リンデンヴェール〜乙女は吸血鬼から求愛される〜

城間ようこ

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後日譚〜今日があり、明日へ〜④

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朝食のヨーグルトは癖のない味わいの蜂蜜がヨーグルトの酸味を和らげて爽やかなものにしていて、ベリーの甘酸っぱさと食感がアクセントになっていた。バケットは香ばしくて適度な塩味が食欲をそそり、カフェオレはコーヒーの豆が挽きたてらしくコーヒー特有の香りが華やかに口内を満たし鼻腔を抜けて、ミルクのまろやかな甘みが最後に余韻をもたらした。

それらを美矢乃さまと隣に並んで頂き、「一般人向けの朝食というものも、なかなか良いものね。頂きやすくて優しいわ。これならば、いくらでも頂けそうよ。特に普段にない特別な朝食だと思うと……この吸血鬼コースの食堂で千香と仲良く頂いているのよ、美味しさもひとしおというものだわ、千香は──こうしてきちんと頂いてくれているなら、味も大丈夫なようね。よかったわ」と、ひと口ずつ大切に味わいながら語らう美矢乃さまの幸せそうなお声を聞いて──私にとっての食べやすさと身体への優しさが考慮された朝食だと、つくづく実感していた。美矢乃さまは私をどれほどまでに慈しんで下さるのだろう。限りが見えなくて、美矢乃さまという美しい海に生きる一尾の魚になった気分だ。もっとも、この気持ちは美矢乃さまの想いを受け容れてから、折に触れて味わってきているけれど──味わう度に、自分のなかの生命の息吹を感じるのだ。

「本当に美味しいです。ありがとうございます、美矢乃さま。美矢乃さまには物足りなくはありませんか?」

「まあ、私ならば大丈夫よ。千香と共に食事をしているというのに、満たされない訳がないわ。それにね、心から楽しんでもいるのよ。なんて新鮮なシチュエーションかしら……この時が永遠に続いて欲しいくらいよ」

そう仰って微笑む美矢乃さまは偽りなく幸せそうだ。私は食事をしている束の間、昨夜の悪夢を忘れる事が出来た。美矢乃さまとの喜びで頂けた朝食は私を満たした。

心とお腹が満たされた後、美矢乃さまと食堂を後にして廊下を歩き、宮牙家お抱えの運転手の方が待つ車へと向かった。廊下では何人かの吸血鬼コースの生徒と挨拶を交わしたけれど、幸いにも皆さまは美矢乃さまと私が並んで歩く事を微笑ましく思われて下さっているようで、にこやかでありながら不可侵は守るといった雰囲気を感じさせた。そこに最近の私の不甲斐なさへの不満は微塵も感じられず、私が美矢乃さまと共にあるのならば私は大丈夫だろうという、美矢乃さまへの無条件の信頼があった。

美矢乃さまは、かつて私にしきりと魂の契りを迫っていた頃から、吸血鬼コースで宮牙の長女として揺るがぬものを築いてきていたのだろう。美矢乃さまは気高さの中に包容力がおありになる。それは、美矢乃さまと接した者になら必ず伝わる力だった。だからこそ、契りを交わす前に私へ無茶振りをしてみせていても、美矢乃さまへの憧憬や尊崇は崩れる事なく繋がってきて、今を迎えられているのだ。

「──おはようございます、お嬢さま、和泉さま。旦那さまのご用意も整っておりますので、お車へどうぞ」

「ありがとう、よろしくお願いするわね」

「おはようございます、よろしくお願い致します」

寮の門前に停まっていた車の傍らに立って、私達を待って下さっていた運転手の方が黒塗りの車のドアを手慣れた熟練の所作で開けて下さる。美矢乃さまは、まず私を車のシートに座らせ、それから優雅に自らも私の隣にお座りになった。運転手の方も美矢乃さまも、洗練されていて無駄な動きが一切ない。

車は静かに走り出し、スピードを感じさせない安定した運転で私達を運んだ。信号等で止まる際でも振動は本当に最小限だ。運転手の方の腕も素晴らしい上に、車そのものも最高な性能を備えている。

