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警告
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ギーの普段の態度を不審に思っていたというシスターたちの元に匿名でタレコミがあったのは、あの礼拝の日の夜だったという。それを受けた教会側の対応もまた非常に早かった。
あの日、シルヴィとの間でトラブルを起こして以降、ギーは街にある花市場まで働きに出るようになった。花市場の仕事はまだ暗いうちから始まり、終わるのは昼前になるという。
お陰で教会を午前中に訪れることが多いシルヴィは、あれ以来ギーと顔を合わせることがなくなった。今では教会でシルヴィが来るのを首を長くして待ってくれているのはあの少女──アンナだ。
教会の左手にある建物の方から、楽しそうな笑い声が聞こえてきていた。
アンナと、アンナが姉と慕う少女たちがいつものように話をしながら作業でもしているのだろうか。
シルヴィは馬車を降りると深く考えることもなく声のする方に向かって歩き出した。
「シルヴィ様、いらっしゃい!」
「アンナ?」
声の聞こえた方へ向かおうとしていたシルヴィの元へ、逆方向からアンナが駆け寄ってきた。
シルヴィは立ち止まると首を傾げた。
「あら、あっちから楽しそうな笑い声が聞こえてきたからアンナ達かと思ったのよ?違ったのね。こんな時間にお客様?」
「お客様じゃないよ。今日は市場がお休みでギーがいるの。その……お友達も一緒に。」
「……そう。」
シルヴィは申し訳無さそうにそう教えてくれたアンナの頭を優しく撫でると、にっこり笑いかけた。
こんな小さな子にまで気を使われるほど、自分とギーとの関係は崩れてしまったのかと思うと少し寂しくもあった。
「ギーのお仕事は大変そう?」
「だいぶ慣れたって言ってたよ?」
「それは良かった。じゃあお仕事の関係でできたお友達が遊びに来ているのかもしれないわね。私たち、ギーの邪魔をしないようにしなきゃね。」
「あー。」
アンナはギー達の声が聞こえてきた方をちらっと見ると、慌ててシルヴィの服を引っ張った。
「シルヴィ様、あっちに──」
アンナはギーたちの視界にシルヴィが入らないようにしたかったのだろう。しかし少し気付くのが遅すぎた。
笑い声はいつの間にか聞こえなくなっている──それどころかこちらに向かって歩いて来る人影が見えていた。
「シルヴィ?あら、本当に。まさかこんな所でお会いできるなんて。」
後ろにギーを従えて現れたのはルイーズ──シルヴィと同じく伯爵家の娘だった。
アンナはシルヴィとギーが鉢合わせないように気を使ってくれていただけではなく、ルイーズがギーの所に来ているのも知っていて、隠したかったのだろう。
もしかしたら、今回が初めてという訳でもないのかもしれない。
見なかった事にして今すぐにでも背を向けて逃げ出したい気分だった。ルイーズは典型的な上昇志向の持ち主で、侯爵家と親しくしているせいか昔からシルヴィを目の敵にしている所があった。
ルイーズは何故か勝ち誇ったような表情でシルヴィを見ると、ギーは黙ってその陰に隠れた。
「こんな時間にコソコソと教会にいらしたの?可哀想に。ねぇ、ギー?あなたもそう思うでしょ?」
「いえ、ルイーズ様私は──。」
ギーはルイーズの言葉を肯定も否定もせず完全に逃げの姿勢だ。
思った通り、ルイーズはシルヴィの神経をわざと逆撫でるような言い方をしてくる。
「この時間なら礼拝堂は人目がないものね。」
「礼拝に来たわけではありません。アンナに会いに来ただけです。」
「アンナ?」
ルイーズはまだシルヴィの服を掴んだままの少女を見下ろすと、くすっとわざとらしく鼻で笑った。
