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第4話
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9
(とりあえずまだ約束だけ。何かあってもやり直せる)
莉奈と別れてからも頭の中がぐちゃぐちゃになって考えがまとまらない。
莉奈には幸せになってほしい。それは心からの願いだ。
結婚という人生で一番大事なこと。姉だからって勝手に踏み込んでいいものだろうか。
本当にいい男性ひとで二度と巡り合えないような相手なら、私が壊してしまったら莉奈の人生をメチャクチャにすることになる。
(……一度会って人物を見極める。あぶない男だったらとめる)
悩んでるさなかに携帯が鳴った。女店長の菅谷さんだった。
「亜矢ちゃん、どこにいるの?」
「今昼休憩中で外です。店長はもう戻られたんですか」
「ううん。もう少しオーナーと話がある」
菅谷さんは雇われ店長でオーナーが別にいる。オーナーは世界中に不動産や店を所有しているので、あちこちを飛び回っている。実際に顔を合わせるのは年に数回ぐらいだ。
最近はグアムのゴルフ場に投資していると聞いていたが、先日帰国していた。
「明日ね、悪いけど出勤前に渋谷のTTビルに来れる?」
と、菅谷さんはオーナーの管理物件の名前をあげた。オーナーの事務所もそこにあると聞いている。
「だいじょうぶですよ」
「大事な話があるから。オーナーも一緒にね。店はサブの子にまかせといて」
直接オーナーと話すなんてめったにないことだ。
「分かりました。出勤前にうかがいます」
10
「渋谷店を引き受けてくれないか」
早朝の開店前。
ビルから見える風景は通勤時間の混雑の一歩手前だった。
オーナーの言葉のもたらした衝撃が大きすぎて、私は風景を観察する余裕もない。
意味が頭の中に落ち込むまで時間がかかった。
隣にいる菅谷さんも同意するように微笑んでいる。
小太りの身体をスーツに包み、銀髪をきちんとなでつけたオーナー。
二人とも正式に私に店長職を打診しているのだ。
「渋谷店……ですか? だって菅谷さんだっているじゃないですか」
まだ私は26歳、あんな旗艦店クラス…… 途方もない話だ。
一日の売り上げは時に何百万にものぼる。
「前からホノルルに新規出店する件言ってたろ。ようやくメドがついたから本格的にやりたいと思ってる」
「……ええ」
「初のハワイ出店だしね。太平洋区域の旗艦店クラスにまでもっていきたい。菅谷君はそこに連れていく」
「菅谷さんを…… それで私に渋谷店の方を?」
「そうだね」
頭がパニックになりそうになった。
「働いてまだ四年目ですよ。一番の激戦区なのに……お店を切り盛りできるか」
オーナーは銀髪をなでつけながら、ふくよかな頬をゆるめた。
「異例の抜擢なのは分かってる。でも前々から菅谷君とも話してたんだよ。君の働きぶりはずっと見てた。外商、経理、仕入れのセンス、モデルの手配、バイトの子の扱い、何をやらせても問題ない。
実際君を気に入ってるお客も多いだろう。ゆくゆくは、とは思ってたんだが、それがちょっと早くなるだけだ」
嬉しいという気持ちの反面、現実に頭が追い付かない。
……いつか自分の店を持ちたい。
それは長く温めていた夢だった。
経験を積んでお金をため、援助してくれるような人が出てくれれば可能性があると思っていた……
「もちろん不安なのは分かる。だから人も新しく入れるよ。経理のベテランや仕入れ担当もね。実務に強い連中をそろえてサポートをしっかりさせる」
戸惑っている私にオーナーは悪戯っぽい目つきを向ける。
「自信ないかい? 君にとってはチャンスでもある」
「ええ……」
夢が目の前に迫っている。大きく飛び立てるチャンス。尻込みしてたって始まらない。
「やります。やってみせます」
「よし。その言葉を待ってた」
満足そうにオーナーは私に手を差し出す。
力強く握手を交わしながら、身体の奥から熱い興奮が弾けそうになった。
11
「店長だって?」
口に運びかけていたコーヒーカップを隼也は皿に戻した。
「いつからだ?」
「そうね、近いうちに。今の店長がオーナーについてホノルルに行くの」
隻也は眉根を寄せて手を組む。何か悩んでいる様子だ。
「あんまり喜んでくれないのね」
男は恋人の出世を喜ばない、むしろ女が出世するのを嫌がることもある。
そんな言葉を思い出した。
「忙しくなるとは思うけど……店長の仕事も慣れれば普段通り会えるようになると思うわ」
「そうじゃなくて」
隼也は煩わしそうに首を振る。
「なに」
頬杖を突きながら半分ほど残ったコーヒーに目をやり、なんとはなしにスプーンでかき混ぜ続けている。