「千香、座ったままでは疲れるでしょう。何か飲み物で一息つきなさい」

「あ……お気遣いありがとうございます、美矢乃さま。私は大丈夫ですので──」

「天然の炭酸水でレモネードを作らせて冷やしてあるのよ、前にも頂いた記憶があるでしょう?   遠慮はなしだわ。私も頂くから、千香も喉を潤しなさい。緊張しているのでしょう?   息をつめて座っているわ」

指摘されて初めて気づく。運転のなめらかさを感じているようで、実はそこに心を傾ける事で気を逸らしていたのだ。

「……ありがとうございます、美矢乃さま。お言葉に甘えさせて頂きますね」

「ええ、──はい、どうぞ」

私が素直に甘えさせて頂く事にすると、美矢乃さまは自然な様子で受けとめ、車内の小型冷蔵庫からカップを取り出して手渡して下さった。蓋が付いたカップにストローが付いている。材質は一見するとプラスチックではないようだけれど、ガラスほど重さは感じさせない。「頂きます」と言って口をつけると、淡い細やかな炭酸がレモンの果汁と合わさり、心がほっと解れてゆくような清涼感だった。

「美味しいです、美矢乃さま」

「良かったわ、どうか寛いでいてね。千香、私の父と会うことで緊張するなとは言わないけれど、でもね、父にとって千香は既に娘同然なのよ。千香へ贈るお洋服を選ぶ時の真剣さときたら、それは周りのひと達からしても見ものなのだから。──ね?」

「──はい」

クローゼットに連なる見事なお洋服の数々。あれらが片手間で選べるものではない事なら、確かに伝わってきている。ありがたく、恐縮しつつも少しくすぐったい。美矢乃さまが関わる全ての世界は私に向かって優しく開かれていて、生きていれば頑張らなくてはならないし闘う事もあるとしても、それでも頑張りたいと思わせて下さるぬくもりがある。

レモネードを飲みながら、美矢乃さまととりとめのないお話しを交わして、ちょうど飲み終える辺りに車は宮牙家本邸の門をくぐった。そこから更にしばらく走り続け、やがて広大なお屋敷を前にして静かに停まる。

玄関では、見覚えのあるひとが立って私達を待っていた。美矢乃さまが車から降り、美矢乃さまのエスコートで私も降りると、深々とお辞儀をして「お帰りなさいませ、お嬢さま。和泉さま、ようこそお越し下さいました」と、なめらかに挨拶された。

「出迎えありがとう、ご苦労さま。──お父さまは本日どちらでお待ちかしら?」

「青笹の間にてお待ちでございます」

初めて聞くお部屋だ。広大な敷地に広がる平屋建てのお屋敷は、とにかくお部屋が多い。お部屋までは、道のりが想像もつかないが美矢乃さまについて行けば問題ないだろう。実際、美矢乃さまは「今の季節にぴったりの場所ね」と頷いておいでだ。

「大丈夫よ、千香。紅葉の間よりも玄関から近いし、向かう途中でも緑と水の流れを楽しめるわ」

「はい、美矢乃さま」

そっと靴を脱いで上がり、向き直って靴の向きを直して立ち上がる。磨き抜かれた廊下は相変わらず艶々としている。美矢乃さまについて歩き出すと、廊下は開放的な雰囲気で、風通しが良かった。しばらく進むと、曲がった所でお庭に小川が流れているのが見えてくる。この水はどこから引いているのだろう。細かい所で贅の凝らし方が半端ではない。

内心で驚嘆しながら見事なお庭を見ていると、やがて先を行く美矢乃さまが一室の前で立ち止まった。私に目配せをして、すっと腰を落とし襖の前で正座する。私もそれに倣った。

「お父さま、美矢乃です。ただいま帰りました。千香も共に」

「──入りなさい」

「はい、失礼致します」

美矢乃さまのお父君のお声も、相変わらずご年齢を感じさせず、尚かつ穏やかに落ち着いている。

美矢乃さまが襖を開けると、着流しの紗の着物をお召しになられたお姿が見えた。座椅子の素材は黒檀だろうか、一般家庭では見ない。

「お久しぶりです、失礼致します。和泉でございます」

正座したまま頭を下げる。すると、お父君が嬉しそうに「千香君、よく来てくれた。娘から話を聞くだけでは娘に独り占めされているような心地だった」と笑顔になられた。笑うと端正で涼やかな美貌が柔和になられる。……独り占め、とは……一体美矢乃さまは私の事をどのようにお話しなさっておいでなのかとは思ったけれど、同時に美矢乃さまに訊くのはやめておこうとも思った。心の平穏の為には処世術も必要だ。

