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帰るとか辞めるとか
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軍庁舎にやって来たエリカは、受付でマイ・ベルを鳴らして尋ねる。
チン?(責任者に会わせてもらえるかしら?)
「サワラジリ中尉ですね? お待ちしておりました。 ご案内します」
やけにスムーズな対応だ。 軍はエリカの到来を予期していたと見える。
受付係はエリカを軍庁舎の一室に案内した。 部屋に入ると、執務机の向こうに40代の女性。 イイクニ中佐である。
イイクニ中佐は執務机の椅子から立ち上がると応接セットの方へやって来て、エリカに一方のソファを指し示す。
「どうぞ、おかけ下さい」
そう言って自分も反対側のソファに腰掛ける。
エリカが着席したタイミングを見計らって、イイクニ中佐が口を開く。
「サワラジリ中尉と直接お話させて頂くのはこれが初めてですね。 私はイイクニ中佐。 ミザル市の軍責任者を務めさせて頂いております」
チン(これはどうもご丁寧に)
「このたびは誠に申し訳ございませんでした」
そう言ってイイクニ中佐は膝の上に両手を揃え、エリカの座るソファに向かって頭を下げた。
素直に頭を下げるのは良いが、それだけでは不十分だ。
チン?(それで、軍はどのような再発防止策を考えているのかしら?)
「そ、それは... 今回のようなことが二度と起こらないのは約束いたします。 ファントムさんに置かれましては、どうか末永くこの国で暮らして頂きますよう」
軍は再発防止策を考えていなかった。
チン(あなたの口約束で安心できると思う?)
「では、どうせよと...? ファントムさんに何か腹案でも?」
チン(あります。 ファントムさんの支配禁止を法律として明文化してください)
「そ、そんな大それたことは私の一存では不可能です」
チン(ですよね。 じゃあ私はこれで)
生来の諦めの良さを発揮して辞意を告げるエリカ。 家に帰って今後の方針を検討しようというのだ。 《支配》の対策を練るもよし、他国への移住を検討するもよし。
◇
辞意を告げられたイイクニ中佐は慌てた。 普通の話し合いであればこれから本格的に討議を始めようという段階である。 なのにエリカは早々に立ち去ろうとしているのだ。
「お、お待ちくださいファントムさん」
エリカの諦めの良さからイイクニ中佐は、エリカにザルス共和国を去る意思のあることを嗅ぎ取っていた。 ファントムさんに去られては国家の一大損失である。
慌てるイイクニ中佐にエリカは無自覚な追い打ちをかける。
チーン(あ、そうそう。 わたし軍も辞めますから。 そもそも好きで軍に入ったわけじゃないし)
このままファントムさんに去られてしまえばイイクニ中佐の失態。 中佐は必死になって引き留める。
「お待ちくださいファントムさま。 その儀ばかりは平にご容赦を」
チン?(その儀って、どっちの儀? 帰るほう? それとも軍を辞めるほう?)
「りょ、両方にございます。 とりあえず。 とりあえずですね、落ち着きましょうかファントムさん。 帰るとか辞めるとか、そんなことばっかり言うのはよしませんか?」
(そんなの私の勝手じゃない。 わたし人嫌いだし)
「ファントムさん、ファントムさん? まだ、そこにいらっしゃいますよね? 帰ったりしてませんよね?」
ちん(ええ)
「ああよかった。 えっとですね。 えっと、そう! ズバリ要点を申しますとですね。 ファントムさんのお申し出の件はビッキー将軍にご相談いただければと思います」
チン?(ビッキー将軍?)
「はい。 将軍ならファントムさんの《支配》の禁止を法制化できるでしょう」
チン?(ビッキー将軍って誰?)
「ビッキー将軍はザルス共和国軍の総司令官。 軍でいちばん偉い人で、イワザル市の総本部にいらっしゃいます」
チン?(そんな遠いとこまで会いに行かなきゃなんないの?)
「いえ、ご安心を。 将軍にミザル市まで来て頂きます。 ちょっと失礼して、将軍のスケジュールを尋ねてみますね」
イイクニ中佐はソファから立ち上がり、執務机に置かれているテレホンでどこかの誰かと通話し始めた。
◇
10分ほどの会話ののち、イイクニ中佐はテレホンでの通話を終えてソファに戻ってきた。 そして、ちょっぴり誇らしげな顔でエリカに告げる。
「ざっと3ヶ月後にビッキー将軍にミザル市まで来ていただけるという確約を頂きました」
チン?(いま3ヶ月って言いました? 3週間の間違いじゃなくって?)