「あのな……」
「うん」
「俺もちょっと転勤になるかもしれない」
「ほんとに? どこ」
「エクアドル」
「エクアドル? あの南米の?」
さすがにあきれた。戦前の製糖会社が前身だったという隼也の会社は、今は商社の下請として海外業務もよくある。たまに海外出張でお土産をくれるのだ。
「それでな、どうしようかと思ったんだよ」
「なにが」
「おれたちのこと」
「…………」
「あっちにいったら簡単には帰ってこれないだろ?」
そう言って遠慮がちに私を見る。
「…………」
言葉を続けずに隼也はまた黒い液体をかきまぜた。
……ついて来てほしいのだろうか。
はっきり言わない。私が断ると分かってるのだろう。
(なんてタイミングよ……)
頭痛がしそうになる。莉奈のこともある。
とてもじゃないが今日本を離れるなんて無理だ。
迷って窓の外に目をやってる隼也。
(もし将来を大事に思うなら私たちも約束を……)
そんな思いも兆す。
しかし隼也を見ればそんな覚悟なんて無いのは分かり切ってる。
そんな重たい話などしょいこめる間柄でもないのだ。
「ずっと向こうにいるの?」
「いや、一時出向だ。でも一、二年ぐらいはいなくちゃいけない。
上の役職に就くには海外支社のことも分かってないとだめなんだよ。だから悪い話じゃない」
「出世コースなのね。なら辞退はできないわよねえ」
隼也の横顔ながめる。明るく裏表がない性格。お人好しでで少し優柔不断。
多少恋人として不満はあるものの、好きかと問われれば好きだ。嫌いな相手と二年も交際を続けられるわけがない。
まだ二人とも若く、たまに仕事の合間のアバンチュールを楽しむ。軽い恋の相手。
真剣に将来を考えるなんてまだ先の事。
口にしなくてもお互いに分かってる。
悩んでる隼也に同情めいた気持ちを抱く。
わたしと同じように突然降ってわいた将来への決断に苦しめられてるのだろう。
以前から自分の店を持ちたいとは話していた。だから私の気持ちもよく承知してるはずだ。
どこかぎこちない雰囲気になってくる。
お互いの気持ちを分かっていながら身動きがとれないジレンマ。
「なあ」
意を決したように隼也は顔をあげた。
私の目を見て身体を乗り出す。
「エクアドルについてきてくれって言ったら来てくれるか?」
やるせないため息がもれて隼也の瞳を見返す。はっきりと首を振った。
「無理。今はついていけない」
(とりあえずまだ約束だけ。何かあってもやり直せる)
莉奈と別れてからも頭の中がぐちゃぐちゃになって考えがまとまらない。
莉奈には幸せになってほしい。それは心からの願いだ。
結婚という人生で一番大事なこと。姉だからって勝手に踏み込んでいいものだろうか。
本当にいい男性ひとで二度と巡り合えないような相手なら、私が壊してしまったら莉奈の人生をメチャクチャにすることになる。
(……一度会って人物を見極める。あぶない男だったらとめる)
悩んでるさなかに携帯が鳴った。女店長の菅谷さんだった。
「亜矢ちゃん、どこにいるの?」
「今昼休憩中で外です。店長はもう戻られたんですか」
「ううん。もう少しオーナーと話がある」
菅谷さんは雇われ店長でオーナーが別にいる。オーナーは世界中に不動産や店を所有しているので、あちこちを飛び回っている。実際に顔を合わせるのは年に数回ぐらいだ。
最近はグアムのゴルフ場に投資していると聞いていたが、先日帰国していた。
「明日ね、悪いけど出勤前に渋谷のTTビルに来れる?」
と、菅谷さんはオーナーの管理物件の名前をあげた。オーナーの事務所もそこにあると聞いている。
「だいじょうぶですよ」
「大事な話があるから。オーナーも一緒にね。店はサブの子にまかせといて」
直接オーナーと話すなんてめったにないことだ。
「分かりました。出勤前にうかがいます」
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「渋谷店を引き受けてくれないか」
早朝の開店前。
ビルから見える風景は通勤時間の混雑の一歩手前だった。
オーナーの言葉のもたらした衝撃が大きすぎて、私は風景を観察する余裕もない。
意味が頭の中に落ち込むまで時間がかかった。
隣にいる菅谷さんも同意するように微笑んでいる。
小太りの身体をスーツに包み、銀髪をきちんとなでつけたオーナー。
二人とも正式に私に店長職を打診しているのだ。
「渋谷店……ですか? だって菅谷さんだっているじゃないですか」
まだ私は26歳、あんな旗艦店クラス…… 途方もない話だ。
一日の売り上げは時に何百万にものぼる。
「前からホノルルに新規出店する件言ってたろ。ようやくメドがついたから本格的にやりたいと思ってる」
「……ええ」
