妹の婚約者と三角関係の私

ringnats1111

文字の大きさ
10 / 21

第10話

しおりを挟む
23
初めは店の経営は順調に行くように思えていた。
スタッフの子たちも何くれとフォローしてくれ、年輩の人たちも心配したほど私に反抗したり嫌がらせをするようなこともなかった。

ホノルルからたえずオーナーや菅谷さんが連絡をくれてフォローしてくれた。
オーナー肝煎りで入社した経理・在庫管理担当は、さすがやり手の眼鏡にかなっただけあって仕事ぶりは文句のつけようもない。在庫管理に関しては新入社員の彼に皆がものを教わるレベルだった。

最初の不安も消えて店は軌道を踏み外すこともなく、オーナーに売り上げ日報をメールする時は胸を張るような気分だった。
そこは二十年以上続いてきた人気店、固定客とブランドがしっかりと根を下ろしていた。
多少の新規ライバルの出現してもやりあえるはずだった。

――あの店が現われるまでは。


気づいたきっかけは美和ちゃんの呟きだった。
「高階様、このころ姿見せませんね」
その言葉にハッとなる。
あの背後霊のように私をひいきしてくれてた有閑マダムの姿。
店長の仕事にかまけて上得意を失念していた。

そういえば、展示会やファッションウィークのご案内も送っているのにまるで姿を見せない。
(あの人にとって買い物は薬物中毒みたいなものなのに……)
不謹慎ながら一人思う。

社長である夫が多忙で不在、日々の欲求不満を買い物で埋めているのだ。
近場まで来たら用はなくても顔を出し、私らにあの肉付きの良い身体を見せてくる。

カレンダーに目をやってその異常さに気付く。
今までは月に数回――一、二週間に一度はのぞきに来るのが常だった。
かれこれ二か月近く姿を見せていない。

「言われてみれば……。まさか病気にでもなったんじゃないでしょうね。店任されたときに挨拶状も送ったのに」
うぬぼれてるわけじゃないが別荘に招かれるほどの仲だ。嫌われたとか、敬遠されてるとは考えにくい。

脚立に乗って壁に帽子の飾りつけをしていた陽子ちゃんが振り向かずに声をあげる。
「高階様ってあの眼鏡をかけたぽっちゃりおばちゃんですよね? 駅の近くで見ましたよ」
「“スイーツスタジオ”の近くでしょ? 食べ放題でお気に入りだったもの」
「いえ、そこじゃなくて。服屋です。あのコレピーノっていう新しいお店から出て来てました」
「コレピーノ?」
記憶を探っても見つからない名前に戸惑う。眉根をよせる私に美和ちゃんが棚から真っ赤なチラシを出して振る。
「これですよ」
「ああ」
閉じられていた扉が開く思いがした。
新装開店を告げる駅の看板。チラシを配る派手な舞台化粧をした踊り子風の若い子。
「……まさかあっちの店に通ってらっしゃるのかしらね」
なんとはなしに心にひっかかる。大口のお客であり長年のうちのパトロンだ。
どんなに新しい店ができても浮気する人ではなかった。よっぽど妙齢のマダムをつかんではなさない魅力があるのか。

ライバル店にも備えを怠らないのが店長の役目だ。
その辺は私もまだまだ従業員の気分が抜けていなかった。

「……一度偵察にいかなくちゃね。おたがいに新店長同士だし」

24
意外にも連絡は槇岡の方からよこしてきた。
「話したいことがある。仕事終わって会わないか」
どうやって切り出すか迷っていた私に渡りに船だった。
その日、店を任せられて以来初めて早めに仕事を区切りをつけ佐田さんに後を頼んだ。


迎えの車を降りると思わず足が止まる。
緩やかな流れの小川にアーチ風の橋が架かり、道沿いにはアンティークのような街灯が瞬いてる。
レンガを敷き詰められた中に道脇にモノトーンを基調としたカフェが姿を見せていた。

長年東京に住んでいてこんな一角があるとは聞いたこともない。何かの特区なのだろうか、ここだけ別世界だった。
(よく知ってるわね、こんな穴場を)
デートスポットには最適の場所だろう。槇岡の店選びのセンスに素直に感心した。