「お父さま、それは致し方ございませんわ。千香の最も近しい相手は私ですもの」

「……美矢乃さま……」

「いや、だが今日の千香君の目的は私だろう」

この父娘は、おそらくこうしてやり取りして仲良くコミュニケーションを取っているのだと自分に言い聞かせる。そうしなければ美貌に挟み撃ちされて気力が削られてしまいそうだ。

「あの、そのお話しについてなのですが……美矢乃さまが、わざわざお話しを通して下さったそうで……」

正直、何が語られるか分からない不安は小さくはない。しかし、お二方は私の為にと動いて下さったのだ。きちんと向き合わなければと、自分から切り出した。

「──そうだな、どう話せば良いものか考えていたが……とりあえず、ここまで歩いて喉も渇いただろう。冷たい茶を用意させているから飲みなさい」

「──はい、お気遣いありがとうございます」

お父君がぽんと手を軽く叩くと、襖の向こうから「お茶をお持ち致しました」と、間髪置かずに落ち着いた女性の声が聞こえた。許しを得て楚々と入ってきたひとは、お盆に涼しげなグラスを2つと、お父君の為のものだろう、お湯呑みを乗せている。

それらを輝き出しそうなほど磨かれた卓上に並べ、女性はお辞儀をして出てゆく。お父君に促されてグラスに口をつけると、水出し茶の柔らかい口あたりと芳醇な茶葉の香りが感じられて、飲み込むと喉をすっきりさせてくれた。

「──まず、我が家の系譜を見直してみた。帝直系の我が家では、かつては花の一族の者との婚姻は珍しくはなかった。政略結婚も多かった事だろう。いくら我が家が帝直系と言えど相手はあの花の一族、迎えられた者は大切にされるのが当然ではあった。……が、何ごとにも例外と言うものはある」

花の一族。吸血鬼にとって、最も魅力的で理想の血族だ。自分がその末裔だと知らされた時には、おとぎ話の世界に飛び込んだような感覚がしたものだが。

大事なのは、ここかららしい。お父君が、僅かに声を低くした。

「……必ずしも添い遂げられる良き関係が築けるとは限らない。中には、迎えられた者が──花の一族の者が、伴侶を殺めた事実も認められた」

「……殺め、た……とは……? 
 魂の契りを交わしていなかったのですか?   それとも、共に……」

無理心中をしてでも、離れたかったのだろうか。魂の契りを交わしていれば、寿命を共にするのだから一般人もまた果てる筈だ。

──そう、考えたのに。

「……魂の契りを交わしていたとしても、相手が花の一族ならば話は別になる」

「……え……?」

「花の一族の者は、魂の契りを交わしている相手の吸血鬼を殺めても生命は尽きないのだ。これは、花の一族自体が広く知られる存在ではない事もあり、我が家の問題もある事から、表には出ない事実だが……」

──死なない?

花の一族、ならば。なら、劇中のアルヴィートはディアリエルの心臓を刺し貫いてから、儚くなった恋人の亡骸を前に自らも自決する事が可能になる。絶望のなかにも祈りは捧げる事が出来るだろう。

それは、曖昧だった解釈に方向性を与える一言だった。一筋の光かもしれない。

「千香君、君も体験した筈だ。美矢乃の心臓が一度は止まった時、君は生きていて美矢乃を蘇生させる事に成功しただろう。君の心臓は共に止まりはしなかった」

「……はい……」

劇中では、あからさまに花の一族と言う言葉は使われない。ただ、唯一無二の存在としてアルヴィートはディアリエルから愛される。

──いや、それよりも、花の一族ならば死なない。それは。

私の心に雷撃が落ちる。母は花の一族であるがゆえに味見出来るダンピールから盗まれた。父は──そのダンピールが血の弾丸によって排除されたと、そう考えていた。だからこそ母は契りを交わした父を喪っても死ななかったのだと。だが。

「……母は……母が、父を……?」

ダンピールに盗まれた母が、ダンピールの虜にされて、心を失い父を殺めたとしても。母は花の一族だから、父と共に死にはしないのだ。

「──千香君?!   一体何を……!」

「千香!──あなた……!」

私の独白に、その場の空気が凍りついた。
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