連累/吉鶴話譚

蘭歌

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襲名の話

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襲名の話
 僕は、鶴屋涼丸のまま真打になり、二年。ある日、師匠から少し話があるのだけれど、と呼ばれた。二つ目の時のしくじり以降、そう言ったことはない様にしてきたけれども、また何かやらかしてしまったかと、少し戦々恐々としていた。
 師匠の元に伺えば、来年、つまり四十になるのに合わせて名前を変えないか、という話だった。師匠に示された名前は『吉珀亭無明』。鶴屋ではないことに、少し首をかしげていると、これは僕の押し付けなのだけれど、と師匠は申し訳なさそうに笑った。
「これはね、僕の兄弟子が短い真打の間、名乗っていた名前なんだ。君に渡した怪談噺のネタ帳。あれを作ったのもこの兄弟子。君が良ければ、アニさんの名前を継いでほしい」
 その場で即答ができず、黙ってしまったけれども、師匠はすぐに答えなくてもかまわない、と言ってくれたので、それに甘えてその場は保留という事になった。そのまま師匠が出かけてしまったの良い事に、僕は久しぶりに幽霊、寛涛と接触していた。師匠の家なのに師匠がいる時には絶対出てこない彼は、今の話を聞いていたのか、どこか難しい顔をしていた。そうして、
「継ぐ気か?」
とだけ聞いてきた。
 何度繰り返したかわからないけれども、僕はあの怪談噺が好きだ。だから、それの作者である先達の名前を継ぐのはやぶさかではないと同時に、恐れ多いとも思っていた。それに、僕は師匠の事も好きだし尊敬しているから、師匠と違う亭号になる事も抵抗が少しある。その事を寛涛に伝えれば彼は、ふん、と鼻で笑った。
「そう思うなら止めとけ。最初名乗っていたのはろくでもねェ噺家だ。もう知っているやつがいないとはいえ、そんな名前を名乗る必要はねェよ」
 その言葉に、カチンときた。僕は先代を知らないが、寛涛は知っている。そうだとしても、好きなものとそれを作った人を貶されて、黙っていられるほど僕は大人しくないし、気も長く無い。
「吉珀亭無明を継ぐ」
 そう言った時の、寛涛の顔は、こいつは話を聞いていなかったのか、と言いたげだった。いつもの飄々とした態度がどこかに消え、本気で驚いているのがわかった。それがなんだかおもしろかった。けれど、勝手にしろ、と吐き捨てて消えてしまった。
 翌日、襲名することを伝えれば師匠はありがとう、と嬉しそうに笑った。その日から、襲名に向けてあちらこちらにあいさつ回りや、その他諸々走り回り同時に稽古も手を抜かず、と前座見習や前座の頃並みに忙しく過ごし、一年はあっという間だった。その間、寛涛が出てくることはなかったけれど。
 何かやっている時は時がたつのはあっという間で、襲名披露口上の初日。昇進時も襲名時も、披露口上の時は主任を受け持つことになる。祝いの席で怪談噺はどうかとも思いはしたけれど、この名前で最初にやるなら先代の作った噺を、と師匠と決めて、高座にかけたのは、『墓場の犬』。師匠曰く、恐らく先代と先代が最後に付き合いのあった相手との話だろうとの事で、俺も、やるならこれだと思った。緊張に緊張を重ねながら、何とか主任を務め、これがあと九日間、間を開けて三回あると思うと、中々にしんどいな、と思ったのを覚えてる。その、無事に初日を終えた夜、夢に寛涛が出てきた。そうして、ありがとうな、と一言。
「まぁ、あんだけ言っといてなんだが……吉珀亭無明を最初に名乗っていたのは俺だ。一応言っておくが、名前に重みを感じるなよ。俺が、逃げで名乗った名前だ。お前は、鶴屋の名前も大切にしてくれ」
 言いたいことだけ一方的に言って、そのまま消えてしまうあたりがらしいと思う。寛涛、もとい、先代から認めてもらった以上は、相応に精進しなければならないとも思った。
 今の僕が、名前に相応しいかはわからない。それでも、先代を知る人はほとんどいない。なら僕が思うようにやる。それが、この約二十年で出した答えだ。
 同時に、鶴屋の名前も大切にしてくれと言われたから、一つ師匠と交渉した。僕が弟子を取った時、真打になるまでは吉珀亭を名乗らせるけれども、真打になったら鶴屋を名乗らせる。師匠は特にそれに反対せず、一応同じ鶴屋の一門に話をしておくよ、と言ってくれた。本来それをするのは俺がしなければいけない事だからと、一緒にあっちこっち話をし、またその時にもあいさつ回りをするという事で話がまとまった。
 今、僕には二人弟子がいる。一人は前座かつ僕の娘だけれども、もう一人は数年もすれば真打に昇進するだろう。その時には、鶴屋を名乗らせるつもりであるし、その先は自由にしたらいいのではないかなと、思っている。
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