窓越しに私を見つけてジャケット姿の槇岡が手を振る。
通りを一望できる一番良い席を確保してるのが見て取れた。
泊りの時と同じように慣れた物腰で私を迎え席を勧める。

小粋な店内で洗練された美青年とシナモンティーを囲む。以前と同じように暖かく打ち解けた雰囲気のはずだった。しかし槇岡が笑みとシナモンの香りの中で発した第一声はすべてを打ち砕くものだった。

「莉奈と別れたい」

口に運びかけたカップが凍り付く。身体が震えだした。二の句が継げないとはこのことだった。
(この男は……)
何か言おうとしても口がパクパクと金魚のようになるだけで言葉が出ない。
あまりに怒りが大きいと言葉が出なくなると初めて知った。
「あんたね……」
煮えたぎる感情が噴き出して冷静に考えられない。
「――他に好きな子ができたのね?」
悪びれずに槇岡は首を縦に振る。
「そうだ」
絶望感とめまいで嘔吐めいた感情に襲われる。
昨日今日の話で目の前に平然と座っている槇岡が信じられない。
あの口ぶりはなんだったの? 莉奈と本気で向き合ってるんじゃなかったの? 
頭からお茶をぶっかけそうになるのを辛うじておさえる。
「……さいってー」
やはり反対しておくべきだった。
信じ切ってすべてを槇岡に預けたような莉奈の笑顔。
涙と絶望の中で崩れるのはもうすぐだ。

カップに添えた手が小刻みに震えて音をたてる。どこ吹く風と涼し気な顔つきで槇岡は年代物の白い茶碗を口に運ぶ。私の激情は決壊した。
「ねえ……あんたなんなの? 自分の言葉忘れたの!」
引きちぎらんばかりにテーブルクロスを握りしめたせいで、純白の波がテーブルに乱れる。
(この男を信じるんじゃなかった)
マリアちゃんが言ってたように最低の色事師なのだ。
ほだされて騙された自分が腹立たしい。
「落ち着けよ」
顔をしかめて槇岡は私の手を取り上げクロスの皺を直す。思わず手を振りほどく。
「それで……どうやって莉奈には話す気?」
痛いところを突かれたようにうつむく槇岡。少しは気にしてるのか。
「あなたが気が変わるのは勝手だけどね、言い方にも気をつけなさい! ひどい振り方したらゆるさないから」
慰謝料をたっぷり取ってやれ。莉奈にそうけしかけたい。言葉を吐き出すほど気持ちがたかぶってくる。
「あなた言ったわよね? 本気とか言ってたのは何だったの?」
掌を叩きつけると皿や砂糖壺がひどい音をたてた。マスターが遠くから不安げな顔をのぞかせる。周りにも客がいたが構っていられない。
「莉奈だけじゃなくて…… ずっとそうだったんでしょう? やっぱり噂通りじゃない」
黙って言葉を浴びせられる槇岡。
「この嘘つき……」
何を言われても動揺した様子を見せない。その澄まして整った顔をひっぱたいてやりたかった。
「あなたにとって……女の子はいっときの遊びなのね? 車とかアクセサリーと同じで。飽きたらポイ」
「…………」
「分かる? 莉奈は本気で人生を捧げようって思ってたの。あなたに。それがいきなり奈落の底に突き落とされて……。莉奈の人生も何もかも壊したのと同じ。だいたいね……」
片手をあげて槇岡は私を制した。
「あんまり感情的になりすぎるな。それに俺は嘘はついてない」
「な……」
ぬけぬけと言い出す槇岡に絶句する。
「……嘘もいいところじゃない。莉奈を裏切って別の……」
「前にも言ったはずだ。俺は本当に心から愛せる女としか付き合えない。同時に二人の女は相手にできない」
「…………」
「愛情が冷めてるのに付き合いを続ける方が相手に侮辱だ。惰性や性欲でな。その気がないならはっきり切る。そっちの方が相手へのリスペクトだ。それにもう一つ言ったはず」
槇岡の唇に欲情じみた笑みが兆す。野性味を秘めた輝きが瞳に燃え上がった。
「本当に愛する相手ならどんな犠牲を払ってでも手に入れる。それが愛の証だと」
言葉の奥にある底知れぬ怖ろしさについ気圧される。
「……ほんと身勝手な理屈」
「君の莉奈への思いは承知してる。だから別れを告げる時は君もそばにいてくれ」
「はあ?」
予想外の答えに力が抜けそうになる。
「何言ってるの? なだめるため? それとも私に代わりに言わせる気? ふざけないで」
この年になってまた「別れさせ役」をやらされるとは思わなかった。
「違う。今までの経験から言うと新しい相手を紹介するのが一番早かった。関係を断つには」
「そりゃ別の女を連れてこられたらショックでしょうね。でも相手の女の子はどれだけ傷つくか……ほんと最低」
そこまで言って私は気付く。別の女?
漆黒の深さをたたえた瞳。澄んでいながら奥行きのある瞳には、余人には代えがたい獣のような欲望が浮かんでいた。美しくも危なげな瞳にとらえて離さない魅力があるのは否定できない。
「新しい相手……?」
槇岡はきょとんとした表情になる。
「だから言ってるじゃないか。君に一緒にいてほしいって」
片手でスプーンを取って私を指す。
「莉奈には自分で言うよ。君のお姉さんが好きになった。最愛の人だから別れてほしいって」
「…………」
槇岡の言葉が頭に入らない。すべて真っ白になった。
「あたし……?」
「そう」
言葉の意味が心に落ち込んだ時、経験したことのない感情が爆発した。椅子を蹴倒す。
「あんた、あったまおかしいんじゃない!? 何考えてるわけ?」
まったく動じない槇岡。クールな含み笑いの美青年。


