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18・賢者な家庭教師はいりません!③
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「……おぬしがラヴァンダか」
初めて出会ったお爺さま、エルフの森の長は、いかにもな老人だった。
長い銀髪と、同じ色の長いアゴヒゲ、瞳は紫で魔光ははっきりしないから、魔力自体はあまり強くないのだろう。
色褪せたローブを纏い、捻じ曲がった木の杖を握っている。
ローブの裾は長く、床で引きずっていた。
長の家系というのもあるけれど、弱い魔力でその地位にあるのは、それ以外のことに長けているからだ。
エルフの森が完全にヴェルデ王国から独立した治外法権となったのは、彼の治世になってからだと言われている。
端正な顔立ちだが皺だらけで、人間の老人と変わらなく見えた。
百年連れ添った愛妻、わたしのお婆さまを亡くして一気に老け込んだらしい。
まあ百歳を越えているのだから、多少は老けてくれなくては困るわよね。
集落に入ってからすれ違うエルフのみなさんは、明らかに小さな子ども以外は年齢がわからない。
十代にしか見えないエルフ女性に、母さまが最敬礼してたりするんだもの。
単に怖い女性なだけだったりして。
お揃いのドレスを着たきゅーちゃん、ひよこのぬいぐるみに宿った使い魔の妖魔を抱きしめて、わたしは頷いた。
ここはエルフの長の、お爺さまの家。
木材とレンガで造られた家は小さく素朴で、大公邸の庭師の小屋と変わらない。
小屋と違うのは玄関を入ってすぐの居間以外にも、壁の扉から行ける部屋がいくつかありそうなことくらいだ。
なんて言いながら、庭師の小屋に入ったことはないのだけれどね。
「そうか……大公殿」
お爺さまは、わたしの隣に立つ父さまに目を向ける。
ふたりして森ではしゃぎながらやって来たのに、父さまも母さまも息を乱していない。
あ、でも父さまの上げていた前髪がパラリと落ちて汗で額に張りついているから、さっきの競争は母さまの勝ちなのかしら。
お爺さまは重々しく言葉を続けた。
「私をたばかりましたな」
「義父上?」
えっ、どういうこと?
父さまが顔色を変え、わたしも息を呑んだ。
背後に立つリートとテーディオも緊張している。
だけど父さまとは逆の隣に立っている母さまとウルラートは平然としているから、大したことではないの?
わたしはお爺さまの言葉を待った。
ドン、と杖の先で床を打ち、お爺さまは叫んだ。
「この愛らしいラヴァンダがおぬしにそっくりだなどと! どこからどう見てもラディーチェに瓜ふたつではないか!」
……ううん。
お爺さま、わたしは父さま似です。
エルフは魔力で相手を見るというから、魔力で見ると母さま似なのかしら。
お爺さまはあまり、魔力が強くないみたいなのになあ。
父さまは眉を吊り上げ、お爺さまに向けて一歩踏み出した。
薄い唇を開く。
「だろう? 俺もそう思うぜ。なのにあんたに報告の手紙を書いたとき、ラディーチェ似だと書こうとしたら秘書官に止められたんだ。期待させてから落胆させると怒りが大きいとかなんとか……ワケわかんねぇぜ! ラヴァンダはこんなにラディーチェそっくりなのによっ!」
わたしは、そっと母さまに寄り添った。
小声で尋ねる。
「……母さまはどうお思いですか?」
「……あなたはアルベロそっくりで、世界で一番可愛いですよ」
あ、これも信用できない意見だ。
要するに父さまと母さまはお互いが大好きで、だから娘も相手そっくりに見えているんだわ。
皺に覆われたお爺さまの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ああっ! こんなことなら長の座などだれかに譲り渡して、さっさと王都へ移住していれば良かったっ!」
「お父さま、この森で損得勘定ができるエルフはお父さまだけです。お父さまがいなくなったら、あっという間に出入りの商人に森が丸裸にされてしまいますわ」
「道具屋は計算ができるであろう!」
「一軒の店を越えた集落すべての損益は計算できないでしょう。エルフは不老長寿で魔力が強いため恋愛以外の執着心が薄いものです。本人は損をしても気にしないでしょうが、それがゆくゆくはエルフ全体や世界に被害を及ぼすようなことになるかもしれません」
聞いたことがある。
エルフの集落を囲む森を禁猟区にしたのはヴェルデ王家だと。
モンスター狩りにかこつけて集落を襲うようなバカや彼らを撃退したことを理由にエルフを貶めようとするバカなんか、エルフは全然気にしなかったのよね。
でも英断だと思う。
