見知らぬ君がつく優しい嘘

ゆみ

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建前と本音

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 男は懐から一通の書状を取り出すと、目の前に座っている格上らしき相手の喉元に向かってそれを突きつけた。
 差し出された書状にゆっくりと目を落とした相手は不快そうに眉を顰めると低い声で短く問うた。

「これは?」
「ご子息から当家へ送られて来ました。こちらも──。」

 男は再び懐に手を入れると今度はそこから小箱を取り出した。
 真紅の小箱には老舗宝石店──この街に住む大部分の者は生涯足を踏み入れることもないであろう高級店の印が鈍く光っている。

「失礼ながら私共には意図が分かりかねましたので持参した次第です。」

 侯爵は黙ったまま男の差し出した小箱を受け取ると、勿体ぶるようにしてその中身を確認した。

「指輪……か。何か文字が彫ってあるようだな。」
「えぇ、シルヴィとあります。娘の名です。」
「シルヴィ……確かに、そう読めるな。」

 侯爵は男のその言葉に胸ポケットから取り出しかけたメガネを元に戻すと、目を細めて指輪を見つめながら何か遠い記憶を思い出しているかの様に顎に手を当てた。

 目の前で静かに怒りを表している父伯爵の隣で、当のシルヴィは視線を下げたまま身じろぎもしないでただ立っているしかなかった。侯爵か、あるいは父親かに話を振られるまで、自分の口から伝えるようなことは何一つとしてなかった。

「……シルヴィ殿、貴方は息子と会った事があったかな?」
「いいえ、お目にかかった事はございません。」
「私もそう記憶しているのだが……。」
「しかし侯爵様、この指輪は出征前にレオ様がご自身で手配されたのでしょう?」
「そうとしか考えられないな。こうして名前まで彫らせているのだから、完成までにはそれなりに時間もかかることだろう。」
「レオ様は何故このようなことを?それに、この手紙にある婚約破棄とは……。」

 侯爵は大きなため息をつくと父親の隣で所在なさげに立っているシルヴィに目を向けた。シルヴィは伯爵とは打って変わってまるで他人事のような態度で、一刻も早くこの場を去りたいとでも考えているような様子だった。

「詳しい事は何とも。しかしこの手紙にははっきりと婚約を破棄する旨が書いてある、これはレオの筆跡で間違いない。」

 侯爵はシルヴィに一歩近付くと静かに手を伸ばし、指輪の小箱をその両手に握らせた。
 シルヴィは侯爵に手を取られた瞬間驚いた様子を見せたものの、戸惑うような視線はすぐに指輪の方に向けられた。

「この指輪はシルヴィ殿に受け取っていただきたい。……迷惑料だと思ってもらって構わない。」
「お気遣いは無用です、侯爵様。」
「しかしここには既に貴方の名前が彫ってあるのだから、これは貴女の物だ、そうでしょう?」
「店に事情を話せば引き取っていただけるはずです。」
「ならば貴女がそうするといい。私はそれでも構わない。レオも私と同じように言う事でしょう。」

 侯爵はシルヴィの両手を包み込んでいた手をゆっくりと下ろすと、後ろに控えている使用人に視線で合図を送った。

 シルヴィは改めて目の前に立つ侯爵を見上げた。父伯爵より頭一つ背の高い侯爵は淡く輝く金色の髪に真夏の抜けるような青空を思わせる瞳の持ち主だった。笑みを浮かべるとほんのり目元によるシワでさえもまるで全てが計算されているかのようで、この年になっても未だ華やかな噂が後を絶たないのも頷ける容姿の持ち主だ。
 侯爵家の跡取りであるレオもまた侯爵と同様噂には事欠かない男だった。──良くも悪くも。

 シルヴィが物言いたげな視線で見つめていることに気が付いた侯爵は伯爵に困った様な視線を投げ掛けながらシルヴィに問いかけた。

「私に何か言っておきたいことでも?」
「いえ……。」
「ではレオに?」
「いいえ、何も。」
「シルヴィ、私は侯爵様と二人でもう少し話したいことがある。お前はもう下がりなさい。」
「お父様……」

 シルヴィは咎めるような父親の言葉に気まずそうにさっと顔を伏せると、侯爵に向かって慌てて礼をとり部屋をあとにした。
 侯爵は部屋の扉が閉められた後もしばらくシルヴィの出て行った後を見つめていたが、伯爵が小さく咳ばらいをしたのに気が付くと苦笑を浮かべた。

「すまない……恨み言の一つでも投げられるのかと思ったのだが──。」
「ご冗談を。この婚約は名ばかりのものだと、娘には当初からそう言い聞かせて参りましたから。」
「まぁ、それも仕方ない。結局、二人は顔を合わすこともなかったんだろう?」
「多分。娘はお屋敷には何度か顔を出していたはずですが、私も詳しくは知りません。」
「私と同じか。しかし、レオの奴も今になって指輪を贈りつけるなど、一体何を考えているのやら……。」
「この婚約はなかった──ということでよろしいんですよね?」
「あぁ、そうなるな。当初の予定通りだ。」

 そう言って視線を上げた侯爵が窓の外に目線を移すと、つられて伯爵もその先を目で追った。
 窓の外には侯爵家の庭園が広がっており、その先にはよく手入れをされた花が陽光を受けて輝くように咲き誇っている。緑の陰にはしゃがみ込んで何か作業をしている二人の庭師の姿があった。

「この度の国境遠征での一件は既に貴殿の耳にも?」
「えぇ、大体の事は存じております。」

 窓の外を見たままで侯爵は口元に淋しげな笑みを浮かべると、独り言のような穏やかな声で続けた。

「この家はレオの弟が継ぐことに決まったよ。」
「それは……正式に?」
「正式に。既に王家からは通達が来た。侯爵家を継がないレオが婚約を今まで通り続ける訳にはいかない、そういう事だ。」
「そうでしたか。……いや、しかしまさかあの話が現実になるとは。……この場合はおめでとうございます、でよろしいのですね?」
「何もめでたくはないだろう?お前からしてみたら。」
「友人としてかける言葉ですよ。父親としてはとても──。」

 侯爵は一瞬だけ申し訳無さそうな顔を見せると、伯爵の背中を励ますようにトンと叩いた。

「あぁ、そうだな。……これで全てがうまくいくといいんだが。」
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