人魚姫の王子

おりのめぐむ

文字の大きさ
54 / 55

泡のような想い

しおりを挟む
 俺は走っていた。
 ただただ走っていた。
 脇目もふらず、ある目的地を目指すために―――。
 ようやく辿り着いたあるアパートの前。
 チャイムは鳴らさずに急いでドアノブを回す。
 鍵はかかってなく、受け入れるようにドアは開く。 

「知夏!!」

 玄関から見知らぬ部屋へと飛び込み、叫んだ。


 ―――そう、そこには、形を変えた知夏の姿があった。

 夕方、いつものように病室に向かった。
 バイト帰りで昨日よりはさらに小汚い姿で。
 疲れてたし、やつれてたかもしれない。
 どんな格好でも知夏の前ではシラを切るつもりで。
 ドアを開けると空になったベッドがあった。
 新規の患者を受け入れるようにまっさらな病室。
 俺は慌ててナースステーションへと向かった。
 ……そこで聞かされた、知夏の、死。

 ―――病室の窓から身を投げた、らしい。

 遺体の損傷が激しく、家族の要望ですぐに火葬された。
 そして目の前にある、陶器の壷。
 一瞬にして灰になり、まるで泡のように消えた知夏。

「何でだよ!? どうしてだよ、知夏!!」

 俺は知夏の家族の前で泣き叫んだ。 

「いろいろとお世話になったようですがもう二度とお目にかかりたくありません」

 しばらくして涙の涸れ果てた顔の知夏の母親が低い声で言った。

「どうかお引取り願います」

 そう言いながら俺の目の前に見慣れた物体が差し出された。

「……それでは」

 押し付けるように渡されたそれは、ノートパソコンだった。
 俺は悲しみの消え去らない状態のまま、抱きしめるように受け取り、その場を去った。
 アパートを出てからどこをどう歩いたのか記憶がない。
 行き場のない俺はパソコンを抱きしめたまま、フラフラしていた。
 信じられなかった。
 昨日までは元気な姿を見せていたのに。
 ただただ最後に見せたあの不安げな顔が頭に焼き付いていた。

 すっかり日が落ち、夜空にはぽっかりと月が浮かんでいた。
 そしてジワジワと冷たい空気が俺の身体を蝕んでいた。
 秋も深まり、もう少しすれば葉も色づいて紅葉するだろうという頃。
 病室の窓から見えた銀杏の木も黄緑から黄色へと移行しつつあったのに。
 知夏はその時を待たずに飛び降りたというのか?
 何でだよ? どうしてだよ?
 頭の中で不安げな顔と悲しみとショックが駆け巡る。
 そんな風に歩いていたらふと波音が聞こえてきた。
 いつのまにか引き寄せられるかのようにあの海に来ていた。
 知夏と旅立つ誓いをたてた、海に。
 ざくざくと音を立てながら砂浜を歩く。
 潮の匂いと共に冷たい風が吹き抜ける。
 月明かりだけが優しく照らす思い出の海。
 足取りがおぼつかないせいか転びそうになり、パソコンを守るように膝をつく。
 ――そしてそのまま、また泣いていた。 


 定期的に繰り返す波の音。
 泣き疲れた俺の脳裏に優しく響かせる。
 抱きしめていたパソコンを持ち直し、開いてみる。
 それから月明かりを頼りに起動を待つ。
 知夏が苦労して入力していたキーボードがはっきりみえる。
 1ヶ月ちょいの使用にも関わらず、痛みが激しい。
 それだけ努力したという証。
 やがて見慣れた画面が現れ、表示された文字。
 それは知夏からのメッセージ。

 "ひろくんのふたんがへり しあわせになるために"

 ――ただ、それだけが書かれていた。

 ……それだけだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

なほ
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模るな子。新入社員として入った会社でるなを待ち受ける運命とは....。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

処理中です...