リンデンヴェール〜乙女は吸血鬼から求愛される〜

城間ようこ

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後日譚〜今日があり、明日へ〜⑤

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「千香くん、私は君にそのような事を思わせる為に話したのではない。演目で悩む君の心を軽くしようと……」

「そうよ、千香。ご両親の事は痛ましい結果になったけれど……お母さまはお父さまを愛して結ばれたのでしょう?」

お二人が言葉を募らせて疑念を払拭して下さろうとしてくれる。そのお気持ちがひしひしと感じられてきて、言い返せない。でも、一度芽生えた思いは心にこびりつき濁らせる。

「ありがとうございます……愚かな事を考えました……」

ですが、これは真実かもしれないのです。その一言を飲み込む。

それが顔にも如実に出ていたようだ。美矢乃さまが何もかもを見透かすように私を見つめている。

「──お父さま、少々千香を連れ出しても?」

不意に、美矢乃さまがそう申し出た。お父君は一瞬何かを言いかけ、けれどすぐに頷いて部屋の外に控えているひとに「千香くんと美矢乃が出かける。車の準備を」と申しつけた。私と言えば展開に付いていけずに何も分からない。

一体、美矢乃さまは私にどうしようと思われておいでなのか。あまりにも惨い推測をしてしまった私に失望なされただろうか?

「千香、行くわよ。──私達の始まりの場所へ」

恐れていた私の思考とは裏腹に、美矢乃さまの瞳は力に満ちておられる。そして、美矢乃さまと私の始まりの場所──あの公園の菩提樹だろうか。他には考えられない。美矢乃さまには、私に何をお話しするおつもりなのだろう。

「安心なさい、千香。私、思いついた事があるのよ。話すなら始まりの木の下が最適だと思っただけなの」

私が怯えていると察して下さった美矢乃さまが微笑んで下さる。その微笑みは私を包み込むようで、愛想を尽かす等といったものではないと信じさせて下さる。私は分からないままに、美矢乃さまにお任せしようと決めた。私独りでは解決など出来ない問題だ。手を差しのべて下さる美矢乃さまを信じずしてどうするのか。

「……はい、美矢乃さま」

始まりの場所は、私が幼い頃に美矢乃さまをお助けした思い出の場所でもあり、私がこの手で美矢乃さまの心臓を刺し貫いた場所でもある。後者の事を思い出すと、あの演じられない演目を思い出し苦しくはなる。それでも、美矢乃さまはそれもまたお見通しの上で連れて行って下さるのだろう。──きっと、私の為に。

それを、恐怖を思い出すからと断りなど出来ない。

「お嬢さま、お車の準備が出来ました」

「ありがとう。──さ、千香。行きましょう。……大丈夫よ」

意味も根拠も読めない、大丈夫だと言うお言葉。読めないでいても、なぜか心は美矢乃さまへ向かって信頼と正体の分からない希望を生み出す。

「──では、お父さま。お昼すぎには帰宅するように致しますわ」

「分かった。昼食の支度をさせておこう。二人とも、行って来なさい」

「はい、失礼致しますわ。──さ、千香。手を取って」

「あの、美矢乃さま、私は一人でも歩けますので……お手を借りるなど」

第一、手を繋いでいるところは美矢乃さまのお父君に見られたら居心地がよろしくない。けれど美矢乃さまは譲らなかった。

「そんなに青い顔をして何を言うの。廊下を歩いているうちに気分が悪くなったらどうするの。さ、手を」

「……美矢乃が……手を繋ぎ……いや、それはともかく千香くん、美矢乃の言う通りだ。ここは美矢乃に甘えてはくれないだろうか」

お父君は何やら複雑そうに独白していたものの、気を取り直したらしい。ここまで勧められたら断れない。私は様々な感情がごった返す中、「……では、ありがとうございます。美矢乃さま」と美矢乃さまの手に自分の手を重ね、美矢乃さまに指を絡められて、お父君のいらしたお部屋を二人で退室した。

そして公園へ向かう車の中では、これといって言葉は交わさなかった。ただ、美矢乃さまが繋いだ手に指を絡め直し、時おり僅かに力を籠めて下さる。それは言葉よりも雄弁だった。

美矢乃さまは何を思いつかれたのだろう?

元はと言えば私の役作りの為の訪問だった。そこで私が関係のない話を呟いてしまった。わざわざ二人きりになるのは、それらのどちらかの話をする為だろう。

車は静かに走り、しばらくして公園に着いた。お礼を言って車から降り、美矢乃さまのエスコートで園内を歩いて菩提樹の元まで向かう。菩提樹は変わらずに青々と生い茂り、陽光を受けて輝いていた。美矢乃さまが二枚のハンカチを取り出し、地面に敷いて二人で座れるようにして下さる。

「……ありがとうございます、美矢乃さま」

「せっかくのお揃いのお洋服ですものね、汚してはいけないわ。──ねえ、千香。まず訊くことがあるわ」

「……何でしょうか?」

「あなたのお母さま……ダンピールの手にかかりながら、あなたを男に差し出さなかったのよね?」

全く予想外の質問に戸惑う。記憶──出来れば思い出したくない辛い記憶を手繰り寄せ、思い返す。

「……はい。母は男のひとに擦り寄っていましたが……でも、それがどうかなさったのですか?」

「ダンピールの虜になった者ならば、相手の言いなりになるわ。ましてや千香は幼かったとはいえ花の一族の末裔よ。ダンピールにとっても啜りたい血の持ち主なの」

「……え……?」

「なのに、千香のお母さまは千香を虐げても千香を渡さなかったのよ。辛いでしょうけれど、別れの朝を思い出してちょうだい。お母さまは一人で姿を消したのでしょう?」

空腹に耐えきれず目覚めた朝。まだぬくもりの残る二つのおにぎり。短い手紙。おにぎりは泣きながら食べた。大きくて、ほぐした鮭が具に入れられていた。ご飯粒は──炊きたてのような艶があったのではないか?

