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第9話
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「今後の店の運営は将来のテストになるからね」
ホノルルに発つ前にオーナーは説明した。
「とりあえずは店長代行という形でやってもらう。佐田君を副店長にして君をフォローさせるから。新しい人材も入れたし銀行にもよろしく言ってある。距離はあるけど今はメールだって何だって使える。困ったことがあったら遠慮なく言ってくれ」
「ありがとうございます」
「亜矢ちゃんなら大丈夫よ。今までいろんな子を使ってきたけど、あなたが一番よくできたもの」
菅谷さんは福々しい笑みを見せながら私の背中を叩いた。
「ただね、一スタッフとして働くのとトップで動くのは感覚が全然違うから。そこは気を付けて」
「はい、やれるだけやってみます」
こうして私は新しい肩書きと立場を手に入れた。
ずっと菅谷さんのそばに付いてて仕事のあらましは分かっている。
菅谷さんの代理で折衝することもあったのだ。
しかし頼れる人がいるのと自分に責任があるのではプレッシャーが違う。
発注も、人の手配も、店の管理も、すべてが自分にかかっている。
ウインドー越しの行き交う人々。
誰もがお洒落に着飾って東京の一番の華やかな部分が集まっているように映る。
目抜き通りの人気店。
二十代でここまで出世する人間は少ない。
私は大きく深呼吸して鏡で服を整える。
――失敗したら将来の道も閉ざされる。
身震いするような気持ちに襲われる。競技場に向かう選手と似た感情。
絶対に店は傾かせない。
自分にそう誓った。
◇
携帯が震えて画面を見る。
隼也だ。
結局私は隼也にはついていかなかった。
隼也も強いてエクアドルまでついてくるよう求めなかった。
幸い駐在期間は一年程度で終わるとの話だった。
お互いに別れを告げてはいない。
将来について本格的に話すのは帰国後になるだろう。
慣れない土地で寂しいのか、現地に行った当初は毎晩のようにメールが入っていた。
直接に顔を合わせる機会が減った分、逆に仲が深まったような気もする。
メールで時にはスカイプで私たちは会話を交わした。
一昔前の遠距離恋愛と違ってほんとにIT技術というものは有難い。
どのみち店長に就任が近づいてずっと目の回るような忙しさが続いていた。
これからはもっと多忙になる。
隼也が日本にいても会う回数は減っていただろう。
使い勝手の良いネットの方が逆に仲をとりもってくれていた。
――そう、その時までは公私ともに新しいスタートを切れてるように見えていたのだ。
22
異変は一本の深夜のコールから始まった。
その日は展示会に向けての資材と商品の手配に大忙しで、家に戻ると12時を回っていた。
スーツ姿のままベットに転がってしまい夢うつつの中でコール音で引き戻された。
「……おねえちゃん」
「何、どうしたの。こんな遅くに」
疲れてるのもあって声が尖った。
「うん……」
「なによ」
眠気と疲労で頭が靄がかかったようで最初莉奈の様子に気付けなかった。
「あのね……」
らしくない歯切れの悪さにようやくおかしいと悟る。
ベットに起き直って枕もとの炭酸水を口に流し込む。
「なに、言ってごらんなさい」
「うん……」
言葉に力もない。やはりいつもの莉奈ではない。
「何、槇岡さんのこと?」
「そう」
今の莉奈の心を煩わすのはそれしかない。
「どうした? ケンカでもした」
「ううん」
莉奈の沈んだ表情が目の前に浮かぶようだった。
「莉奈、どうしたの。はっきり言いなさい」
「あのね……なんだか美津がおかしい……」
「おかしいって? どんな風に」
「なんとなく……」
思わず身体から力が脱ける。
「なんとなくって……」
柱時計に目をやると二時過ぎてる。明日も早朝から打ち合わせがあるというのに……
叱りつけて受話器を置きたくなる気持ちをぐっとこらえる。
今の莉奈の雰囲気は無視していいものじゃない。
「……ケンカしたとかそういうことじゃないのね」
「違うの。……一緒にいてもなんとなく浮の空だし、変に一人で外出するのが増えてて」
不吉な予感が心に兆す。まさか……と探りたくなる気持ちを打ち消す。
