恋なんてするわけがないっ!!

シルド

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新しい世界

砂糖入りコーヒーみたいな

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土曜日は水族館に行って、日曜日は私の部屋で特に何をするでもなく、ただのんびりと過ごした。

「紅ちゃん、なんかいいことあったんじゃなーい?」

隣の小雪ちゃんから声が掛かる。

小雪ちゃんは見透かしたような目で私を見ていた。

顔に出てるかなぁ、と考えたところでもう彼女の策略に捕まってしまっていた。

「考えるってことは、やっぱりあったんだね。まぁ、藤沢さんと何かあったんでしょ?もしかして付き合い始めたとか?」

ニコニコと正解を当てる小雪ちゃんに、よくわかるね、と諦めて白状した。

「えっ、ほんとに?藤沢さんと付き合ってるの!?」

目を丸くさせて顔を近づけてくる様子から、余計なことを言った気がしてならない。

「そっかぁ、ついにかー。藤沢さん結構あからさまだったもんなぁ、あの顔して。」

小雪ちゃんはウンウンと頷いて満足したのか、あっさりと仕事に戻ってくれた。

私も早く今やっているものを終わらせようといつもより少しスピードを上げた。



定時きっかりに仕事にきりがついて、上機嫌でエントランスを出ようとしたところで、後ろから慌ただしい音が聞こえた。

振り向けば、田邊君が盛大にコピー用紙を床にぶち撒けている。

彼はダンボール箱から飛び出してしまったコピー用紙を慌てて拾い始めた。

こんなものを見てしまって無視をして帰れるわけもなく、彼のところへ手伝いに入る。

「田邊君、手伝うわ」

「ぁあっ、紀田さん!すみません‼ありがとうございます!」

私に気づいた田邊君は顔を上げてそう言うが、その時に拾ったコピー用紙が数枚彼の腕から逃げていくのに笑いそうになる。

こんなに絵に書いたような典型的な間抜けなんて、そうそう見かけない。

「どうしてこんなにコピー用紙を?」

「プリンタの用紙がなくなったので倉庫に取りに行っていたんですけど、途中で二階の部署の方も用紙が足りなくなったみたいで……。忙しそうだったので代わりに持っていこうと思ってダンボールで運んでたんです。」