「あらそう。私何か勘違いをしていたようね。」
ルイーズはそう言いながらシルヴィの直ぐ側まで歩み寄ると、すれ違いざまに小さくささやいた。
「てっきりロジェ王子と待ち合わせでもしているのかと思ったわ。」
「ルイーズ?」
「そんなに驚かなくてもいいじゃない?聞いたわよ?レオ様の次はロジェ王子だそうね。」
「次だなんて、そんな──」
ギーがポケットから手を出すのが見えた。顔を伏せているのでその表情は分からないが、強く握りしめられた拳が白く見える。
「まぁいくらなんでもロジェ王子はねぇ?無駄だと思うけれど?」
「ルイーズ、さすがに言葉が過ぎるわよ。」
「嫌だ、誤解しないで。ただ教えてあげただけよ?ほら、貴女その辺の事情に詳しくないでしょうから。」
その辺の事情──というのはきっと貴族たちのくだらない噂話の類を指すのだろう。確かにシルヴィにとっては興味のない分野ではあった。
ルイーズの結婚相手は幼い頃から決められており、確か5つほど歳上の遠縁の者だ。伯爵家はその相手が後を継ぐこともあり、ルイーズの身分は当分安泰だ。
その上ルイーズは上流階級の情報収集や人間関係の構築に熱を入れている。シルヴィはルイーズのそういう野心的な所が苦手だった。
「貴女の言うそういう事情には興味がないから、問題ないわ。」
ルイーズは引っかかったとでも言いたそうににやりと笑うとギーに向かって手を差し出した。
ギーはどこから取り出したのかルイーズの手袋をその手に恭しくはめ始める。
その様子を苦々しく見ていると、ルイーズの声が降ってきた。
「私、最近よく街でロジェ王子の姿を見かけるのよ。どこでだと思う?」
ギーに向けて逆の手を差し出しながら、シルヴィの答えを待つでもなくルイーズは勝ち誇ったように続けた。
「ガレル商会。」
シルヴィはルイーズの口から出たその名前に凍りついた。
「ガレル商会……。」
「そう。あそこに頻繁に通われてるってことは、成人の儀の後で何か発表されるおつもりなんじゃない?そうね、例えば──婚約とか?」
あの日、シルヴィとの間でトラブルを起こして以降、ギーは街にある花市場まで働きに出るようになった。花市場の仕事はまだ暗いうちから始まり、終わるのは昼前になるという。
お陰で教会を午前中に訪れることが多いシルヴィは、あれ以来ギーと顔を合わせることがなくなった。今では教会でシルヴィが来るのを首を長くして待ってくれているのはあの少女──アンナだ。
教会の左手にある建物の方から、楽しそうな笑い声が聞こえてきていた。
アンナと、アンナが姉と慕う少女たちがいつものように話をしながら作業でもしているのだろうか。
シルヴィは馬車を降りると深く考えることもなく声のする方に向かって歩き出した。
「シルヴィ様、いらっしゃい!」
「アンナ?」
声の聞こえた方へ向かおうとしていたシルヴィの元へ、逆方向からアンナが駆け寄ってきた。
シルヴィは立ち止まると首を傾げた。
「あら、あっちから楽しそうな笑い声が聞こえてきたからアンナ達かと思ったのよ?違ったのね。こんな時間にお客様?」
「お客様じゃないよ。今日は市場がお休みでギーがいるの。その……お友達も一緒に。」
「……そう。」
シルヴィは申し訳無さそうにそう教えてくれたアンナの頭を優しく撫でると、にっこり笑いかけた。
こんな小さな子にまで気を使われるほど、自分とギーとの関係は崩れてしまったのかと思うと少し寂しくもあった。
「ギーのお仕事は大変そう?」
「だいぶ慣れたって言ってたよ?」
「それは良かった。じゃあお仕事の関係でできたお友達が遊びに来ているのかもしれないわね。私たち、ギーの邪魔をしないようにしなきゃね。」
「あー。」
アンナはギー達の声が聞こえてきた方をちらっと見ると、慌ててシルヴィの服を引っ張った。
