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あがいて苦しむよりは諦めたほうが楽なの

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エリカを再び手中に収めようと夢中のガブリュー大佐。 その大佐を制止する声が背後から響く。

「まて大佐、それでは話が違う!」

大佐とエリカのやり取りに気づいた市民総代たちが、いつの間にかガブリュー大佐の背後に来ていたのである。

大佐は苛立たしげに振り返ると、総代たちに向かって言い放つ。

「ファントムの支配は国の方針だ。 邪魔するなら反逆者とみなす!」

「なにいっ?」「はっ...」「反逆者?」

さきほどの話し合いのときと全く違うガブリュー大佐の言葉と物腰に総代たちはたじろいだり息をんだり。 彼らは大佐の豹変ぶりを理解できなかった。

このとき、大佐は実はエリカを《支配》しなおす千載一遇のチャンスを得たことに舞い上がり、チャンスをものにしようと焦っていた。 それゆえにこの稚拙な対応である。

面と向かって大佐に言葉を叩きつけられた総代たちはひるんだが、総代たちの後ろに立つ群衆はひるむどころか大佐の発言に気色けしきばむ。

「オレたちが反逆者だと!?」「上等じゃねーか」「やってやんぞ、この野郎!」「ファントムさんを支配なぞすればザルスがほろぶぞ」「市民全員を敵に回すってのか!」「この人数を拘留できるもんか」「エリカさんを支配するなんて許せない!」

大佐の発言が聞こえる距離にいた市民たちが、大佐とその部下たちを取り囲むようににじり・・・寄る。 気の早い者はすでに戦闘用の呪文を唱え始めている。

アリスの鐘の音に応じて集まっただけに、広場に集まった群衆はファントムさんを敬愛あるいは畏敬する純朴な市民の率が高い。 さらに、軍との衝突を予想あるいは期待する血気盛んな若者が大佐たちに近い群衆前線ぐんしゅうぜんせんに出てきていた。 腰に剣を下げたハンターの姿もチラホラ。 大佐の不用意な発言は、そんな群衆を殺気立たせるのに十分だった。

大佐の発言が数千人の群衆の後方へと口伝くちづてで波のように伝播するにつれ、群衆のざわめきが大きくなる。

「ファントムさんの支配は国の方針らしいぞ」「ほんとうなの?」「軍の暴走じゃないのか?」「邪魔すると反逆者だってよ」「バカな! ファントムさんを支配などしたら...」

広場を包むザワめきはドヨめきへと移行しつつあった。



群衆が騒ぎ始めたとき、エリカの心中にまず去来したのは感謝と感激だった。

(こんなに大勢の人たちが私のために怒ってくれるなんて!)

感動がエリカの瞳をうるませ、肌を軽く粟立せる。 エリカは感情が浅くて動きやすく、しかも表に出やすいタイプである。 さほど強く感じてもいない感情が簡単に表に出してしまう。

だが表に出た感情は心の中での寿命が短い。 感動もまたしかり。 そんなわけで、エリカの胸中は自分でも嫌になるほど速やかに感動から打算へと入れ替わった。

(これはチャンスかも。 この人たちが大佐たちを始末してくれれば私は逃げれる?)

しかしエリカはすぐに、メカジキにまで死なれるとマズいと気付く。

(メカジキまで殺されると《支配》が切れたときヤバい)



ガブリュー大佐の部下たちは、敵意をつのらせる群衆に対して警戒態勢を取る。 しかし、その数は大佐も含めてわずか9名。

大佐たちのピンチを見た幾人かの兵士が仲間意識に駆られて軍庁舎からバラバラと駆け出してくるが、群衆の規模に比して人数が圧倒的に少ない。 イイクニ中佐は庁舎のロビーから広場の様子を見守っているはずだが、あくまでも見守るだけなのだろうか?

大佐の部下たちは大佐に眼差しで訴えかける。

「前言を撤回して市民に謝罪してください」「今ならまだ間に合います」「ファントムさん《支配》とか、もういいじゃないですか」

しかし大佐は殺気立つ群衆にも部下の視線にも動じない。

彼はまずエリカに「命令」する。

「我々を襲おうとする者がいれば殺せ」

今にも大佐たちに襲いかかろうとしていた群衆は、大佐のこの機略にの音も出なかった。 一斉に襲いかかれば大佐たちを倒せるのは疑いないが、畏敬の対象であるファントムさんに敵対するなど彼らには考えられなかった。 それに、ファントムさんを相手にしようものなら何人もの犠牲者が出るのは確実である。

こうしてたったの一言で群衆を抑えた大佐は次に、メカジキ少尉に指示を出す。

「少尉、グズグズするな《支配》の呪文だ」

群衆からの盾としてエリカを利用しつつ、そのエリカを《支配》し直すという実に悪どいやり方であった。

言われるままにメカジキ少尉は呪文を唱え始める。

「ロブドブロプストリケラス...」



大佐の「命令」に従い群衆の動きに注意を払いながらも、エリカは心を落ち着かせようと自分に言い聞かせる。

(落ち着きなさい、落ち着くのよエリカ。 落ち着きさえすれば《支配》をオフにできるんだから)

しかしメカジキ少尉の唱える《支配》の呪文が気になって気になって、エリカは心を落ち着けられない。

「...コリトスポリッキーメトール...」

焦るエリカ。 為す術もなくメカジキ少尉と大佐を睨む群衆。 彼らを尻目に《支配》の詠唱は着々と進行する。

「...クールミトンポリカスエート オオヌカセヤーク...」

(ああっ、やめて唱えないで)

エリカはもはや心を落ち着かせるのを諦めて、メカジキの呪文が何らかの理由で中断されるのを願うばかりだった。 彼女の心はもう折れかけていたのである。

「...ヌカクニギレノンニウデオシ...」

(もうダメ。 私また《支配》されちゃうのね)

《支配》の呪文の詠唱はまだ半ば辺りなのだが、エリカは早くも諦めようとしていた。 エリカは非常に諦めのよい人間である。 思い起こせば、前世で人嫌いで自殺したときもそうだった。 あがいて苦しむよりは諦めたほうが楽なの。 それが彼女の人生訓である。

(あと一歩で、もう少しで自由を取り戻せたのに...)

エリカのモノローグ独白も、もはや過去形。 《支配》を逃れるチャンスはエリカにとって既に過去の出来事であった。 まだ努力の余地は残っているというのに...



諦めたことでエリカの心に束の間の弛緩が生まれ、彼女の心は現在を離れて過去へと向かう。 そして思い出すのは初めて「命令」されたときのこと。

あれは... もう1ヶ月も前になる。 痺れ薬を盛られて《支配》され、麻痺が十分に治らないうちに6つの命令基本ルールをノートに書くよう命じられたのだった。 痺れのせいでペンを満足に握れない手で、自分の涙で濡れたノートに自分を縛る6つの命令を書き込んだ辛い記憶である。

あのときの悲しみと屈辱を思い出しエリカの目にうっすらと涙がにじむ。

(また... またあんな思いをするの? そんなのイヤっ!)

そしてエリカは気付いた。 今の状況が前世で自殺したときと違うことに。

(そうだ。 ここで諦めても苦しみからは逃れられない。 今ここで諦めたら、私を待つのは支配された人形としての未来だけ...)
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