四角いリングに恋をして

根本宗一郎

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四章

プロデビューと告白

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 そうこうしているうちに年が明けた。それは正月明けの第一回目の練習が終わった後の事だった。達也はストロング西川に社長室に来るように告げられたのでそこへ行くとそこで待ちに待った宣告をされる事になるのだった。何と来月の初旬の後楽園ホールでの興行で達也のプロデビュー戦が決まったと言われたのだった。それを聞いて達也はただただ天にも昇る心地だった。するとそこで透かさずストロング西川は「お前のデビュー戦の相手なんだが・・・・」と口を開いたので達也は「柴田先輩と闘いたいです」と答えるとストロング西川は「そうなんだよ。この間柴田から直接沢本のデビュー戦の相手は自分が努めたいので社長、何とかお願いしますなんて言われちゃってさ。しかもガチンコでって」と言うのだった。達也は「はい・・・・」と口ごもりながら頷いた。「お前らガチンコでやりたいみたいだけど、上手く試合をまとめられるの?」「必ずまとめてみせます。試合が壊れるような事は絶対にないと思います」達也は力強くそう言った。「分かった。新人がプロデビューする時はどこ団体でも負ける事が不文律なんだがなぁ。ガチンコでやる以上先輩から絶対に勝ちを奪い取れよ」「はい!」達也は直立不動の体勢でストロング西川に返事をするのだった。

 そうなると翌日から達也は目の色を変えて練習に取り組んだ。柴田にもストロング西川から達也のプロデビュー戦で対戦相手に決まった事が通達されたものか、昨日まで一緒にスパーリングをしていたはずであったのに今日からはお互いが視界に入らない状態で各々が殺気立って練習に打ち込むのだった。その達也には柴田戦においてある秘策を考えていた。それはローキックを柴田の両脚に放って下半身を弱体化させた上で柴田からテイクダウンを取る事だった。基本的にプロレスの試合では「ストンピング」と呼ばれる、倒れた相手を踏みつけるような足技しか認められていなかったが、浦和アカデミックプロレスの標榜するプロレスは「ゴツゴツした喧嘩プロレス」を目指していた為ローキック等何ら問題にされる事はなかったのだった。そもそもこのローキック作戦を考え出したのはいつも柴田とスパーリングをしていた際に達也が何度鋭いタックルで柴田に踏み込んでも柴田からテイクダウンを中々取れなかったからであった。寧ろタックルの低姿勢で踏み込んだ為に上から押しつぶされて逆に柴田にテイクダウンを取られてしまうような事もままあったのである。だからローキックを多用して柴田の下半身をふら付かせる事に重点を置いたのだった。

 折好く浦和アカデミックプロレスの練習場にはキックボクサーなんかが使用しているようなサンドバッグが吊るされてあったので達也はそれに思いっきり蹴りを放つのだった。一回一回そのサンドバッグが柴田の下半身である事を意識しつつ蹴りを放った。またサンドバッグであれば位置が固定されているので蹴りは必ず当たるのだが、相手が人間であればそうはいかないはずである。故に達也は様々な角度や距離からサンドバッグに相対してローキックの特訓を続けるのだった。ふと柴田の方へ視線を移してみれば、奴は相模川と黙々とスパーリングをしている。体重が達也に比べて格段に重い相模川とスパーリングをしていれば、達也と組み合う事等子供を相手に闘っているようなものと化してくるだろう。恐らくそれを想定して柴田は相模川とスパーリングをしているのだろう。そう思った達也はその対策もしなければならないと感じ、手の空いていそうな岡田に積極的にスパーリングの相手をしてくれるように頼んで、レスリングの技量も磨くのであった。

 やがて迎えた当日では達也のプロデビュー戦は順当に第一試合で組まれる事となった。それ故に達也は前回の後楽園ホールの興行とは異なりリングの掃除やグッズ販売の手伝いもそこそこに控室で準備運動をこなしたり、コスチュームを着用する事を許された。先輩からの御下がりではない、プロレス専門のコスチューム屋に頼んで作って貰った自分用の黒のショートタイツと黒のリングシューズを見て達也は改めて今日からプロレスラーになる事を実感した。思わず武者震いさえしてしまった。そして早速ショートタイツを着用してリングシューズを履いてみるとそれはもうどこからどう見ても一人前のプロレスラーの佇まいがあった。等身大の鏡の前に立ってみると182cmの身長に95キロの筋肉質の身体が華やぐようにしてそのショートタイツとリングシューズを歓迎しているようにも見えた。ここまで来るのに入団以来約六か月の時間を要したが、それが早いか遅いかは分からないものの、一つの達成感を感じた事は確かである。尚且つワクワクするような高揚感さえ感じてきたがそれを感じ切るのはまだ早いだろうとは思った。全てはプロデビュー戦で柴田に完勝してからの事である。