放置しておけば、人間とエルフの間の溝が深まるだけだもの。
母さまに諭されて、お爺さまはしょぼんとうな垂れた。
「……孫と暮らしたい」
「また遊びに連れてきます。賢者さまが家庭教師になってくださったら、あの方が森を出られるようになるまでは通わなくてはなりませんし」
「賢者か……」
顔色を曇らせるお爺さまを見て、父さまがイタズラっ子の笑みを浮かべた。
さっきの興奮が収まったのか、口調が大公らしくなる。
「大丈夫だ、義父上。ラヴァンダもラディーチェも初恋相手は俺なんだ。賢者なんぞに心奪われるようなことはない」
「グ、グリーチネだとて、本当の恋をしたのは私にだけだ!」
グリーチネ、確かお婆さまのお名前だわ。
お婆さまの初恋相手は銀の賢者だったみたいね。
でも父さま……父さまと結婚したいと言ったのは母さまの本音を引き出すためで、べつにわたし父さまが初恋ってわけではないのだけれど。
ううん、それは言わないほうが花というものね。
わたしはお爺さまに近づいて、呼びかけた。
「お爺さま」
「おうおう、なんじゃラヴァンダ」
「わたしの使い魔が妖魔だということ、怒ってはいらっしゃいませんか?」
「なにを怒る必要があろうか。妖魔が可愛い可愛いラヴァンダに魅了されて魔神を裏切るのは当然のこと、世界の常識じゃ」
「そ、そうですか。ありがとうございます。それと、あの……」
目を糸のように細めているお爺さまから顔を逸らし、わたしは背後のリートを振り向いた。
「ドライアドの灰の中毒患者を治療する方法は、あるのでしょうか」
「ああ、あるぞ。邪悪なモンスターが今より活発に動き回っていたころ、対応するための魔力を求めてドライアドの灰を服用して中毒になるものが多かったのじゃ。当時研究されて確立した治療法がある。それが知られると簡単に手を出すものが増えて治療法も間に合わないくらい中毒患者が出るかもしれないと、ヴェルデ王家に秘匿するよう言われているがな」
「……そんな大事なものを明かしてもらっていいのでしょうか」
不安げなリートの言葉に、お爺さまは微笑んだ。
「この私が最愛の孫の友達のために便宜を図れないようなエルフだとは思わないでほしい。そもそも王家から要請が来ているのじゃよ。国王陛下のときには症状が進み過ぎていて役に立てなかったが、今の被害者の状態なら大丈夫だろう。……ただ……」
そこで、お爺さまは複雑そうな顔になった。
ドライアドの灰の中毒患者を治療する方法は紙などに記されておらず、魔神の核を封じた影響で千年を越えて生き続ける銀の賢者の頭の中にのみ刻まれているのだという。
初めて出会ったお爺さま、エルフの森の長は、いかにもな老人だった。
長い銀髪と、同じ色の長いアゴヒゲ、瞳は紫で魔光ははっきりしないから、魔力自体はあまり強くないのだろう。
色褪せたローブを纏い、捻じ曲がった木の杖を握っている。
ローブの裾は長く、床で引きずっていた。
長の家系というのもあるけれど、弱い魔力でその地位にあるのは、それ以外のことに長けているからだ。
エルフの森が完全にヴェルデ王国から独立した治外法権となったのは、彼の治世になってからだと言われている。
端正な顔立ちだが皺だらけで、人間の老人と変わらなく見えた。
百年連れ添った愛妻、わたしのお婆さまを亡くして一気に老け込んだらしい。
まあ百歳を越えているのだから、多少は老けてくれなくては困るわよね。
集落に入ってからすれ違うエルフのみなさんは、明らかに小さな子ども以外は年齢がわからない。
十代にしか見えないエルフ女性に、母さまが最敬礼してたりするんだもの。
単に怖い女性なだけだったりして。
お揃いのドレスを着たきゅーちゃん、ひよこのぬいぐるみに宿った使い魔の妖魔を抱きしめて、わたしは頷いた。
ここはエルフの長の、お爺さまの家。
木材とレンガで造られた家は小さく素朴で、大公邸の庭師の小屋と変わらない。
小屋と違うのは玄関を入ってすぐの居間以外にも、壁の扉から行ける部屋がいくつかありそうなことくらいだ。
なんて言いながら、庭師の小屋に入ったことはないのだけれどね。
「そうか……大公殿」
お爺さまは、わたしの隣に立つ父さまに目を向ける。
ふたりして森ではしゃぎながらやって来たのに、父さまも母さまも息を乱していない。
あ、でも父さまの上げていた前髪がパラリと落ちて汗で額に張りついているから、さっきの競争は母さまの勝ちなのかしら。
お爺さまは重々しく言葉を続けた。
「私をたばかりましたな」
「義父上?」
えっ、どういうこと?
父さまが顔色を変え、わたしも息を呑んだ。
背後に立つリートとテーディオも緊張している。
だけど父さまとは逆の隣に立っている母さまとウルラートは平然としているから、大したことではないの?
