3 / 8
第三話 甘く染み込む毒のように
しおりを挟む
この王国の王太子の婚約者は、国王の情婦と呼ばれている。
十五歳の夜会の後、学園の入学式よりも前に、グレコ公爵令嬢は王宮に居を移した。
異母妹に夢中な婚約者に見切りをつけて国王に乗り換えたのだと噂されている。
むしろ王子エドアルドとの婚約を解消せず、情婦と蔑まれるような状況に甘んじていることを不思議がられていた。
叔母に当たる先代公爵の庶子、前の王妃はもう亡くなっている。
もとから婚約者を嫌っていたエドアルドが婚約解消を嫌がるはずもない。婚約者を父に譲る代償は、王太子として認められただけで十分だろうとみなは言う。
王太子としては受け入れていたものの、エドアルドが国王になることはだれも望んでいなかった。
レオーネ公爵家の血筋が王家に戻るのを妨げた前の王妃は今も国民に憎まれている。王妃が産んだ王子も愛されてはいない。
炎の獅子と呼ばれた建国王の正しい血筋が早く王家へ戻って欲しい、それが国民の総意だった。三年制の学園をもうすぐ卒業したならば、グレコ公爵令嬢は正式に国王に嫁ぐのだろうと、だれもが思っていた。
「おはようございます」
「おはよう」
「今日もお美しくていらっしゃいますね」
「ありがとう。貴方も凛々しくてよ」
左右に学園生が並んで出来た道の中央を、侍女のバンビだけを従えたグレコ公爵令嬢が女王のように威風堂々と歩いていく。
だれもが取り巻きになりたがっているのだが、彼女はひとつの派閥に囚われることを望まない。
それこそが女王の資質、正しい王家の血筋の証だと、信奉者達の思慕はさらに燃え上がっていた。彼女が学園を卒業して王家へ入ったら、これまでの派閥はすべて女王派に統合されるのではないかと囁かれるほどだ。
「……おはよう、婚約者殿」
「おはようございます、婚約者様。ああ、それとサタナも」
「……おはようございます」
王宮で暮らすグレコ公爵令嬢が異母妹サタナと顔を合わせる機会は少ない。
学園内でどんなにエドアルド王太子と睦み合っていても、グレコ公爵令嬢が異母妹を振り向くことはなかった。
こうして挨拶をしたときに琥珀の視線が投げかけられるだけだ。アンタなんかお父様に愛されてないくせに、という負け惜しみがサタナの心に浮かぶのは異母姉がいなくなった後で、自分が彼女の瞳に映る瞬間はたとえようもない幸福感が彼女を包んでいるのだった。
(私の婚約者なのに……)
愛憎の入り混じった瞳で立ち去る異母姉の背中を見つめるサタナは、隣にいる恋人のはずのエドアルドがなにを考えているかを想像することはなかった。
自分と同じようにグレコ公爵令嬢を見送る王子の瞳に宿る恋慕の情にも気づいていない。
エドアルドは婚約者を愛していた。初めて会ったときから、ずっと。
(私の婚約者なのに、なぜ彼女は父上と……)
王子はそれほど莫迦ではなかった。
自分が悪いこともわかっていた。
でも、だけど、と思ってしまうのだ。
(母上がおっしゃったんだ。母上がお亡くなりになるのは、少し前に死んだグレコ公爵夫人の呪いだと。父上を奪われた恨みを晴らそうとしているのだと。だから彼女は、私の婚約者は仇の娘なのだと、けして愛してはいけないのだと)
でも、だけど、エドアルドは彼女を愛さずにはいられなかった。
燃え上がる炎のように赤い髪も琥珀の瞳も、エドアルドの胸に火を点けた。
必死で憎悪を滾らせて睨みつけることしか出来なかった。サタナに夢中な振りをしていても瞳が追うのは婚約者だった。蘇るあの日の記憶の中は彼女の面影で占められていた。
「……エドアルド、そろそろ教室へ行きましょうよ」
「ああ、そうだな」
エドアルド達とグレコ公爵令嬢の教室は違う。父王の関与があったのか、高位の要人を同じ教室に集める危険性を減じるためだったのかはわからない。
立ち去ったグレコ公爵令嬢の姿を胸に焼き付ける。
甘く染み込む毒のように、婚約者の存在はエドアルドに染み渡り彼を虜にしていた。
十五歳の夜会の後、学園の入学式よりも前に、グレコ公爵令嬢は王宮に居を移した。