「はい、3ヶ月後でございます。 ビッキー将軍がイワザル市を1ヶ月近くも離れること自体、国防上の深刻な危機を招きかねないのですが、それでもファントムさんを」
イイクニ中佐の言葉をエリカが途中で遮る。
チンチン!(ちょっと待って! どうして私に会うだけで1ヶ月もの留守になるのよ?)
問われた中佐は微妙に怪訝な顔で説明する。
「ご存知のようにミザル市とイワザル市は片道が約2週間。 往復で1ヶ月になりますが? つまり、1ヶ月というのは往復の所要時間です」
チン?(ビッキー将軍が1ヶ月の休暇を取って私に会いに来るってわけ?)
「さようです」
チン?(それが今から3ヶ月後?)
「さようです」
チン?(すると将軍がミザル市に来るのは今から4ヶ月後かしら?)
「3ヶ月半後ですね。 3ヶ月後にイワザル市を出発して、その2週間後にミザル市に到着ですから。休暇の残り半分は将軍がミザル市からイワザル市に戻るのに費やされます」
チン(そんなに時間をかけて国防を危険にさらしてまで来てくれなくていいわ。 この話はなかったことにしましょ? それじゃ、ご機嫌よう)
エリカがそう鳴らしてソファを立ち上がろうとすると、イイクニ中佐は必死の形相になる。
「ち、違うんですファントムさん。 将軍は嫌々やって来るわけでは決してありません。 ファントムさんに会えるのを本当に楽しみにしてるんです!」
チン。(私は別に楽しみじゃないし。 それに3ヶ月半も先なんでしょ?)
「でも、さっきのテレホンで将軍はファントムさんに会うためのスケジュール調整に入ってしまいました。 今さら中止を言い出すなんて私にはとても...」
やるせなさそうに首を振るイイクニ中佐。
中佐の気持ちはエリカにも理解できた。
チン...(それは... そうですね)
なんとなく黙り込む2人。 しばしの沈黙ののちイイクニ中佐が顔を上げる。
「1つ良い案があるのですが」
チン?(それはどういったものでしょう?)
「ファントムさんがイワザル市へ赴くなら、3ヶ月半も待つ必要はありません。 もちろん旅費はザルス軍が全額を負担します」
チーン(えー。めんどくさいなあ)
「豪華な馬車の旅です。 観光旅行と思えばよろしいのよ」
チーン(えー。 旅行とか別に好きじゃないし。 悪いけどパスで。 ごめんなさい!)
エリカは中佐の執務室を逃げ出した。
チン?(責任者に会わせてもらえるかしら?)
「サワラジリ中尉ですね? お待ちしておりました。 ご案内します」
やけにスムーズな対応だ。 軍はエリカの到来を予期していたと見える。
受付係はエリカを軍庁舎の一室に案内した。 部屋に入ると、執務机の向こうに40代の女性。 イイクニ中佐である。
イイクニ中佐は執務机の椅子から立ち上がると応接セットの方へやって来て、エリカに一方のソファを指し示す。
「どうぞ、おかけ下さい」
そう言って自分も反対側のソファに腰掛ける。
エリカが着席したタイミングを見計らって、イイクニ中佐が口を開く。
「サワラジリ中尉と直接お話させて頂くのはこれが初めてですね。 私はイイクニ中佐。 ミザル市の軍責任者を務めさせて頂いております」
チン(これはどうもご丁寧に)
「このたびは誠に申し訳ございませんでした」
そう言ってイイクニ中佐は膝の上に両手を揃え、エリカの座るソファに向かって頭を下げた。
素直に頭を下げるのは良いが、それだけでは不十分だ。
チン?(それで、軍はどのような再発防止策を考えているのかしら?)
「そ、それは... 今回のようなことが二度と起こらないのは約束いたします。 ファントムさんに置かれましては、どうか末永くこの国で暮らして頂きますよう」
軍は再発防止策を考えていなかった。
チン(あなたの口約束で安心できると思う?)
「では、どうせよと...? ファントムさんに何か腹案でも?」
チン(あります。 ファントムさんの支配禁止を法律として明文化してください)
「そ、そんな大それたことは私の一存では不可能です」
チン(ですよね。 じゃあ私はこれで)
生来の諦めの良さを発揮して辞意を告げるエリカ。 家に帰って今後の方針を検討しようというのだ。 《支配》の対策を練るもよし、他国への移住を検討するもよし。
◇
辞意を告げられたイイクニ中佐は慌てた。 普通の話し合いであればこれから本格的に討議を始めようという段階である。 なのにエリカは早々に立ち去ろうとしているのだ。
「お、お待ちくださいファントムさん」
エリカの諦めの良さからイイクニ中佐は、エリカにザルス共和国を去る意思のあることを嗅ぎ取っていた。 ファントムさんに去られては国家の一大損失である。
慌てるイイクニ中佐にエリカは無自覚な追い打ちをかける。
チーン(あ、そうそう。 わたし軍も辞めますから。 そもそも好きで軍に入ったわけじゃないし)
このままファントムさんに去られてしまえばイイクニ中佐の失態。 中佐は必死になって引き留める。
「お待ちくださいファントムさま。 その儀ばかりは平にご容赦を」
チン?(その儀って、どっちの儀? 帰るほう? それとも軍を辞めるほう?)