外見と裏腹のクレイジーさに頭がどうにかなりそうだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】大好きな彼が妹と結婚する……と思ったら?

江崎美彩
恋愛
誰にでも愛される可愛い妹としっかり者の姉である私。 大好きな従兄弟と人気のカフェに並んでいたら、いつも通り気ままに振る舞う妹の後ろ姿を見ながら彼が「結婚したいと思ってる」って呟いて…… さっくり読める短編です。 異世界もののつもりで書いてますが、あまり異世界感はありません。

龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜

クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。 生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。 母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。 そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。 それから〜18年後 約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。 アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。 いざ〜龍国へ出発した。 あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね?? 確か双子だったよね? もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜! 物語に登場する人物達の視点です。

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

行き倒れていた人達を助けたら、8年前にわたしを追い出した元家族でした

柚木ゆず
恋愛
 行き倒れていた3人の男女を介抱したら、その人達は8年前にわたしをお屋敷から追い出した実父と継母と腹違いの妹でした。  お父様達は貴族なのに3人だけで行動していて、しかも当時の面影がなくなるほどに全員が老けてやつれていたんです。わたしが追い出されてから今日までの間に、なにがあったのでしょうか……? ※体調の影響で一時的に感想欄を閉じております。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

秋色のおくりもの

藤谷 郁
恋愛
私が恋した透さんは、ご近所のお兄さん。ある日、彼に見合い話が持ち上がって―― ※エブリスタさまにも投稿します

縁の鎖

T T
恋愛
姉と妹 切れる事のない鎖 縁と言うには悲しく残酷な、姉妹の物語 公爵家の敷地内に佇む小さな離れの屋敷で母と私は捨て置かれるように、公爵家の母屋には義妹と義母が優雅に暮らす。 正妻の母は寂しそうに毎夜、父の肖像画を見つめ 「私の罪は私まで。」 と私が眠りに着くと語りかける。 妾の義母も義妹も気にする事なく暮らしていたが、母の死で一変。 父は義母に心酔し、義母は義妹を溺愛し、義妹は私の婚約者を懸想している家に私の居場所など無い。 全てを奪われる。 宝石もドレスもお人形も婚約者も地位も母の命も、何もかも・・・。 全てをあげるから、私の心だけは奪わないで!!

処理中です...