わたしはお爺さまの言葉を待った。
ドン、と杖の先で床を打ち、お爺さまは叫んだ。
「この愛らしいラヴァンダがおぬしにそっくりだなどと! どこからどう見てもラディーチェに瓜ふたつではないか!」
……ううん。
お爺さま、わたしは父さま似です。
エルフは魔力で相手を見るというから、魔力で見ると母さま似なのかしら。
お爺さまはあまり、魔力が強くないみたいなのになあ。
父さまは眉を吊り上げ、お爺さまに向けて一歩踏み出した。
薄い唇を開く。
「だろう? 俺もそう思うぜ。なのにあんたに報告の手紙を書いたとき、ラディーチェ似だと書こうとしたら秘書官に止められたんだ。期待させてから落胆させると怒りが大きいとかなんとか……ワケわかんねぇぜ! ラヴァンダはこんなにラディーチェそっくりなのによっ!」
わたしは、そっと母さまに寄り添った。
小声で尋ねる。
「……母さまはどうお思いですか?」
「……あなたはアルベロそっくりで、世界で一番可愛いですよ」
あ、これも信用できない意見だ。
要するに父さまと母さまはお互いが大好きで、だから娘も相手そっくりに見えているんだわ。
皺に覆われたお爺さまの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ああっ! こんなことなら長の座などだれかに譲り渡して、さっさと王都へ移住していれば良かったっ!」
「お父さま、この森で損得勘定ができるエルフはお父さまだけです。お父さまがいなくなったら、あっという間に出入りの商人に森が丸裸にされてしまいますわ」
「道具屋は計算ができるであろう!」
「一軒の店を越えた集落すべての損益は計算できないでしょう。エルフは不老長寿で魔力が強いため恋愛以外の執着心が薄いものです。本人は損をしても気にしないでしょうが、それがゆくゆくはエルフ全体や世界に被害を及ぼすようなことになるかもしれません」
聞いたことがある。
エルフの集落を囲む森を禁猟区にしたのはヴェルデ王家だと。
モンスター狩りにかこつけて集落を襲うようなバカや彼らを撃退したことを理由にエルフを貶めようとするバカなんか、エルフは全然気にしなかったのよね。
でも英断だと思う。
放置しておけば、人間とエルフの間の溝が深まるだけだもの。
母さまに諭されて、お爺さまはしょぼんとうな垂れた。
「……孫と暮らしたい」
「また遊びに連れてきます。賢者さまが家庭教師になってくださったら、あの方が森を出られるようになるまでは通わなくてはなりませんし」
「賢者か……」
顔色を曇らせるお爺さまを見て、父さまがイタズラっ子の笑みを浮かべた。
さっきの興奮が収まったのか、口調が大公らしくなる。
「大丈夫だ、義父上。ラヴァンダもラディーチェも初恋相手は俺なんだ。賢者なんぞに心奪われるようなことはない」
「グ、グリーチネだとて、本当の恋をしたのは私にだけだ!」
グリーチネ、確かお婆さまのお名前だわ。
お婆さまの初恋相手は銀の賢者だったみたいね。
でも父さま……父さまと結婚したいと言ったのは母さまの本音を引き出すためで、べつにわたし父さまが初恋ってわけではないのだけれど。
ううん、それは言わないほうが花というものね。
わたしはお爺さまに近づいて、呼びかけた。
「お爺さま」
「おうおう、なんじゃラヴァンダ」
「わたしの使い魔が妖魔だということ、怒ってはいらっしゃいませんか?」
「なにを怒る必要があろうか。妖魔が可愛い可愛いラヴァンダに魅了されて魔神を裏切るのは当然のこと、世界の常識じゃ」
「そ、そうですか。ありがとうございます。それと、あの……」
目を糸のように細めているお爺さまから顔を逸らし、わたしは背後のリートを振り向いた。
「ドライアドの灰の中毒患者を治療する方法は、あるのでしょうか」
「ああ、あるぞ。邪悪なモンスターが今より活発に動き回っていたころ、対応するための魔力を求めてドライアドの灰を服用して中毒になるものが多かったのじゃ。当時研究されて確立した治療法がある。それが知られると簡単に手を出すものが増えて治療法も間に合わないくらい中毒患者が出るかもしれないと、ヴェルデ王家に秘匿するよう言われているがな」
「……そんな大事なものを明かしてもらっていいのでしょうか」
不安げなリートの言葉に、お爺さまは微笑んだ。
「この私が最愛の孫の友達のために便宜を図れないようなエルフだとは思わないでほしい。そもそも王家から要請が来ているのじゃよ。国王陛下のときには症状が進み過ぎていて役に立てなかったが、今の被害者の状態なら大丈夫だろう。……ただ……」
そこで、お爺さまは複雑そうな顔になった。
ドライアドの灰の中毒患者を治療する方法は紙などに記されておらず、魔神の核を封じた影響で千年を越えて生き続ける銀の賢者の頭の中にのみ刻まれているのだという。
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