「……あんたもあの人も結婚は初めてでしょ。ほんとに結婚とか考えると気持ちが重たくなることもあると思うわ。男でも」
「……そうかな」
「あんたが変に気にしすぎてるんじゃないの。美津さんはビジネスだってあるし。好きなのは分かるけど今から気にしすぎてたら結婚してから大変よ」
「……うん、そうかも。でもね、何となくおかしいっていうのあるじゃない」
「…………」
莉奈は割合その辺りの感受性が鋭い。どうも思い過ごしでもないかもしれない。
「まさか……浮気してるって?」
「そうじゃないと思いたいけど」
声から苦笑いのような表情が伝わってくる。まだ確証があるわけじゃないようだ。
「特定の誰かと連絡とりあってたりしてる?」
考えるように間を置く。
「多いのは女の人は秘書の人だけ。他はそんなに……携帯かかさずチェックしてるもの」
「あら」
少し雰囲気が柔らぐ。
「あの人らしくない香水の匂いさせてるとか、見慣れぬ持ち物があったりしない?」
「そういうのは無いけど」
「じゃあはっきり証拠があるわけでもないのね」
「そう……だけど」
「何も言われてない。何も怪しいものもない。……でもなんだか気になるって……どうすんのよ。あんたがマリッジブルーにでもなってんじゃないの」
「でもね、でもね」
莉奈の声が大きく上ずった。
「あたしがちょっと居眠りしたりするでしょう? 目が覚めたらじっと見つめてたりすることもあるの」
「それってあんたを愛しいって思ってるんじゃないの。未来の伴侶として」
「うーん……なんて言ったらいいのかな。そういうのじゃなくて。凄く怖いぐらい真剣な目付きで。あたしを見ながらじっと何か考えるような……」
「…………」
「どうしたの、って聞いてもなんでもないって言うだけ」
「今までもそんなことあった?」
「ううん。美津はいつも自分の気持ち話してくれたし何でも答えてくれた。“一緒にそばにいてくれてる”って気がしてたの。何も言わなくても」
「……うーん、難しいわねえ。なんだか微妙な話」
私も言うべき言葉に詰まる。
結婚を視野に入れると誰でも相手のことを改めて見直すだろう。
本当に一生に連れ添っていけるか、この相手でいいのか……
誰にでもある結婚前の憂鬱な時期。
それであってほしかった。莉奈が気を回しすぎてるだけだと……
ただ槇岡は立場も普通の人間とは違う。
財閥と言っていいほどの規模の名門企業の跡取り。
結婚相手は家や会社の評判のすべてに関係してくる。
別の不安が忍び寄ってきて心が曇る。
女関係じゃなくて世間体や莉奈の社会人としての能力を見られる可能性もある。
莉奈は天真爛漫で嘘がつけない性格だ。
そこが愛されるところでもあり、逆に低く評価する人もいるだろう。
経営のサポートは莉奈では無理だ。社長夫人なんて柄じゃない。
家名とかいったことまで考え出したのではないか。
本人が良くても周りからのプレッシャーが……
「ねえ莉奈、槇岡さんの会社の人とか親戚の人と会った?」
「親戚とは大体会ったよ。食事会みたいなのがあって。でも会社の人とはあんまり」
「で、どうだった? その……意地悪されたり、悪口言われたりとか」
「ううん。別に。顔合わせみたいなもんだったし。何か失敗した覚えもないし。美津からも何も言われなかった」
「……そう」
「会社の人はね、おいおいと紹介していくって。パーティーとか。でも仕事関係はあんま気にしなくていいって言ってた」
そっち方面でもないとしたら何が原因なのか。
「今聞いてるだけじゃ分かんないわね。やっぱり槇岡さんも結婚前でブルーになってるかもしれないわね」
「……そうだ、お姉ちゃん、お願い」
「なに?」
莉奈の言葉に嫌な予感がする。いつもの調子だ。
「美津にもう一回会って。こっそりさ、聞き出して。お姉ちゃんになら言うかもしれないでしょ」
結局私にまわってくるのだ。
「……こっちもね、すごく忙しいのよ」
「お願いだから! このままだと気になって落ち着かないもの」
頭が痛くなってくる。やれやれだ。
「分かったわ。なんとか時間作ってまた会うから」
「良かった! 何か不満がありそうだったら聞き出して。あたしに悪いところあったら直すから」
無邪気に莉奈はそう言った。
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