異母妹に夢中な婚約者に見切りをつけて国王に乗り換えたのだと噂されている。
むしろ王子エドアルドとの婚約を解消せず、情婦と蔑まれるような状況に甘んじていることを不思議がられていた。
叔母に当たる先代公爵の庶子、前の王妃はもう亡くなっている。
もとから婚約者を嫌っていたエドアルドが婚約解消を嫌がるはずもない。婚約者を父に譲る代償は、王太子として認められただけで十分だろうとみなは言う。
王太子としては受け入れていたものの、エドアルドが国王になることはだれも望んでいなかった。
レオーネ公爵家の血筋が王家に戻るのを妨げた前の王妃は今も国民に憎まれている。王妃が産んだ王子も愛されてはいない。
炎の獅子と呼ばれた建国王の正しい血筋が早く王家へ戻って欲しい、それが国民の総意だった。三年制の学園をもうすぐ卒業したならば、グレコ公爵令嬢は正式に国王に嫁ぐのだろうと、だれもが思っていた。
「おはようございます」
「おはよう」
「今日もお美しくていらっしゃいますね」
「ありがとう。貴方も凛々しくてよ」
左右に学園生が並んで出来た道の中央を、侍女のバンビだけを従えたグレコ公爵令嬢が女王のように威風堂々と歩いていく。
だれもが取り巻きになりたがっているのだが、彼女はひとつの派閥に囚われることを望まない。
それこそが女王の資質、正しい王家の血筋の証だと、信奉者達の思慕はさらに燃え上がっていた。彼女が学園を卒業して王家へ入ったら、これまでの派閥はすべて女王派に統合されるのではないかと囁かれるほどだ。
「……おはよう、婚約者殿」
「おはようございます、婚約者様。ああ、それとサタナも」
「……おはようございます」
王宮で暮らすグレコ公爵令嬢が異母妹サタナと顔を合わせる機会は少ない。
学園内でどんなにエドアルド王太子と睦み合っていても、グレコ公爵令嬢が異母妹を振り向くことはなかった。
こうして挨拶をしたときに琥珀の視線が投げかけられるだけだ。アンタなんかお父様に愛されてないくせに、という負け惜しみがサタナの心に浮かぶのは異母姉がいなくなった後で、自分が彼女の瞳に映る瞬間はたとえようもない幸福感が彼女を包んでいるのだった。
(私の婚約者なのに……)
愛憎の入り混じった瞳で立ち去る異母姉の背中を見つめるサタナは、隣にいる恋人のはずのエドアルドがなにを考えているかを想像することはなかった。
自分と同じようにグレコ公爵令嬢を見送る王子の瞳に宿る恋慕の情にも気づいていない。
エドアルドは婚約者を愛していた。初めて会ったときから、ずっと。
(私の婚約者なのに、なぜ彼女は父上と……)
王子はそれほど莫迦ではなかった。
自分が悪いこともわかっていた。
でも、だけど、と思ってしまうのだ。
(母上がおっしゃったんだ。母上がお亡くなりになるのは、少し前に死んだグレコ公爵夫人の呪いだと。父上を奪われた恨みを晴らそうとしているのだと。だから彼女は、私の婚約者は仇の娘なのだと、けして愛してはいけないのだと)
でも、だけど、エドアルドは彼女を愛さずにはいられなかった。
燃え上がる炎のように赤い髪も琥珀の瞳も、エドアルドの胸に火を点けた。
必死で憎悪を滾らせて睨みつけることしか出来なかった。サタナに夢中な振りをしていても瞳が追うのは婚約者だった。蘇るあの日の記憶の中は彼女の面影で占められていた。
「……エドアルド、そろそろ教室へ行きましょうよ」
「ああ、そうだな」
エドアルド達とグレコ公爵令嬢の教室は違う。父王の関与があったのか、高位の要人を同じ教室に集める危険性を減じるためだったのかはわからない。
立ち去ったグレコ公爵令嬢の姿を胸に焼き付ける。
甘く染み込む毒のように、婚約者の存在はエドアルドに染み渡り彼を虜にしていた。
311
あなたにおすすめの小説
愛のゆくえ【完結】
春の小径
恋愛
私、あなたが好きでした
ですが、告白した私にあなたは言いました
「妹にしか思えない」
私は幼馴染みと婚約しました
それなのに、あなたはなぜ今になって私にプロポーズするのですか?