「……美矢乃さま、それは」

「お母さまは、最後の力で千香を守っていたのよ。虜にされたとは言え、我が子を守れるひとが夫であるひとを殺められるかしら? 
 愛したひとよ。そのひととの子どもさえ守り抜いたの。ましてや愛した本人を手にかけられる?」

「……!」

美矢乃さまのお言葉に、辛かった記憶がほどけてゆく。──母は──私を守ってくれていた?

味見の出来るダンピールの恐ろしさは、私自身も去年図書室で味わっている。貪婪な眼差しで力を振るい、我が物にしようとした。私の血を貪り尽くそうとしていた。それがダンピールの本性ならば──あの男のひとは私をも狙っていたと考えてもおかしくはない。むしろ、男のひとの娘だった少女は母を男のひとが愛していたと言っていた。愛するひとを喰らい、なのにお荷物の私には手出ししなかったのは不自然だ。同じ花の一族の血を持つ私には牙を向けようとも──母が男のひとの傍に常にいたから、私はむしろ遠ざけられていたけれど──手に入れようともしなかった。

それもまた、母が私を守ろうとしていたのか?

男のひとから遠ざけられていたのは、母が私には手を出させない為だったのか。母が私のいる前では常に男のひとの傍で媚びていたのも。

「美矢乃さま……私、私は……母に愛されていたのでしょうか。母はダンピールの餌食になりながら、愛情を忘れずに」

美矢乃さまは、込み上げるもので震える私の声に応えて優しく抱き寄せて下さった。

それが何よりの答えだ。

私は先走り、なんと愚かな事を考えてしまったのだろう。母には家族への──伴侶と我が子への愛情が残されていた。それなのに、父を殺められるはずがないのだ。

「そうよ、千香。分かってくれて嬉しいわ。──私は前に言ったわよね、独りなりそうな時には傍にいると。傷は共にあれば癒えると。私は千香を愛しているわ。何があろうともね。千香を独りにはさせないわ。心を孤独にはさせない」

「美矢乃さまっ……私……私」

美矢乃さまに縋りついて流す涙は温かい。私の中に流れる母を受け継いだ血潮が熱くしてくれる。

美矢乃さまは泣きじゃくる私の背を撫でて下さった。あやすように、手当てをするように。

──私は、罵倒されても殴られても愛されていた。母は私を罵る時、殴る時、何を思っていたのだろうか。きっと、葛藤があったに違いない。守ろうとしながら虐待する事は矛盾していて、母はきっと苦しみ悲しみ、自己嫌悪に陥っていただろう。だからこそ最後に自らの全てをダンピールに差し出したのだ。

全ては、我が子の為に。

──美矢乃さまの愛は深く温かく、私を包む。私はまた自分の殻に閉じこもり独りになろうとしていた。美矢乃さまは、そこから手を差し伸べて救って下さった。

菩提樹の木陰が私達を守り、風が吹き抜けて撫でる。

──美矢乃さまのお父君がお教え下さった事実の事もある。私に新たな解釈をもたらして下さったお言葉。

そして、誤解してしまった私を救い出して下さった美矢乃さまのお心。

「……ねえ、千香。あなたは私の心臓を貫いた時、一度は死んだ私を蘇らせてくれたわ。私は新たに生まれ変わったのよ。そうして今、こうして共にいて千香を抱きしめる事が出来ているの。あなたは私を殺めたのではないのよ。新しく生きさせてくれたの。私は確かに今生きているのよ」

「美矢乃さまっ……」

私は美矢乃さまを殺めたという事に縛られていた。けれど、それさえも間違いだった。私が振りこぼした涙は美矢乃さまを癒し、止まった心臓を確かに再び蘇らせたのだ。

ただ、傷つけた事のみに囚われていた。

美矢乃さまは、頑なに傷を抱える私を独りにはしないで下さった。こうして寄り添って下さる。伝わる美矢乃さまの体温が、それを如実に教えてくれる。

ならば──私は恐れてばかりいてはいけない。

私は美矢乃さまと演じるのだ。美矢乃さまのお隣は誰にも譲らない。

「……美矢乃さま、私が間違っていました。美矢乃さまは気づかせて下さった」

こうして、許して下さいながら。

「千香が前を向いて歩こうとしてくれたのなら、それでいいのよ。──さ、そろそろ帰りましょう。今ごろお父さまが焦れているわ。好きに焦れさせていても構わないのだけれど。私は千香との二人きりの時間と触れ合いの方が大事ですもの」

「美矢乃さま……」

何やら美矢乃さまのお父君が不憫になりはしたものの、そこは敢えて口にすまい。

「けれど、昼食はシェフに腕を振るわせたのよ。朝は軽いもので済ませたから、お腹もすいてきているでしょう?   演劇は体力と栄養が欠かせないわ。名残惜しいけれど帰って昼食を頂きましょうね」

どこまでもお優しい美矢乃さまの笑顔に、私は素直に「はい」と頷いた。

「ありがとうございます、美矢乃さま。美矢乃さまのお心遣いと美矢乃さまのお父さまのお蔭で、私も、胸のつかえが取れました」

心からの感謝を伝えると、美矢乃さまは嬉しそうに再び私を抱きしめて下さった。束の間の抱擁は生きる喜びに満ちていた。
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