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朝帰り
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シスターは少しだけ困惑した表情を浮かべた。
「それに関しては私たちに出来る事は何もないでしょうね。それよりも、シルヴィ様はご自分でもう気付いていらっしゃいますか?」
シスターは新しい紅茶を注ぎながらシルヴィの顔色をうかがった。
シルヴィは何かまずい事を口走ってしまったかと目元をハンカチで押さえながら首を傾げた。
「私、また何かおかしなことを言いましたか?」
「いいえ、むしろその逆ですよ。昨日、レオ様にお会いになったのでしょう?その事を真っ先にお話しくださるものだと思っておりました。」
「レオ様の事ですか。それは……確かに。」
「ここに来る馬車の中ではずっと泣いていたと聞きました。ロジェ様は自分のせいだと仰っていましたよ。」
「それは……誤解です。レオ様が無事でいらしたのを確認できたので安心して。あの時はきっと色々な感情が一気に押し寄せてしまったんだと思います。ロジェ様のせいではありません。」
手の中にあるハンカチをぎゅっと握り締めると、シルヴィは唇を噛んだ。
──ロジェ様があんな優しい声で最後だなんて言うから。
だから自然と涙が出たとは、口が裂けても言えない。シルヴィの心の内だけに留めておかなくてはならない。
シスターはそれ以上の事は何も聞かずにシルヴィの手をとると、ポンポンと優しく叩いた。
「誰も貴女を責めたりはしませんよ。」
シルヴィは曖昧に微笑むと小さく頷いた。
オードラン伯爵家では夜が明けても帰ってこないシルヴィを心配した使用人達が右往左往していた。
馬車が門から入って来たのを確認するなり、ある者は伯爵夫人の元へ報告に、ある者は出迎えにと慌てて散っていく。
馬車から降り立ったシルヴィの元に一番に駆けつけたのはいつも身の回りの世話をしてくれている使用人だった。
「シルヴィ様!ご無事でしたか。」
「えぇ、遅くなってしまって、随分と心配してくれたみたいね。」
「そりゃあもう。最近街中ではひっそりと行方知れずになられる方が多いと聞いていますし。」
「そうなの?」
使用人はシルヴィを部屋にいそいそと連れて入りながら幾分興奮した調子で話し続けた。
「少し前から立て続けに。ほら、アングラード侯爵家のレオ様、その次はガレル商会の職人が姿を消したらしいですよ。」
「職人?それは知らなかったわ。」
「職人と言ってもガレルのお嬢様の婚約者だとかで。ゆくゆくはガレルを継ぐ方だったらしいですけどね。お陰であの界隈は大騒ぎですよ。他にも遠征から帰ってきてそのまま──」
使用人の話はまだまだ続いていたが、シルヴィの思考はそこで完全に止まってしまった。
レオにはもう戻る場所がない、成人の儀の後にこの国から出て行く──ロジェの言っていた事は本当だったのか。
シルヴィは温かい布を目の前に差し出された事で現実に引き戻された。
おずおずと目線を上げると先程の使用人が心配そうな顔つきでこちらを見ている。
「少し目元を温めてください。その後で冷やすといいですよ。」
泣いていた事が分かるのだろう。俯いて布を受け取ると、シルヴィは黙ってそれを顔に押しあてた。
「ガレル商会のいなくなった職人っていうのは、そんなに腕の良い人だったの?だとしたら店にとっても大打撃ね。」
「えぇ。シルヴィ様はガレルのお嬢様をご存知ですか?」
「……えぇ、多分。間違っていなければ。」
使用人は他に聞いている者がいないのは分かりきっているのに声をひそめた。
「あの方のお気に入りなんですから、それはもうさぞかし……ねぇ?」
ガレル商会の一人娘は昔から何もかもが派手な事で有名だった。宝飾店の一人娘なだけありその辺の貴族よりも遥かにいい生活を送っていたし、交友関係でも何でも、とにかく他よりは目立つ事を好むようだった。
そのお眼鏡に叶ったということは、いなくなった職人というのもそれなりに容姿が整っていたに違いない。
「ガレルねぇ……。」
自分には生涯縁がないと思っていた高級店の名を、ここ最近妙に耳にする気がした。
レオから贈られたあの指輪が始まりだった。そしてロジェが最近よく姿を見せると聞いたのもあの店の周辺だ。おまけに今聞いた職人の失踪──恐らくその職人はガレルから逃げ出したのだろう。
偶然というものはこんなにも重なるものだろうか。
シルヴィは昨夜レオの指に輝いていた指輪を思い出すと苦笑した。
──レオ様のあの指輪までガレル商会の物だったりして。まさかね。
「でもよかったです。シルヴィ様はご無事で。」
「あら、泣き腫らして帰ってきたというのに何があったのかは聞かないままで無事だと言うのね?」
「ジョス様には夜遅くにご連絡があったと聞いていますよ?」
「え?お父様に?」
「シルヴィ様からじゃなかったんですか?」
使用人がシルヴィの顔から布を取ると詳しく話せと言わんばかりに覗き込んできた。
シルヴィはその手から冷たい布を奪うと慌てて目元を隠した。
父親に連絡を入れたのはロジェだろうか。それともジョエルかケビン……。いずれにしても父親には遅かれ早かれ問い質されるに決まっている。
どこまで話していいものか、全く見当がつかない。
「どうしよう……お父様に怒られる。」