 この試合が打ち合わせなしの真剣勝負である事を知って岡田がセコンドを買って出てきた。リングで柴田と相対してみると柴田のセコンドにはどうやら相模川が控えているようだった。レフリーもこの試合が通常の試合とは異なっている事を踏まえてか試合前のボディチェックは執拗に念入りに行われた。選手コールは二人にとっての運命の人である島村香織である。本人はこの試合で彼らが彼女を巡って争う事になる等全く想定していない様子でまず達也の名前を「赤コーナー、182cm、209.4ポンド、沢本達也~!」と選手コールした。念願の島村香織による初コールである。達也は思いっきり右手を振り上げて舞い落ちてくる紙テープの束の中を潜った。客席からは沢山の拍手が飛んできた。その全てが達也にとっては快感となった。また島村香織が続けて「尚この試合は沢本達也選手のプロデビュー戦となります」と言えば、今度は満場の拍手がホールに鳴り響いた。それを聞いて達也は対角線上の柴田を睨みつつ思いっきり右手で自分の右頬を張ったのだった。

 一方の柴田も島村香織によって選手コールをされると舞い落ちてくる紙テープの束の中で大きく右手を上げてじっと達也の事を睨み据えている。その右手を凝視してみればピストルの形を象っているではないか。これはプロレス界では真剣勝負の試合の時に使用する「シュートサイン」を表す意思表示である。柴田のこの試合に掛ける本気さを達也は確と受け取った。やがてレフリーに二人はリングの中央に来る事を促されてそこで互いに睨み合いつつ握手をした。すると柴田が渾身の力で達也の掌を握って来たので達也も有りっ丈の握力で柴田の掌を握り返した。その間お互いに視線は全く外さなかった。それに痺れを切らしたレフリーは二人をコーナーに誘導させてリング下の島村香織にゴングを鳴らす事を要請した。「カーン!」脳髄まで響くようなその音がホールに鳴り響き、運命の試合が漸く始まった。

 先手を取ったのは素早く間合いを詰めた達也で張り手やローキックを駆使して柴田の機先を制した。だが柴田も達也の張り手を二発食らっただけで後は後続の張り手にしろ、ローキックにしろ、かわしたり腕で防いだりしながら自身も張り手を撃ち返したりエルボーを狙ってきたりと形勢を逆転しようと努めている。よくプロレスは「技を受けてこそなんぼ」と云う言われ方で技をかわしたり防いだりする事を否定的に論じる向きがあるが、ここ浦和アカデミックプロレスでは技を敢えて受けるような真似をすれば烈火の如くストロング西川の怒りを買った。「プロレスはルールある喧嘩なのだからそんな間抜けな事はするな!」と云うのである。それはストロング西川の中ではプロレスは打ち合わせがありつつも根本は格闘技であると云う信念がある為なのかも知れない。それ故に二人は気を抜く余裕等なく互いに相手の隙を狙って打撃技を繰り出していった。
 
 試合が始まって三分半が経過した頃に柴田が鋭くスピア(タックルの一種)を仕掛けて来、それが見事に決まった為に達也はそのままテイクダウンを取られてしまった。そして一気にマウントポジションまで持っていかれ危うく柴田に左腕を取られてしまいアームロックを極められかけたが、達也が俯き加減に近付いてきた柴田の顔面を思いっきり拳を握ってアッパー気味に打ち上げたので柴田はややもんどり打って倒れたのだった。それで透かさずレフリーに対して拳を作るジェスチャーをして反則である事をアピールしたが、レフリーは2カウントであった事を説明して取り合わなかった。プロレスは5カウント以内であれば反則技を使用しても反則負けにはならないルールである為である。観客もそれを分かっている為に特段ブーイング等を達也に飛ばす訳でもなく試合は何事もなかったように続行した。

