おいしい毒の食べ方。

惰眠

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カレー

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 僕は、静かに自室の扉を閉め、階段を下りた。

 リビングの戸を開けると彼女が待っている。

「できた?」

 彼女は、まだ料理のほうを向いている。

「そろそろ、できそうですよ。」

 彼女は、とても楽し気に声をかけてくれる。

 IHコンロの火を止める音がする。

 できたようだ。

「できたから、お皿に盛るね。」

 彼女は、平皿を手に取り、カチャカチャと盛り付けをする。
 炊飯器からご飯をよそい、鍋からカレーを綺麗に流しかける。

 彼女は、冷蔵庫からお茶を取り、コップに注ぐ。

 疲れからか、ご飯よりもあのコップの中身のほうが早く欲しいと焦る気持ちが存在した。

 彼女は、僕の目の前に平皿に盛られたカレーを置く。
 そして、横にはお茶が置かれる。

 僕は、コップの半分までお茶を飲む。

 何の変哲もない麦茶だ。

 僕は、彼女から渡されたスプーンを握り、意を決する。

 僕は、それをご飯と共にスプーンで掬い取り、口に運んだ。

 味は、カレーではなかった。

 そもそも、持ち上げた時のとろみが異常だった。

 カレーにも若干のとろみは、聞いたことがあるが、これはとろみというより、粘り気といった方がいいだろう。
 とろろや、蜂蜜の粘り気が何とか抑えられた程度のとろみ。

 口に入れた瞬間から広がるのは、花畑?

 噛みしめた時のこの酸味と感触、おそらくパイナップル?

 そして、最後にやってくるのは悪魔だった。

 彼女と同じく甘いお菓子を好きだといえる私だったが、明らかこれは許容の範囲外というべきだろう。
 スライムのように、しつこくしがみ付く甘さ。
 これは、カレーというよりスイーツ。
 いや、それ以上だろうか。

 喉を通り過ぎるときに若干のカレーの風味が鼻に抜ける。

 カレーの素は使われているのだろうか。

 僕は、このスプーン一杯で腹が満たされすぎていた。
 そのため、この目の前の皿によそわれたカレーの量が増えてしまいそうだった。

 なんとかお茶を手に取り、喉を押さえつける。

 目の前の彼女を見ると、綺麗な瞳で僕の方を見ている。

 反則だ。

 このような瞳で見つめられたなら、きっと、僕を含め耐えられる男性はいないのではないだろうか。

 僕は、何とか平静を装って、ゆっくりと皿と口の往復をする。

 お茶が一瞬で足らなくなる。

「ごめん、疲れててすぐ喉が乾いちゃうから丸ごとお茶持ってきてくれない?」

「お疲れさま。いいですよ。」

 彼女は、ゆったりとした歩みで冷蔵庫に赴いて戻ってくる。

 震える手を抑えながら、彼女からお茶の入った容器を受け取り、コップに注ぐ。

 僕は、天国と地獄を往復するバンジージャンプをしているかのような気分になる。

 彼女の顔を見る度に心が浄化されるような気分になる。

「ねぇ、おいしい?」

 僕は、彼女に聞いてみることにした。

「おいしいよ?」

 彼女は、どこか不思議そうな顔をする。

「どうしたの?」

「でも、今回のカレーは少し甘かったかもしれませんね。」

「そうだね。」

 彼女は、この甘さを“少し”と表現したことに違和感しかなかったが、話の続きを聞くことにした。

「今回はどんなのを入れたの?」

「すりリンゴでしょ?はちみつでしょ?片栗粉、ガムシロップにパイナップル。カレーの素も入れたよ。」

「ジャガイモとか入れなかったの?」

「もちろんいれ…、ごめん。それかもしれない。」

 カレーだというのに、カレーの素以外にカレーの要素が見当たらなかった。

 強いて言うならば、入れられていたのはカレーの隠し味を総まとめしたようなものだろうか。

 彼女は、それでも自身のペースで食べ進めている。
 僕も負けないようにと食べ進める。

 僕は、先に食事を終え、勢いよくコップ一杯分の麦茶を飲み干す。

「ごちそうさまでした。」

 そして、皿を持って洗い場に行く。

 僕は、皿を洗いながら横の料理の痕跡を見る。

 明らかにこれを見て、カレーを作っていたという人は、いないのではないだろうか。
 もしかしたら、彼女は、スイーツを作ろうとしていたのかもしれない。
 そう思うと救われるような気がしないでもない。

 僕も役者だと思う。

 彼女を目の前にすると自然と笑顔になれるのだ。

 彼女は、僕の笑顔に返事をするように微笑み返してくれる。

 僕は、この空気がたまらなく好きだと思える。
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