途方に暮れるシルヴィを見て、使用人はこっそりと笑いをこらえた。
「それに関しては私たちに出来る事は何もないでしょうね。それよりも、シルヴィ様はご自分でもう気付いていらっしゃいますか?」
シスターは新しい紅茶を注ぎながらシルヴィの顔色をうかがった。
シルヴィは何かまずい事を口走ってしまったかと目元をハンカチで押さえながら首を傾げた。
「私、また何かおかしなことを言いましたか?」
「いいえ、むしろその逆ですよ。昨日、レオ様にお会いになったのでしょう?その事を真っ先にお話しくださるものだと思っておりました。」
「レオ様の事ですか。それは……確かに。」
「ここに来る馬車の中ではずっと泣いていたと聞きました。ロジェ様は自分のせいだと仰っていましたよ。」
「それは……誤解です。レオ様が無事でいらしたのを確認できたので安心して。あの時はきっと色々な感情が一気に押し寄せてしまったんだと思います。ロジェ様のせいではありません。」
手の中にあるハンカチをぎゅっと握り締めると、シルヴィは唇を噛んだ。
──ロジェ様があんな優しい声で最後だなんて言うから。
だから自然と涙が出たとは、口が裂けても言えない。シルヴィの心の内だけに留めておかなくてはならない。
シスターはそれ以上の事は何も聞かずにシルヴィの手をとると、ポンポンと優しく叩いた。
「誰も貴女を責めたりはしませんよ。」
シルヴィは曖昧に微笑むと小さく頷いた。
オードラン伯爵家では夜が明けても帰ってこないシルヴィを心配した使用人達が右往左往していた。
馬車が門から入って来たのを確認するなり、ある者は伯爵夫人の元へ報告に、ある者は出迎えにと慌てて散っていく。
馬車から降り立ったシルヴィの元に一番に駆けつけたのはいつも身の回りの世話をしてくれている使用人だった。
「シルヴィ様!ご無事でしたか。」
「えぇ、遅くなってしまって、随分と心配してくれたみたいね。」
「そりゃあもう。最近街中ではひっそりと行方知れずになられる方が多いと聞いていますし。」
「そうなの?」
使用人はシルヴィを部屋にいそいそと連れて入りながら幾分興奮した調子で話し続けた。
「少し前から立て続けに。ほら、アングラード侯爵家のレオ様、その次はガレル商会の職人が姿を消したらしいですよ。」
「職人?それは知らなかったわ。」
「職人と言ってもガレルのお嬢様の婚約者だとかで。ゆくゆくはガレルを継ぐ方だったらしいですけどね。お陰であの界隈は大騒ぎですよ。他にも遠征から帰ってきてそのまま──」
使用人の話はまだまだ続いていたが、シルヴィの思考はそこで完全に止まってしまった。
レオにはもう戻る場所がない、成人の儀の後にこの国から出て行く──ロジェの言っていた事は本当だったのか。
シルヴィは温かい布を目の前に差し出された事で現実に引き戻された。
おずおずと目線を上げると先程の使用人が心配そうな顔つきでこちらを見ている。
「少し目元を温めてください。その後で冷やすといいですよ。」
泣いていた事が分かるのだろう。俯いて布を受け取ると、シルヴィは黙ってそれを顔に押しあてた。
「ガレル商会のいなくなった職人っていうのは、そんなに腕の良い人だったの?だとしたら店にとっても大打撃ね。」
「えぇ。シルヴィ様はガレルのお嬢様をご存知ですか?」
「……えぇ、多分。間違っていなければ。」
使用人は他に聞いている者がいないのは分かりきっているのに声をひそめた。
「あの方のお気に入りなんですから、それはもうさぞかし……ねぇ?」
ガレル商会の一人娘は昔から何もかもが派手な事で有名だった。宝飾店の一人娘なだけありその辺の貴族よりも遥かにいい生活を送っていたし、交友関係でも何でも、とにかく他よりは目立つ事を好むようだった。
そのお眼鏡に叶ったということは、いなくなった職人というのもそれなりに容姿が整っていたに違いない。
「ガレルねぇ……。」
自分には生涯縁がないと思っていた高級店の名を、ここ最近妙に耳にする気がした。
レオから贈られたあの指輪が始まりだった。そしてロジェが最近よく姿を見せると聞いたのもあの店の周辺だ。おまけに今聞いた職人の失踪──恐らくその職人はガレルから逃げ出したのだろう。
偶然というものはこんなにも重なるものだろうか。
シルヴィは昨夜レオの指に輝いていた指輪を思い出すと苦笑した。
──レオ様のあの指輪までガレル商会の物だったりして。まさかね。
「でもよかったです。シルヴィ様はご無事で。」
「あら、泣き腫らして帰ってきたというのに何があったのかは聞かないままで無事だと言うのね?」
「ジョス様には夜遅くにご連絡があったと聞いていますよ?」
「え?お父様に?」
「シルヴィ様からじゃなかったんですか?」
使用人がシルヴィの顔から布を取ると詳しく話せと言わんばかりに覗き込んできた。
シルヴィはその手から冷たい布を奪うと慌てて目元を隠した。
父親に連絡を入れたのはロジェだろうか。それともジョエルかケビン……。いずれにしても父親には遅かれ早かれ問い質されるに決まっている。
どこまで話していいものか、全く見当がつかない。
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途方に暮れるシルヴィを見て、使用人はこっそりと笑いをこらえた。
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