 それから約五分間は一進一退の攻防が続いた。達也は秘策のローキックを出し続けたが柴田は悉くそれをかわして且つ間合いを計りつつスピアを何度も繰り出してきた。しかし達也も柴田にスパーリングのかわいがりで何度もそのスピアを食らっていた為にある程度は上手くかわせる対処法を身に付けていたのでそうやすやすとスピアを実践の場で食らう事はなかったのだった。けれども柴田は敢えて余裕綽々の表情を作りながらスピアを繰り出し続けた。それが試合開始から十分間程が経過した時からスタミナが切れ始めた柴田がバテ始めて代わりに面白いように達也のローキックが柴田の脛や太股にヒットし出したのである。そのうち柴田の脛や太股が青くなりだした事が達也にも確認出来る程となった。やがてスタミナが切れてしまった柴田は段々とふら付き始めて達也の何十回目かのローキックがヒットした際に転んでしまったのだった。絶好のチャンスが到来した事で達也は倒れた柴田を強引に仰向けにして自身が馬乗りの状態となった。それで有頂天となった達也は柴田の顔面を取り合えず張り手で殴りまくったが柴田は両腕を自身の顔面の前に突き出してガードポジションとして固めた為にその攻撃は無効となってしまった。

 丁度その時である。達也は張り手で柴田の顔面を殴ろうと必死になっている中でふと柴田が自分の両脚に全く意識を使っていない事に気が付いたのである。「そうだ、ヒールホールドを極めよう」そう思った途端に既に身体が先に動き始めて瞬時に達也は身体を方向転換させると柴田の右脚を掴んでいた。それに気付いた柴田が慌てて右脚を引っ込めようとしたがもう遅かった。達也は柴田の右脚を強引に自身の股に入れてから相手の踵を思いっきり両手を使って捻ったからである。実はこの技は岡田との自主トレーニングで教えてもらった技だった。それが今見事に極まり切ったのである。そして柴田は何秒間かはやせ我慢していたがやがて両手でマットをタップした。それを見たレフリーが達也の肩を叩いて両腕を柴田の右脚の踵から離すように指示する。言う通りに両腕を引き離すといきなりレフリーに引き立てられて達也は勝ち名乗りを受けたのだった。その瞬間ホールの声援と拍手が爆発したように鳴り響いた。
自分でも半ば信じがたい事だったがこの試合で達也は柴田に完勝したのである。それはローキックの特訓と岡田との自主トレーニングの賜物だったとも言えるだろうか。やがて勝利者インタビューとして島村香織がリングに上がって来てマイクを持ちながら達也に話しかけて来た。島村香織は「おめでとうございます!沢本選手!勝って何か一言ありませんか?」と聞いて来た。その時瞬時に達也の頭に告白の事が過った。「そうだ。ここで公開の告白をしよう」と思ったのだった。思った事は必ず実現させようとするのが達也の性分である。すぐさま達也は「島村さん、僕と付き合ってください」と口を衝いていた。この想定外の返答に当の島村香織も場内も大変に困惑してしまった。しかし瞬時にこのサプライズを歓迎した場内の方は拍手に包まれた。それだけではなく「いいぞ色男!」とか「夜の寝技は得意なのかぁ?」と冷やかしてくる馬鹿もいる。だが当の島村香織は何処かばつの悪そうな顔をしていた。そしてやや間をおいて後に「ごめんなさい。私は今付き合っている人がいるの」と言ったのだった。

 これに達也は酷くがっかりしたが透かさず「それは誰ですか?」と聞く事も忘れなかった。島村香織はますますばつの悪そうな顔をして赤面しながら「うーん、それはねぇ。岡田君!」と達也のセコンドに付いていた岡田を指を差しながらそう言ったのである。「えェ!」と達也は一驚してセコンドの方を振り向いてみればこれまたばつの悪そうな岡田は俯いて顔を達也の方には向けようとはしないのだった。この思いも寄らない展開に先程の試合直後以上にホールは拍手が飛び交い、達也に対して「残念だったなぁ」とか「次の女、次の女」とか云った慰めの声援も飛んで沸き返るのだった。しかしリング上の達也と柴田は島村香織が既に岡田と付き合っている事実を知って酷く項垂れてしまい、全くそれに反応する事が出来なかったのである。