こんな事になっちゃいましたけど……と言う田邊君にもう一つ疑問を投げかけてみた。

「段差なんてここには無いけど、何もないところでつまづいたの?」

タイルに隙間は一切ない。
突っかかるような出っ張りもない。
綺麗ではあるが、普通に歩いていれば特別滑りやすいわけでもない。

そして先程見た限りでは人にぶつかった様子でもなかった。

本当に何もなくて躓いたのか持っていたものをぶちまけたとしたら、完璧な間抜け認定だ。

「紀田さんが見えたので、気が取られて急に止まってしまって……」

可愛らしい笑顔で田邊君はそう言うが、それはつまり私のせいだってことなのだろうか……。

なんだか腑に落ちない気持ちを持ちつつ、用紙を全て拾い上げ、結局部署まで一緒に届けに行った。

「ありがとうございました、最後まで手伝って頂いて。」

丁寧に深くお辞儀をして礼をいう彼に、じゃあ帰るわね、お疲れ様と返そうと彼が顔をあげるまで待っていた。

けれども彼がなかなか顔を上げないので、田邊君、と控えめに呼びかけた。



私はそれから行きつけのバーでよく頼む度数の弱いカクテルを飲んでいた。

龍二さんはいつもみたいに優しい微笑みを浮かべて、別の客とお話をしている。

ただ、いつもと違うことが一つあって。

それは隣に田邊君が座っているということだった。

「わぁ……紀田さん、お酒弱いんですね。」

弱いカクテルを頼んだにもかかわらず、少し飲んだだけでその影響が顔に出て来る私を見て、彼はそう言った。


会社のエントランスで田邊君があまりにも長く顔を上げないものだから、私は彼に呼びかけた。

すると、彼は腰を低くしたまま顔だけをゆっくりとあげて、上目遣いで

「お詫びにお酒ご馳走させてください……」

なんて言うものだから、断れずに田邊君について来た。

そしたら着いたのはとても見覚えのあるバーで、彼もたまにここに来るのだと言った。

そして今に至る。


「これと同じのをもう一杯お願いしてもいいですか?」

田邊君は龍二さんに先程まで飲んでいたグラスを渡して頼む。

「お好きですか、マティーニ。」

龍二さんは意外そうに田邊君に問う。

「はい、好きです。とても。顔に似合わないってよく言われるんですけどね。」

照れ笑いを浮かべて一瞬こちらを見た彼。

「お酒お強いんですね。」

龍二さんもまた私の顔にちらりと目をやった。

どうぞ、と流石バーのマスターで、上品な所作でカクテルをカウンターに置く。

田邊君はマティーニを一口飲んで、私の方へ顔を向けた。

「紀田さん、」




「紀田さん、好きです。」


彼の茶色く透き通った瞳はいつものように可愛らしい輝きを持ち、泣いてしまいそうなほどに潤っていた。

ライトを当てられた宝石みたいに光り、吸い込まれてしまいそうだった。

いつものあいつとは違う瞳、と思った。

そしてそれを考えると同時にこの話は断らなければならないとも思った。

「田邊君、ごめんなさい。」

田邊君は悲しげに微笑んだ。

「知っています、この先に発展しないことは。藤沢さん、ですよね?」

「そう、なの。ごめん。」

田邊君が後輩として可愛くて、断ることが申し訳なかった。

謝らないでください、と彼は言ってグラスを持つ。

グラスの中のお酒は彼の小さく開けた口に全てゆっくりと入っていった。

「ありがとう、田邊君。」

彼が席を立って、龍二さんに薄桃色の紙を渡した。

それがお会計を済ませていたとは帰るときになって知った。

帰るときの彼の横顔を照らしたオレンジ色のライトは、彼の瞳が美しく濡れ、そこから溢れそうな宝石をより一層光り輝かせていた。



田邊君が私を慕ってくれているのは知っていた。

だが、それは先輩として慕ってくれているに留まるのが当たり前というか私の固定観念だった。

私をああいうふうに好いてくれているとは思ってもいなかった。

私が残り一口のカクテルを飲むと、龍二さんが私の隣の席を見ながらお会計は彼が済ませたよ、と伝えてくれた。

龍二さんの視線につられて私も隣の席を見た。

そこには、一粒のオリーブの実が寂しくグラスに残されていた。




「紀田、おい……紀田。」

肩を掴まれて、やっと今まで呼ばれていたことに気付いた。

「……あ、藤沢。ごめん、何?」

私はそれから2日たった今日でも、まだ田邊君の告白のことを考えていた。

彼を好きになったとかそういうわけではないのだが、私を慕ってくれていた田邊君にはこれからどう対応していけばいいのか、わからなかった。

それに、彼のあの目がやけに頭から離れない。

仕事は一応出来ていたが、気のきくことは
一切していなかったし、人からの声掛けには心ここにあらずの返事だったと思う。

気付くと相手は必ず不思議そうな顔だったから。

家に帰ってきて、お風呂から出たところだった。

インターホンが誰かの訪問を告げていた。

「藤沢です。」


コトッと控えめにカップを置いた藤沢は、
こちらをしっかりと見て問う。

「………何があった?」

そう聞かれて少し戸惑う。
こういうことは付き合っている藤沢に言うべきなのか、言っていいものなのか。

かといって、言わないでいるのも自分の中に少しでもやましい気持ちがあると自分自身が認めないといけなくなるわけで…………

「…………田邊君に、告白されたの。」

藤沢の目はやっぱりな、という感じだ。

「それで紀田は?」

「断った、……けど、それから田邊君にどう接したらいいかわからない……」

いつも通り、何もなかったように接するのがいいのだろうか………
かといって何も無かったようにというのは田邉君の告白してくれた勇気すらなかったことにしてしまう気がする。

