の再編成中を理由に体よく断られてしまった。
 仕方なく、ディリアにも取り次いでもらうことにする。
 すぐにディリアは、フェレットのマイオを連れて大広間に現れた。
 開口一番、尋ねられたのはこれだ。
「ひとりでダンジョンに潜るのですか?」
 答えに詰まった。
 カストにハメられて逃げ去った闇エルフのエドマは、また地獄門を守っているだろう。
 それを、ターニアは放っておかないはずだ。
 だが、その助けをあてにしているとは言えない。
 嘘をつくかどうかという一瞬の迷いを、ディリアは見抜いていたらしい。
 無言で大広間を出ていく背中へ顔を出したマイオの目は、こう言っていた。

 ……自分で何とかしなさい。

 ベッドで泣きじゃくるディリアの背中を撫でたのは、ターニア的にはアウトだったらしい。

 ダンジョンへ向かう武装を整えて、僕は城門へと向かった。
 警備の騎士の交代と共に、その馬に乗せてもらうためだ。
 その集合を待っていると、背後に立つ者があった。
 胸甲と背甲を装着してはいるが、その隙間にぐいと押し当てられた刃物がある。
 たぶん、スクラマサックスと呼ばれる戦闘用の小刀だ。
 大声を上げれば、命はない。
 囁き声で尋ねてみた。
「……誰?」
「心配するな、近衛兵団の者だ」 
 若い声だった。
「再編成中だろ……こんなことしてもいいのか」
 たしなめる言葉は、すっぱりと切って捨てられた。
「宰相殿の近衛兵だからな」
 つまり、リストラされて、リカルドに拾われたということだ。
 何が隠居だ、とは思ったが、抵抗はしないことにした。
 リカルドの手下に屈したわけではない。
 頭の中で閃いた、三十六枚のカードの中の1枚がくるりと回るイメージに従ったまでだ。

 三十六計、その三十四。
 苦肉計くにくのけい…自分を傷つけて、相手を信用させる。
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