 それから控室に一人で戻った達也は茫然自失の態でパイプ椅子に座り込んで一人思索に耽るのだった。先程までセコンドに付いていた岡田は何処かへと消えていた。だからであろうか、岡田が近くにいない状況で冷静に考え出してみると今まで不可解に思っていた事がしっかりと腑に落ちるようになって来るのだった。例えばそれは夜逃げした達也を呼び戻しに達也の実家まで岡田と島村香織が来た事である。そもそも岡田一人で迎えに来ても良さそうなものを島村香織も一緒に来ていた事が当初から訝しかったが、既にあの時期に二人は付き合っていたのだろう。そうでなければ態々あんな東京の片田舎である東村山市まで二人して来ないだろう。そして帰りに岡田が達也の自宅に泊まる事を断ったのは島村香織とラブホテル辺りで泊る予定となっていたからに違いない。差し詰めそれは夜景が綺麗な多摩湖のラブホテルと云ったところか。そんな事が分かると何だか達也は岡田の事が人間的にも好きなだけに何に対して当たり散らせばいいのか分からないのだった。と云って二人の恋を素直に応援する気持ちにも未だ至らないので達也はこの心のモヤモヤをどこにぶつけたら良いのか分からず、只管に不満であった。

 ただそれは達也だけではなく柴田も同様だったようで暫くして後に柴田が痛めた両脚をゆっくりと引きづって控室へと入って来ると「なんかぁ、がっかりだなぁ」と達也に同意を求めてくるのだった。それに達也が「全くです」と頷けば、柴田は「いやもう敬語は使わなくていいよ。お前と俺は同い年だし。今日からお前は練習生じゃなくてプロレスラーだしな」と言ってきた。また続けて「しかしお前のローキックは痛かったよ。それにあのヒールホールドはしっかり極まってたよ。俺はお前にヒールホールドを教えた覚えがないけど誰から習ったんだ?」と聞いてきたので達也は素直に「岡田さんから習ったんだよ」と答えると柴田は相好を崩して「何だよ。岡田から習った技で俺に勝って島村香織をゲットすると思いきや、岡田の為にフラれちゃったんだな。俺達。何か岡田の掌で踊ってたみたいだなぁ」と笑いつつ言うのだった。その言葉に達也はある種の残酷さを感じつつも「全くだなぁ」とこれまた笑いながら答える事が精一杯だった。ふと目の前の等身大の鏡に目をやれば柴田の張り手で顔を真っ赤に腫らした自分がパイプ椅子に座っている様子が映っていたが、この時ダメージが大きかったのは身体ではなく飽くまでも心の方であった事を達也は実感するのだった。それは初めてのギャラである五千円を社長のストロング西川に渡されても全くその実感が持てない程打ちのめされていたのである。

 その日の後楽園ホールの興行が終わって以降岡田は達也と二人の部屋では居心地が悪くなった為か柴田と相模川が寝ている部屋へと移動して、その代わりに柴田が達也と岡田が寝ていた部屋に入れ違いのように入ってきたのだった。ストロング西川も達也がリング上で公開告白をした時に島村香織と岡田との関係性を知ってしまった以上、無駄なトラブルは避けたいと思ったのか平然とその事を許可したようでもあった。因みに浦和アカデミックプロレスでは社内恋愛は禁止ではない為二人は何も咎められる事はしていないのである。しかしそれ以降達也と岡田の間に亀裂のような妙な深い溝が出来てしまった事は事実であった。合同練習の時間でも今まではスパーリングでもバーベルでも共に汗を流す時間が多かったのだが、あの日を境として岡田はサバイバル原口やミスター・ホーやプリティ大山と一緒に汗を流す事が多くなり、片や達也は寝室が一緒になった事でより仲良くなった柴田や相模川と共に身体を動かす機会が増えていった。達也としても早く岡田との溝を解消して以前のような関係性に戻りたかったのであるが、若さ故か無駄なプライドが邪魔をして素直に声を掛ける事がなかなか出来ないのだった。それは岡田の方も同じで全く達也の事等視界にさえ入っていないようでもある。そしてそんな日々が続く中で日本を揺るがすあの出来事に遭遇したのである。

 
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