「シルヴィ様、あっちに──」
アンナはギーたちの視界にシルヴィが入らないようにしたかったのだろう。しかし少し気付くのが遅すぎた。
笑い声はいつの間にか聞こえなくなっている──それどころかこちらに向かって歩いて来る人影が見えていた。
「シルヴィ?あら、本当に。まさかこんな所でお会いできるなんて。」
後ろにギーを従えて現れたのはルイーズ──シルヴィと同じく伯爵家の娘だった。
アンナはシルヴィとギーが鉢合わせないように気を使ってくれていただけではなく、ルイーズがギーの所に来ているのも知っていて、隠したかったのだろう。
もしかしたら、今回が初めてという訳でもないのかもしれない。
見なかった事にして今すぐにでも背を向けて逃げ出したい気分だった。ルイーズは典型的な上昇志向の持ち主で、侯爵家と親しくしているせいか昔からシルヴィを目の敵にしている所があった。
ルイーズは何故か勝ち誇ったような表情でシルヴィを見ると、ギーは黙ってその陰に隠れた。
「こんな時間にコソコソと教会にいらしたの?可哀想に。ねぇ、ギー?あなたもそう思うでしょ?」
「いえ、ルイーズ様私は──。」
ギーはルイーズの言葉を肯定も否定もせず完全に逃げの姿勢だ。
思った通り、ルイーズはシルヴィの神経をわざと逆撫でるような言い方をしてくる。
「この時間なら礼拝堂は人目がないものね。」
「礼拝に来たわけではありません。アンナに会いに来ただけです。」
「アンナ?」
ルイーズはまだシルヴィの服を掴んだままの少女を見下ろすと、くすっとわざとらしく鼻で笑った。
「あらそう。私何か勘違いをしていたようね。」
ルイーズはそう言いながらシルヴィの直ぐ側まで歩み寄ると、すれ違いざまに小さくささやいた。
「てっきりロジェ王子と待ち合わせでもしているのかと思ったわ。」
「ルイーズ?」
「そんなに驚かなくてもいいじゃない?聞いたわよ?レオ様の次はロジェ王子だそうね。」
「次だなんて、そんな──」
ギーがポケットから手を出すのが見えた。顔を伏せているのでその表情は分からないが、強く握りしめられた拳が白く見える。
「まぁいくらなんでもロジェ王子はねぇ?無駄だと思うけれど?」
「ルイーズ、さすがに言葉が過ぎるわよ。」
「嫌だ、誤解しないで。ただ教えてあげただけよ?ほら、貴女その辺の事情に詳しくないでしょうから。」
その辺の事情──というのはきっと貴族たちのくだらない噂話の類を指すのだろう。確かにシルヴィにとっては興味のない分野ではあった。
ルイーズの結婚相手は幼い頃から決められており、確か5つほど歳上の遠縁の者だ。伯爵家はその相手が後を継ぐこともあり、ルイーズの身分は当分安泰だ。
その上ルイーズは上流階級の情報収集や人間関係の構築に熱を入れている。シルヴィはルイーズのそういう野心的な所が苦手だった。
「貴女の言うそういう事情には興味がないから、問題ないわ。」
ルイーズは引っかかったとでも言いたそうににやりと笑うとギーに向かって手を差し出した。
ギーはどこから取り出したのかルイーズの手袋をその手に恭しくはめ始める。
その様子を苦々しく見ていると、ルイーズの声が降ってきた。
「私、最近よく街でロジェ王子の姿を見かけるのよ。どこでだと思う?」
ギーに向けて逆の手を差し出しながら、シルヴィの答えを待つでもなくルイーズは勝ち誇ったように続けた。
「ガレル商会。」
シルヴィはルイーズの口から出たその名前に凍りついた。
「ガレル商会……。」
「そう。あそこに頻繁に通われてるってことは、成人の儀の後で何か発表されるおつもりなんじゃない?そうね、例えば──婚約とか?」
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