「りょ、両方にございます。 とりあえず。 とりあえずですね、落ち着きましょうかファントムさん。 帰るとか辞めるとか、そんなことばっかり言うのはよしませんか?」
(そんなの私の勝手じゃない。 わたし人嫌いだし)
「ファントムさん、ファントムさん? まだ、そこにいらっしゃいますよね? 帰ったりしてませんよね?」
ちん(ええ)
「ああよかった。 えっとですね。 えっと、そう! ズバリ要点を申しますとですね。 ファントムさんのお申し出の件はビッキー将軍にご相談いただければと思います」
チン?(ビッキー将軍?)
「はい。 将軍ならファントムさんの《支配》の禁止を法制化できるでしょう」
チン?(ビッキー将軍って誰?)
「ビッキー将軍はザルス共和国軍の総司令官。 軍でいちばん偉い人で、イワザル市の総本部にいらっしゃいます」
チン?(そんな遠いとこまで会いに行かなきゃなんないの?)
「いえ、ご安心を。 将軍にミザル市まで来て頂きます。 ちょっと失礼して、将軍のスケジュールを尋ねてみますね」
イイクニ中佐はソファから立ち上がり、執務机に置かれているテレホンでどこかの誰かと通話し始めた。
◇
10分ほどの会話ののち、イイクニ中佐はテレホンでの通話を終えてソファに戻ってきた。 そして、ちょっぴり誇らしげな顔でエリカに告げる。
「ざっと3ヶ月後にビッキー将軍にミザル市まで来ていただけるという確約を頂きました」
チン?(いま3ヶ月って言いました? 3週間の間違いじゃなくって?)
「はい、3ヶ月後でございます。 ビッキー将軍がイワザル市を1ヶ月近くも離れること自体、国防上の深刻な危機を招きかねないのですが、それでもファントムさんを」
イイクニ中佐の言葉をエリカが途中で遮る。
チンチン!(ちょっと待って! どうして私に会うだけで1ヶ月もの留守になるのよ?)
問われた中佐は微妙に怪訝な顔で説明する。
「ご存知のようにミザル市とイワザル市は片道が約2週間。 往復で1ヶ月になりますが? つまり、1ヶ月というのは往復の所要時間です」
チン?(ビッキー将軍が1ヶ月の休暇を取って私に会いに来るってわけ?)
「さようです」
チン?(それが今から3ヶ月後?)
「さようです」
チン?(すると将軍がミザル市に来るのは今から4ヶ月後かしら?)
「3ヶ月半後ですね。 3ヶ月後にイワザル市を出発して、その2週間後にミザル市に到着ですから。休暇の残り半分は将軍がミザル市からイワザル市に戻るのに費やされます」
チン(そんなに時間をかけて国防を危険にさらしてまで来てくれなくていいわ。 この話はなかったことにしましょ? それじゃ、ご機嫌よう)
エリカがそう鳴らしてソファを立ち上がろうとすると、イイクニ中佐は必死の形相になる。
「ち、違うんですファントムさん。 将軍は嫌々やって来るわけでは決してありません。 ファントムさんに会えるのを本当に楽しみにしてるんです!」
チン。(私は別に楽しみじゃないし。 それに3ヶ月半も先なんでしょ?)
「でも、さっきのテレホンで将軍はファントムさんに会うためのスケジュール調整に入ってしまいました。 今さら中止を言い出すなんて私にはとても...」
やるせなさそうに首を振るイイクニ中佐。
中佐の気持ちはエリカにも理解できた。
チン...(それは... そうですね)
なんとなく黙り込む2人。 しばしの沈黙ののちイイクニ中佐が顔を上げる。
「1つ良い案があるのですが」
チン?(それはどういったものでしょう?)
「ファントムさんがイワザル市へ赴くなら、3ヶ月半も待つ必要はありません。 もちろん旅費はザルス軍が全額を負担します」
チーン(えー。めんどくさいなあ)
「豪華な馬車の旅です。 観光旅行と思えばよろしいのよ」
チーン(えー。 旅行とか別に好きじゃないし。 悪いけどパスで。 ごめんなさい!)
エリカは中佐の執務室を逃げ出した。
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