「初のハワイ出店だしね。太平洋区域の旗艦店クラスにまでもっていきたい。菅谷君はそこに連れていく」
「菅谷さんを…… それで私に渋谷店の方を?」
「そうだね」
頭がパニックになりそうになった。
「働いてまだ四年目ですよ。一番の激戦区なのに……お店を切り盛りできるか」
オーナーは銀髪をなでつけながら、ふくよかな頬をゆるめた。
「異例の抜擢なのは分かってる。でも前々から菅谷君とも話してたんだよ。君の働きぶりはずっと見てた。外商、経理、仕入れのセンス、モデルの手配、バイトの子の扱い、何をやらせても問題ない。
実際君を気に入ってるお客も多いだろう。ゆくゆくは、とは思ってたんだが、それがちょっと早くなるだけだ」
嬉しいという気持ちの反面、現実に頭が追い付かない。
……いつか自分の店を持ちたい。
それは長く温めていた夢だった。
経験を積んでお金をため、援助してくれるような人が出てくれれば可能性があると思っていた……
「もちろん不安なのは分かる。だから人も新しく入れるよ。経理のベテランや仕入れ担当もね。実務に強い連中をそろえてサポートをしっかりさせる」
戸惑っている私にオーナーは悪戯っぽい目つきを向ける。
「自信ないかい? 君にとってはチャンスでもある」
「ええ……」
夢が目の前に迫っている。大きく飛び立てるチャンス。尻込みしてたって始まらない。
「やります。やってみせます」
「よし。その言葉を待ってた」
満足そうにオーナーは私に手を差し出す。
力強く握手を交わしながら、身体の奥から熱い興奮が弾けそうになった。
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「店長だって?」
口に運びかけていたコーヒーカップを隼也は皿に戻した。
「いつからだ?」
「そうね、近いうちに。今の店長がオーナーについてホノルルに行くの」
隻也は眉根を寄せて手を組む。何か悩んでいる様子だ。
「あんまり喜んでくれないのね」
男は恋人の出世を喜ばない、むしろ女が出世するのを嫌がることもある。
そんな言葉を思い出した。
「忙しくなるとは思うけど……店長の仕事も慣れれば普段通り会えるようになると思うわ」
「そうじゃなくて」
隼也は煩わしそうに首を振る。
「なに」
頬杖を突きながら半分ほど残ったコーヒーに目をやり、なんとはなしにスプーンでかき混ぜ続けている。
「あのな……」
「うん」
「俺もちょっと転勤になるかもしれない」
「ほんとに? どこ」
「エクアドル」
「エクアドル? あの南米の?」
さすがにあきれた。戦前の製糖会社が前身だったという隼也の会社は、今は商社の下請として海外業務もよくある。たまに海外出張でお土産をくれるのだ。
「それでな、どうしようかと思ったんだよ」
「なにが」
「おれたちのこと」
「…………」
「あっちにいったら簡単には帰ってこれないだろ?」
そう言って遠慮がちに私を見る。
「…………」
言葉を続けずに隼也はまた黒い液体をかきまぜた。
……ついて来てほしいのだろうか。
はっきり言わない。私が断ると分かってるのだろう。
(なんてタイミングよ……)
頭痛がしそうになる。莉奈のこともある。
とてもじゃないが今日本を離れるなんて無理だ。
迷って窓の外に目をやってる隼也。
(もし将来を大事に思うなら私たちも約束を……)
そんな思いも兆す。
しかし隼也を見ればそんな覚悟なんて無いのは分かり切ってる。
そんな重たい話などしょいこめる間柄でもないのだ。
「ずっと向こうにいるの?」
「いや、一時出向だ。でも一、二年ぐらいはいなくちゃいけない。
上の役職に就くには海外支社のことも分かってないとだめなんだよ。だから悪い話じゃない」
「出世コースなのね。なら辞退はできないわよねえ」
隼也の横顔ながめる。明るく裏表がない性格。お人好しでで少し優柔不断。
多少恋人として不満はあるものの、好きかと問われれば好きだ。嫌いな相手と二年も交際を続けられるわけがない。
まだ二人とも若く、たまに仕事の合間のアバンチュールを楽しむ。軽い恋の相手。
真剣に将来を考えるなんてまだ先の事。
口にしなくてもお互いに分かってる。
悩んでる隼也に同情めいた気持ちを抱く。
わたしと同じように突然降ってわいた将来への決断に苦しめられてるのだろう。
以前から自分の店を持ちたいとは話していた。だから私の気持ちもよく承知してるはずだ。
どこかぎこちない雰囲気になってくる。
お互いの気持ちを分かっていながら身動きがとれないジレンマ。
「なあ」
意を決したように隼也は顔をあげた。
私の目を見て身体を乗り出す。
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