さっぱりわからない、どうしたらいいのかなんて。


「いつも通りでいいんじゃねぇの。」

しばらくの沈黙のあと、藤沢はそう言った。

「田邉は、よそよそしくされる方がキツイと思う。それにあいつ結構図太いし。」

少し不貞腐れたような顔でそっぽを向いて言うが、多分藤沢は田邉君に対する評価をするのがむず痒いらしかった。

藤沢は田邉君を結構見ている。後輩としてかわいがっていると私の目にはそう見えている。

「ありがと……、藤沢の言う通りな気がする。そうしてみるよ。」


そして藤沢の言ったことが本当だったと判明したのは翌日のことだった。

「僕、諦めないことにしました!今は藤沢さんがいますけど、何かあればこっちに来てください!」

朝、エレベーターで顔を合わせるなり彼は満面の笑顔でそう言った。

彼自身、大変満足したらしくエレベーター内では終始笑顔で色々話しかけてきたが、私はと言うと隣でドス黒い雰囲気を醸し出す藤沢に気が気でなかった。

宣戦布告なのか、素で気づいていないのか、
田邉君は見事に藤沢の前で先程の宣言をした。

そして藤沢の機嫌の悪さは夜帰るまでこのまま引きずった。


「田邉のやつ、アレ素でやってんのか。恐ろしいな……」

私の家で夕飯をふるまって、くつろいでいると藤沢が参った、という風にため息をついた。

藤沢のくせに落ち込んでる、いつも自信に満ちたような藤沢が。珍しいな……

「……⁉」

今の今まで目の前で落ち込んでいた藤沢が、突然私を抱きしめた。

藤沢の胸に鼻がぶつかって少し痛い。
それとついでに言うなら、結構彼の体重がこっちにかかっていて腹筋がプルプル震えている。

健康なのか体型のためなのか、一応軽い筋トレはしてるんだけどな。

「ふ、じさ……わ。も、無理……っ」

流石に腹筋が限界で、震える声で何とか伝える。

それでも藤沢は離してくれず、限界を超えた腹筋は力が抜けて、とうとう床に倒れてしまった。

藤沢が抱きしめているおかげと言うべきか、痛くはなかったのだけれど。

「……お前は、紀田は……」

「大丈夫だよ、藤沢。私はちゃんと藤沢が好きだよ。」

自分から出たその言葉は、自分が思っていたよりも優しい響きを持っていた。

もう一度大丈夫、と声を掛けると藤沢はどうやら落ち着いたらしかった。

「こんなこと言ったら悪いのかもしれないけど、藤沢って結構心配性だよね。」

冷めて美味しくなくなったコーヒーを変な顔をして飲んだ藤沢にそう言った。

藤沢はまだ顔を歪めたまま、そうかもしれないな、と言った。

しばらく空になったコーヒーカップを見つめていたが、ゆっくりと顔をこちらに向けた藤沢が私の頬に手を伸ばす。

「母さんが心配性だからその遺伝かもな。」

私の頬を彼が優しく撫でた。触れるか触れないか、風が触った程度に。

それから私のしばらく切っていない髪に触れる。指に絡めてみたり、梳いてみたり。

そうしてまた頬に触れられていた。気持ちよくて目をつぶっていた私は顔の近くに何か、藤沢の顔なのだが、の存在を感じて目を開けようとした。

もうその時には、私の唇に彼の柔らかなそれが重なっていた。

この間の朝とは違って少し私のものより熱を持ったそれは、私の唇を優しく啄んだ。

その熱に浮かされて私は口を小さく開けた。

藤沢は少し驚いたような表情を見せたが、優しく表情を緩めて先程よりもやや情熱的に唇を啄んだ。

それから私の口内にそれは入り込み、私の舌を追いかけ絡め取る。

自然と手が彼の首に回った。

それを合図にこの夜が長くなったことは、言うまでもない。




「それに、俺が紀田を好きだからだ。好きだから心配になる…」

そんな声を私はまどろみの中で聞いた気がする。


End
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