☆12時30分より1時間更新
(6月1日0時30分 完結)
こう言う話はサクッと完結してから読みたいですよね?
……違う?
とりあえず13日後ではなく13時間で完結させてみました。
他社でも公開
君に愛は囁けない
しーしび
恋愛
姉が亡くなり、かつて姉の婚約者だったジルベールと婚約したセシル。
彼は社交界で引く手数多の美しい青年で、令嬢たちはこぞって彼に夢中。
愛らしいと噂の公爵令嬢だって彼への好意を隠そうとはしない。
けれど、彼はセシルに愛を囁く事はない。
セシルも彼に愛を囁けない。
だから、セシルは決めた。
*****
※ゆるゆる設定
※誤字脱字を何故か見つけられない病なので、ご容赦ください。努力はします。
※日本語の勘違いもよくあります。方言もよく分かっていない田舎っぺです。
【完結】断罪された悪役令嬢は、全てを捨てる事にした
miniko
恋愛
悪役令嬢に生まれ変わったのだと気付いた時、私は既に王太子の婚約者になった後だった。
婚約回避は手遅れだったが、思いの外、彼と円満な関係を築く。
(ゲーム通りになるとは限らないのかも)
・・・とか思ってたら、学園入学後に状況は激変。
周囲に疎まれる様になり、まんまと卒業パーティーで断罪&婚約破棄のテンプレ展開。
馬鹿馬鹿しい。こんな国、こっちから捨ててやろう。
冤罪を晴らして、意気揚々と単身で出国しようとするのだが、ある人物に捕まって・・・。
強制力と言う名の運命に翻弄される私は、幸せになれるのか!?
※感想欄はネタバレあり/なし の振り分けをしていません。本編より先にお読みになる場合はご注意ください。
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
(完結)私が貴方から卒業する時
青空一夏
恋愛
私はペシオ公爵家のソレンヌ。ランディ・ヴァレリアン第2王子は私の婚約者だ。彼に幼い頃慰めてもらった思い出がある私はずっと恋をしていたわ。
だから、ランディ様に相応しくなれるよう努力してきたの。でもね、彼は・・・・・・
※なんちゃって西洋風異世界。現代的な表現や機器、お料理などでてくる可能性あり。史実には全く基づいておりません。
あなたは愛を誓えますか?
縁 遊
恋愛
婚約者と結婚する未来を疑ったことなんて今まで無かった。
だけど、結婚式当日まで私と会話しようとしない婚約者に神様の前で愛は誓えないと思ってしまったのです。
皆さんはこんな感じでも結婚されているんでしょうか?
でも、実は婚約者にも愛を囁けない理由があったのです。
これはすれ違い愛の物語です。
婚約破棄は踊り続ける
お好み焼き
恋愛
聖女が現れたことによりルベデルカ公爵令嬢はルーベルバッハ王太子殿下との婚約を白紙にされた。だがその半年後、ルーベルバッハが訪れてきてこう言った。
「聖女は王太子妃じゃなく神の花嫁となる道を選んだよ。頼むから結婚しておくれよ」
婚約破棄は嘘だった、ですか…?
基本二度寝
恋愛
「君とは婚約破棄をする!」
婚約者ははっきり宣言しました。
「…かしこまりました」
爵位の高い相手から望まれた婚約で、此方には拒否することはできませんでした。
そして、婚約の破棄も拒否はできませんでした。
※エイプリルフール過ぎてあげるヤツ
※少しだけ続けました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる