婚約を破棄されたら金蔓と結婚することになってしまいました。

豆狸

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第六話 愛していた少女

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 声をかけてきたのはクェアダのほうからだった。
 ロナウドは南部貴族派の筆頭ブラガ侯爵家の跡取りなのだから、同じ派閥の男爵令嬢が挨拶に来るのはおかしなことではない。
 王国の東を塞ぐ山脈を覆う雪と同じ銀色の髪で、美しいが少し冷たい印象のあるジュリアナよりも自分と同じ金髪で緑色の瞳を輝かせるクェアダのほうが愛らしいと感じたのを覚えている。彼女の髪や制服がボロボロになっていることに気づいてからは、心配で心配で、その気持ちがいつしか愛情に変わっていた。

 婚約破棄の翌日、ロナウドは学園に登校していた。
 ペリゴ男爵家の捕縛は内密に進められていて、男爵領自体が封鎖されている状態だ。
 国内の混乱を防ぐため、すべてを明らかにするのは学園の卒業式が終わってからだと聞いている。ほかの地域にいるであろう関係者を捕まえるためでもある。男爵家は南部の他領だけでなく、ほかの派閥の領地へも人攫いの手を伸ばしていたらしい。

 男爵令嬢のクェアダにはなにも伝えられていないという。
 彼女は実家の罪に連座はさせられないものの、権利も受け継がないので平民となるのだ。
 ロナウドは父に、好きにしろ、と言われていた。学園卒業後すぐに、ロナウドはブラガ侯爵家から放逐される。王命の婚約を勝手に破棄したのだから当然だ。

 その後のことは知らないから、クェアダとふたり平民として生きていけば良いと吐き捨てるように言われたのは、父からの恩情だったのだろう。
 十年前の祖父の所業をこのまま隠し通せたとしても、ブラガ侯爵家は今回の件での南部貴族派筆頭としての責任からは逃げられない。
 どちらにしろロナウドは貴族ではなくなる。それでも放逐されることで実家とは無関係だと言えたなら、少しは周囲の視線も和らぐに違いない。

 とはいえ、それからどうやって生きて行けば良いのか、ロナウドにはまだわからなかった。
 卒業までの半年は長いようで短い。
 クェアダに実家のことは教えないよう言われているので、今朝の馬車の中は沈黙が支配していた。ロナウドにも秘密は守れるくらいの知能はあると父は思ってくれたのだ。学園に入学した最初の数ヶ月間、ジュリアナと登校していたころは南部の未来を夢見て、どんなに語っても言葉が足りないような気がしていたのを今ごろになって思い出した。

 ──昼休み。いつのころからかジュリアナの存在を忘れてクェアダやマノエルと過ごしていたロナウドは、今日はふたりに断って学園の裏庭へ来ていた。
 ひとりになって頭を冷やしたかったのだ。
 まだ捜査は始まったばかりだが、南部貴族派の中にペリゴ男爵家の仲間がいるのではないかと言われているようだ。男爵領に隣り合ったピント子爵家はその可能性が高い。もちろんピント子爵子息のマノエルにもそれを教えることは出来ない。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「この役立たず!」

 罵声とだれかが叩かれる音で目が覚めた。
 父のブラガ侯爵に聞かされたことが衝撃的過ぎて、ロナウドは昨夜眠ることが出来なかったのだ。
 そのせいか裏庭の草むらで横になると同時に眠ってしまっていた。午後の授業が始まっていないと良いのだが、と思いながら、声のしたほうを見る。卒業後平民になるにしても知識は役に立つものだ。

「……っ」

 裏庭の木々に隠れて向こう側の光景を見て、ロナウドは口から零れそうになった叫びを必死で飲み込んだ。
 そこではクェアダがほかの南部貴族派の令嬢達に取り囲まれていた。
 先ほどの罵声と音は伯爵令嬢が放ったもののようだ。彼女達の声が聞こえてくる。

「なにやってるのよ! ロナウド様に婚約破棄までさせてどうするの? あんたの実家のせいで南部全体の信用が落ちてるのはわかってるでしょ? ジュリアナを逃がしたら東部からの支援を受けられないじゃない!」
「次の夜会のときのドレスに東部が開発した、あの星を散りばめたような生地を使うことも出来ませんわ」
「ジュリアナが東部から持ち込んで、残りの生地を自由に使ってもいいと仕立て屋に許していたから、私達南部貴族もあの生地でドレスが作れていたのよ?」

 それはジュリアナによる南部の困窮を隠すための行動の一環だった。
 中央派や西部派、東部派であっても一部の高位貴族しか使えない新しい生地を南部貴族派が纏うことで、余裕があるように見せていたのだ。
 当然、ロナウドとジュリアナの婚約が破棄された後にまでおこなう必要はない。

「……い、言われた通りにしただけよ!」

 叩かれた頬も赤く痛々しいクェアダが、南部貴族派の令嬢達を睨みつけた。

「アンタ達がロナウド様を誘惑しろっていうから、虐めの犯人はジュリアナだって言えっていうから、その通りにしただけじゃない」
「そんな口を利ける立場だと思ってるの?」

 伯爵令嬢が再びクェアダを叩く。
 卒業したら平民になるとはいえ今のロナウドはブラガ侯爵家の子息だ。
 目の前で傷つけられている女性を助けないなんて、誇り高い貴族男性の行為ではない。そう思いながらもロナウドは動けなかった。硬直したロナウドの前で、伯爵令嬢が言葉を続ける。

「はは、あんたみたいなのがブラガ侯爵夫人になるなんてね。初夜の晩にあんたが処女じゃないと知ったら、ロナウド様はさぞ驚かれるでしょうね」

 この王国に限らず貴族女性の貞節は重視される。
 貴族家が何代にも渡って蓄えた財産を縁もゆかりもない人間に奪われるのを防ぐためだ。
 平民だって、自分が命懸けで稼いだ財産を不義の子に奪われたいとは思わない。

「ああ、それもジュリアナのせいにしちゃいなさいよ。あの女がならず者でも差し向けたことにして。ロナウド様はあんたのお相手のピント子爵子息のことも気に入ってるから、きっと疑ったりしないわ」

 ロナウド以外の南部貴族派の多くは南部貴族派の中で婚約者を決めている。
 しかしピント子爵子息マノエルは違った。
 現当主でありマノエルの父親であるピント子爵自らが、中央貴族派との婚約を決めたのだ。自分も東部貴族派のジュリアナとの婚約を破棄した身でありながら、マノエルの不貞によって南部貴族派と中央貴族派の仲に亀裂が走ることをロナウドは案じた。

「ア、アタシはっ! 本当ならマノエルと婚約していたのよ!」
「ピント子爵家との婚約の話がなくなったのは、あんたの実家のせいでしょ? だからって放課後の教室で乳繰り合うなんて、さすが犯罪者の娘は違うわね!」
「アタシとマノエルの情事を目撃したからって、脅してロナウド様を誘惑させたアンタ達だって犯罪者じゃない!」

 ロナウドはその場を去った。
 貴族男性としてあるまじき行為だったとわかっている。
 わかってはいたけれど、心が目の前の光景を受け入れることを拒んだのだ。そこにいたのは、確かに昨日までは愛していた少女だったはずなのに。
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